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今日も僕はまた死んだ  作者: 宍戸 耀


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第28話 命を繋ぐ

四時間目の授業が終わった。


教室の中が、一気に騒がしくなる。


机を動かす音。


弁当の蓋を開ける音。


購買へ走っていく生徒たちの声。


小林たちも、何かを話しながら教室を出ていった。


僕は机の横に鞄を置いたまま、学校のタブレットを開いた。


朝、途中までしか読めなかった記事を探す。


検索履歴には、今朝入力した言葉が残っていた。


『メスに食べられる オス 蜘蛛』


自分で入力した文字なのに、改めて見ると変な言葉だった。


検索結果を開く。


黒い蜘蛛の写真が表示される。


丸く膨らんだ腹。


その背中には、赤い模様があった。


夢の中で見た蜘蛛と似ている。


ただ、夢の中では近すぎて、模様まではよく分からなかった。


大きな蜘蛛の牙ばかりを見ていた。


記事の題名には、セアカゴケグモと書かれていた。


名前くらいは聞いたことがある。


危険な外来生物。


毒を持つ蜘蛛。


けれど、それ以上のことは知らなかった。


画面を下へ動かす。


雌の体は大きく、黒い。


雄は雌よりもずっと小さく、色も違う。


僕が入っていたのは、おそらく雄の方だった。


小さな体。


細い八本の脚。


目の前にいた、何倍も大きな蜘蛛。


記事の写真と、夢の中の光景が重なる。


「何見てるの?」


声をかけられた。


画面から顔を上げる。


佐倉が立っていた。


片手にパンと飲み物を持っている。


「蜘蛛」


「見れば分かる」


佐倉は僕の隣の席へ鞄を置いた。


画面を少しのぞき込む。


「これ、危ない蜘蛛じゃない?」


「知ってるの?」


「名前だけ。ニュースで見たことある」


佐倉が画面に表示された赤い模様を指した。


「セアカゴケグモでしょ」


「たぶん」


「たぶんなの?」


「今、調べてる」


佐倉はパンの袋を開けながら、僕の隣へ座った。


自分の席へ戻る気はないらしい。


「どこかで見つけたの?」


「見つけてない」


「じゃあ、なんで調べてるの」


少し答えに迷った。


夢で見た。


そう言うだけなら簡単だった。


でも、何を見たのかまで聞かれたら、説明しなければならない。


自分が蜘蛛になっていたこと。


大きな蜘蛛に腹を食べられたこと。


死ぬ直前の感情まで残っていること。


全部言えば、気味悪がられるかもしれない。


「少し気になったから」


僕はそう答えて、画面へ目を戻した。


「ふうん」


佐倉はそれ以上聞かなかった。


記事には、雌が強い毒を持っていることが書かれていた。


人間が咬まれると、強い痛みが出る場合がある。


日本でも、公園や道路の側溝、植木鉢の裏などで見つかっている。


「やっぱり危ない蜘蛛なんだ」


佐倉が言った。


僕は画面を見た。


でも、僕が知りたいのは毒のことではなかった。


目の前に、自分を食べる雌がいた。


危険だと分かっていた。


怖がっていた。


それでも、自分から近づいていった。


「でも、僕が知りたいのは毒じゃない」


思わず口にしていた。


佐倉がパンを食べる手を止める。


「じゃあ、何?」


画面を下へ動かす。


朝、母さんに呼ばれて読めなかった続きが表示された。


雄の交尾行動。


その見出しの下に、小さな雄と大きな雌の写真があった。


雄は雌の腹の下にいる。


夢で見たのと同じだった。


記事を読む。


雄は交尾中、自分の体を反転させることがある。


腹部を、雌の口元へ近づける。


雌は、その雄を捕食する。


それでも雄は、食べられながら交尾を続ける。


画面を動かす指が止まった。


自分から体を反転させた。


腹を牙の上へ運んだ。


夢の中の動きと同じだった。


「自分から食べられにいくの?」


佐倉が画面を見ながら言った。


「そうみたい」


「どうして?」


その答えが、記事の下に書かれていた。


捕食されることで交尾を長く続けられる。


自分の子孫を残せる可能性が高くなる。


生涯の中で、雌に出会える機会は多くない。


一度の機会に、自分の持つものをすべて残そうとする。


「子供を残すためなんだ」


佐倉が言った。


僕は答えなかった。


夢の中で、僕は何かを相手へ渡そうとしていた。


何をしているのかは分からなかった。


何を渡しているのかも分からなかった。


ただ、絶対に途中で終わらせてはいけないと感じていた。


食べられながらも、体は止まらなかった。


あと少し。


もう少し。


そして、何かが終わった。


その瞬間に流れ込んできた感情。


喜び。


満足。


これでいいという、強い感覚。


あれは、自分の中にあるものを残せた喜びだった。


自分が死んでも、その先へ続くものを残せた。


だから、あの蜘蛛は喜んでいた。


「だからか」


小さく声が出た。


「何が?」


佐倉が僕を見る。


「最後、喜んでたから」


言ってから、しまったと思った。


佐倉の眉が少し動く。


「最後?」


「……いや」


「誰が喜んでたの?」


ごまかそうとした。


記事に書いてあったと言えばいい。


研究した人が、そう考えたらしいと答えればいい。


でも、佐倉は黙って僕を見ていた。


急かさなかった。


笑ってもいなかった。


「この蜘蛛」


僕は答えた。


「どうして分かるの?」


当然の質問だった。


少し迷う。


全部を話す必要はない。


本当に少しだけなら。


「夢で見た」


「夢?」


「たぶん、この蜘蛛の夢」


佐倉が画面を見る。


それから、もう一度僕を見る。


「蜘蛛が出てきたの?」


「僕が蜘蛛だった」


佐倉は何も言わなかった。


驚いた顔はしている。


でも、笑わなかった。


「大きな蜘蛛に近づいて、自分から腹を向けた」


話し始めると、夢の感覚が少し戻ってきた。


八本の脚。


細い糸。


大きな雌。


牙。


「食べられたの?」


「うん」


「宍戸くんが?」


「夢の中では」


「痛かった?」


その聞き方が、少し意外だった。


変な夢だとも。


気持ち悪いとも言わなかった。


最初に聞いたのは、痛かったかどうかだった。


「痛かった」


僕は答えた。


「怖かった。体が逃げようとするように縮んだ」


「でも、自分から近づいたんでしょ?」


「体が勝手に動いた」


「止められなかったの?」


「うん」


いつもの夢と同じだった。


どれだけ動かそうとしても、体は僕の言うことを聞かない。


ただ、その体の中へ入ってくる感情だけを受け取る。


「死ぬのが怖くなかったわけじゃないと思う」


僕は言った。


「痛がってたし、怖がってたから」


「じゃあ、なんで喜んでたの?」


「それが分からなかった」


朝まで、ずっと分からなかった。


食べられている。


殺されている。


それなのに、最後には確かに喜んでいた。


死ぬことが嬉しいわけではない。


痛みも恐怖も残っている。


それでも、自分がここまで来たことを満足していた。


佐倉が記事を読み返す。


交尾。


子孫。


自分の持つものを残す。


しばらくして、佐倉が言った。


「ちゃんと残せたからじゃない?」


僕は佐倉を見る。


「何が?」


「自分が生きたもの」


佐倉は画面の小さな雄を見たまま続けた。


「自分は食べられたけど、ちゃんと残せたんでしょ」


「子供を?」


「たぶん」


佐倉は少し考える。


「自分は死んでも、その先に残るから」


夢の中で流れ込んできた感情と、佐倉の言葉が重なった。


間に合った。


届いた。


これでいい。


あの感情をどう表せばいいのか、僕には分からなかった。


喜び。


満足。


でも、それだけでは足りなかった。


「自分は死んでも、命は繋がったんだね」


佐倉が言った。


僕は画面を見る。


大きな雌。


その下にいる、小さな雄。


「命を繋ぐための死、か」


口にすると、不思議な言葉だった。


自分はそこで終わる。


もう動かない。


もう何も感じない。


それでも、その先には続いていくものがある。


だから、最後にあんな感情が流れ込んできたのかもしれない。


蜘蛛が、命を繋ごうと考えていたわけではない。


子供のために死のうと考えていたわけでもない。


ただ、体がそうするようにできていた。


自分の命を使って。


次の命へ繋ぐ。


それは。


生命そのものが仕組んだ、愛みたいなものにも思えた。


本当に愛なのかは分からない。


蜘蛛にそんな感情があるのかも分からない。


けれど。


あの最後の喜びを言葉にするなら。


少しだけ、近い気がした。


「変な感じ」


僕が言う。


「何が?」


「死んだのに、終わってない」


佐倉は画面を見る。


「うん」


少しして、頷いた。


佐倉がパンを一口食べる。


「変な夢だね」


「うん」


「よく見るの?」


指が止まった。


ここから先を話せば、もっと深いところまで知られる。


毎晩見ること。


人間だけではないこと。


夢の中で、いつも死ぬこと。


目覚めても、痛みや感情が残ること。


そこまでは、まだ話せなかった。


「たまに」


僕は答えた。


嘘だった。


でも、全部を隠したわけでもなかった。


「蜘蛛以外にも?」


「いろいろ」


「どんなの?」


答えに迷う。


佐倉は少し待ったあと、飲み物の蓋を開けた。


「話したくないなら、いいけど」


それ以上、聞かなかった。


どうして話さないのかとも。


本当なのかとも聞かなかった。


ただ、僕が開いている記事へ目を戻した。


「でも、この蜘蛛、日本にもいるんだよね」


「書いてある」


「怖いな」


「小さい雄は、あまり危なくないらしい」


「大きい方が雌なんでしょ?」


「うん」


「じゃあ、赤いのを見つけたら逃げる」


「触らなければいいと思う」


「宍戸くんは近づいたけどね」


「夢の中だから」


佐倉が少し笑った。


僕を笑ったのではなく、今の会話を笑ったように見えた。


昼休みの終わりを知らせる予鈴が鳴った。


周りの生徒たちが、机を元の位置へ戻し始める。


僕は記事を閉じた。


今朝から残っていた疑問には、答えが出た。


あの蜘蛛が何をしていたのか。


なぜ、自分から牙の上へ進んだのか。


最後に流れ込んできた感情が、何だったのか。


全部を理解したわけではない。


それでも、少しだけ分かった。


自分は死んでも。


そこで全部が終わるわけではない。


その先へ、命を繋ぐ死もある。


佐倉が自分の席へ戻ろうとする。


「佐倉」


呼び止める。


佐倉が振り返った。


何を言おうとしたのか、自分でも分からなかった。


夢のことを誰かに話したのは、初めてだった。


そのことを、口にしようとしたのかもしれない。


でも、結局言えなかった。


「何?」


「いや、なんでもない」


「そう」


佐倉はそれ以上聞かず、自分の席へ戻っていった。


夢の話をしても、佐倉は笑わなかった。


嘘だとも言わなかった。


気味が悪いとも言わなかった。


ただ、痛かったのかと聞いた。


それだけのことが、なぜか僕の中に残った。

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