第22話 ピンクのリボン
家に戻って、昼ごはんを食べた。
休みは、今日までだった。
明日から、また学校が始まる。
少しだけ居間にいた。
テレビがついていたけれど、ほとんど見ていなかった。
何もせずに座っていると、眠くなりそうだった。
だから、僕はもう一度外へ出ることにした。
「少し歩いてくる」
母さんにそう言って、家を出た。
特に、行く場所は決めていない。
駅前まで歩く。
そのまま商店街へ入った。
休日の商店街には、人が多かった。
買い物袋を持った人。
子どもの手を引いて歩く人。
店の前で立ち止まっている人。
僕も、その中を歩いた。
大きな手芸店の前で、足が止まった。
店先に、たくさんのリボンが並んでいる。
赤。
青。
黄色。
白。
幅の太いもの。
細いもの。
模様の入ったもの。
その中に、ピンクがあった。
桜は、ピンクが好きだった。
服も。
筆箱も。
学校へ持っていく小さな袋も。
ピンクのものを選ぶことが多かった。
僕は店の中へ入った。
最初は、普通のリボンを買おうと思った。
でも、リボンだけ渡されても、桜は困るかもしれない。
母さんに頼めば、髪に結んでもらえるだろうか。
そんなことを考えながら棚を見る。
普通のリボンの隣に、髪を結ぶためのゴムが並んでいた。
丸いゴムに、小さな飾りがついている。
花。
星。
動物。
リボン。
ピンクのリボンがついたものもあった。
二つで一組になっている。
桜は髪が長い。
いつもは、後ろで一つに結んでいることが多かった。
二つに結んだところは、あまり見たことがない。
でも、似合う気がした。
僕はピンクのリボンがついたヘアゴムを手に取った。
ほかの色も見る。
赤。
白。
水色。
やっぱり、ピンクが一番桜らしいと思った。
レジへ持っていく。
「こちらでよろしいですか」
店員さんに聞かれた。
「はい」
小さな袋に入れてもらった。
会計を済ませ、店を出る。
袋は、思っていたより軽かった。
こんなに軽いものを買うために店へ入ったのは、初めてかもしれない。
帰り道、遠くに奈落の森が見えた。
昨日、外側を一周した場所だった。
今日も、木の影は暗く見えた。
でも、行く理由はなかった。
僕はそのまま家の方へ歩いた。
桜は喜ぶだろうか。
分からない。
欲しいと言われたわけではない。
誕生日でもない。
何かのお祝いでもない。
桜は、いつも僕のことを見ていた。
顔色。
食べた量。
眠そうかどうか。
大丈夫なのかどうか。
僕が何も言わなくても、心配してくれていた。
そのお礼のつもりだったのかもしれない。
でも、ありがとうと言いながら渡すようなものでもない気がした。
謝りたいわけでもなかった。
ただ、店でピンクのリボンを見た時、桜の顔が浮かんだ。
それだけでもよかった。
家に着く。
玄関を開ける。
「ただいま」
「おかえり、お兄ちゃん」
桜がすぐに玄関まで来た。
僕は靴を脱ぎながら、袋を差し出した。
「これ」
「なに?」
「桜に」
桜は袋と僕の顔を交互に見た。
「私に?」
「うん」
不思議そうに袋を受け取る。
中を開ける。
ピンクのリボンがついたヘアゴムを取り出した。
桜の顔が変わった。
「かわいい!」
思っていたより、大きな声だった。
両手に一つずつ持って、僕に見せる。
「お兄ちゃん、これ、本当に私の?」
「うん」
「二つとも?」
「二つで一組だから」
「くれるの?」
「そのつもりで買った」
桜は笑った。
顔全部で笑っているように見えた。
何日分かの笑顔を、一度に見せられたみたいだった。
居間から母さんが出てきた。
「どうしたの?」
「見て!」
桜がヘアゴムを掲げる。
「お兄ちゃんが買ってくれたの」
「耀が?」
母さんが僕を見る。
「うん」
「どうしたの、急に」
「店で見つけたから」
「それで、桜に?」
「似合うかなと思って」
母さんは少し驚いた顔をした。
それから、桜の持っているリボンを見る。
「かわいいじゃない」
「でしょ」
「せっかくだから、つけてみる?」
「つける!」
桜はすぐに母さんの前へ座った。
母さんが櫛を持ってくる。
桜の長い髪をとかす。
左右に分ける。
同じくらいの高さで、二つに結ぶ。
最後に、ピンクのリボンがついたヘアゴムをつけた。
「できた」
桜は立ち上がり、鏡の前へ行った。
右を向く。
左を向く。
後ろも見ようとして、体ごと回る。
二つのリボンが揺れた。
「どう?」
僕を見る。
「似合ってる」
「かわいい?」
「うん」
「ちゃんと見た?」
「見た」
「本当にかわいい?」
「かわいい」
桜は満足したように笑った。
買ってよかったと思った。
その日の夕食にも、桜はリボンをつけてきた。
家の中にいるだけなのに、外へ出かける時みたいに髪を整えている。
父さんが帰ってくると、桜は玄関まで走っていった。
「お父さん、見て」
「何だ?」
「髪」
父さんは靴を脱ぎながら、桜を見る。
「リボンか。よく似合ってるな」
「お兄ちゃんが買ってくれたの」
「耀が?」
父さんがこちらを見る。
「うん」
「珍しいな」
「店で見つけただけ」
「いいじゃないか」
父さんはもう一度、桜の髪を見る。
「かわいいぞ」
桜は嬉しそうに頷いた。
姉さんも、桜の後ろに回った。
「ツインテール、似合うじゃん」
「ほんと?」
「うん。リボンもかわいい」
「お兄ちゃんが選んだんだよ」
「耀が?」
姉さんまで僕を見る。
「何」
「いや。意外と分かってるんだなと思って」
「何が」
「桜に似合うもの」
姉さんはそう言って、スマホを取り出した。
「桜、こっち向いて」
桜が振り返る。
姉さんが写真を撮った。
「もう一枚」
「今のだめだった?」
「ちょっと動いた」
桜は姿勢を直した。
今度は歯を見せて笑う。
姉さんが何枚か撮った。
それを見て、母さんもスマホを出した。
「お母さんにも撮らせて」
「いいよ」
「後ろのリボンも見えるようにして」
桜が背中を向ける。
顔だけ振り返る。
母さんも何枚か撮った。
父さんまでスマホを持った。
「じゃあ、お父さんも一枚」
「みんな撮りすぎ」
桜はそう言った。
でも、ずっと嬉しそうだった。
僕もスマホを出した。
桜がすぐに気づく。
「お兄ちゃんも撮るの?」
「一枚だけ」
「ちゃんとかわいく撮ってね」
「たぶん」
「たぶんじゃだめ」
桜は椅子に座り直した。
背筋を伸ばす。
少しだけ顎を引く。
二つのリボンが、頬の横で揺れていた。
画面の中に入れる。
一度だけ、ボタンを押した。
桜が笑っている。
それで十分だった。
夕食の間も、桜は機嫌がよかった。
学校につけていっていいか。
友達に見せてもいいか。
今度は、別の結び方もできるか。
何度も母さんに聞いていた。
それから、ときどき僕を見る。
「本当に似合ってる?」
「うん」
「かわいい?」
「かわいい」
「ほんとに?」
「ほんとに」
同じことを何度答えても、桜は嬉しそうにした。
僕も、嫌ではなかった。
いつも心配してくれていた桜が、今日は何も心配せずに笑っている。
それが、一番よかった。
夕食が終わる。
風呂に入る。
自分の部屋へ戻る。
椅子に座り、スマホを開いた。
今日撮った写真が、一枚だけ入っている。
ピンクのリボン。
二つに結んだ髪。
少しだけ緊張した顔。
それでも、嬉しそうに笑っている。
写真を見ていると、また同じことを思った。
誰に聞かせるつもりもなく、小さく口に出す。
「桜、かわいいな」
写真を閉じた。
しばらくすると、家の中が静かになった。
桜の声も聞こえなくなる。
廊下を歩く音もなくなる。
窓の外は暗かった。
机の横には、布団がある。
また夜が来た。
眠らなければならない時間が来た。
僕にとって、一番嫌な時間だった。




