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今日も僕はまた死んだ  作者: 宍戸耀


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第20話 夕暮れの部屋

胸の奥が、重かった。


痛いというほどではない。


ただ、何かが乗っている。


固くて。


重くて。


息をするたびに、少しだけ沈んでくる。


この体は、椅子に座っていた。


狭い部屋だった。


テレビはついている。


知らない男が、笑いながら料理を食べていた。


テーブルの上には、湯のみが一つ。


薬の袋。


読みかけの新聞。


半分だけ残ったパン。


誰もいなかった。


この体は、胸に手を当てた。


ゆっくり息を吸う。


けれど、途中で止まる。


肺まで届かない。


胸の真ん中で、空気が引っかかる。


苦しい。


そう思ったのは、この人だった。


左の肩も重かった。


腕の内側が、少ししびれている。


手のひらには汗がにじんでいた。


テレビの音が大きい。


笑い声。


拍手。


明るい音楽。


この部屋だけが、そこから離れていた。


体が立ち上がろうとした。


けれど、すぐに座り直した。


膝に力が入らない。


電話は、棚の上にあった。


黒い受話器。


少し手を伸ばせば届く。


この体は、それを見た。


見ただけだった。


大丈夫。


少し休めば治る。


さっきより、痛みは弱くなっている。


そんな気持ちが流れてきた。


病院へ行くほどではない。


救急車なんて、大げさだ。


近所に知られる。


迷惑をかける。


明日になっても痛かったら、病院へ行けばいい。


何度も、自分に言い聞かせていた。


胸の重さは、少しずつ薄くなった。


息も、さっきよりは吸える。


左腕のしびれも、弱くなっている。


やっぱり大丈夫だった。


体は椅子の背もたれに寄りかかった。


目を閉じる。


しばらく、そのまま動かなかった。


どれくらい時間が経ったのか分からない。


目を開けると、部屋が赤くなっていた。


窓から夕日が入っている。


床。


壁。


テーブル。


全部が薄い赤に染まっていた。


体が、ゆっくり立ち上がった。


今度は立てた。


少しふらつきながら、窓へ向かう。


カーテンを開ける。


外には、町が広がっていた。


低い家。


細い道路。


並んだ電柱。


遠くを走る電車。


その向こうに、学校が見えた。


四角い校舎。


屋上の時計。


校舎の右側にある体育館。


僕の学校だった。


見間違えるはずがなかった。


毎日通っている。


毎日見ている。


この部屋から、学校が見える。


窓の下には、小さな駐車場があった。


白い車が一台。


錆びた自転車。


青い屋根の建物。


道路の向こうには、古い団地が並んでいた。


その端に、赤い看板が見えた。


文字は遠くて読めない。


体が窓枠に手を置いた。


夕日は、もう半分ほど沈んでいた。


一人で見る夕暮れだった。


寂しい。


そういう気持ちはなかった。


いつもと同じだった。


一人で起きて。


一人で食べて。


一人でテレビを見て。


一人で眠る。


今日も、それだけだった。


後ろで紙が落ちた。


体が振り返る。


玄関の近くに、白い封筒が落ちていた。


郵便受けから取ったまま、棚の端に置いていたものだった。


風で落ちたらしい。


体は、ゆっくり封筒を拾った。


表に、名前が書かれていた。


高木正一。


その下に、住所があった。


西園町三丁目。


数字が続く。


十二番。


六号。


メゾン夕映。


四〇二号室。


僕は、その文字を見ていた。


この人も見ていた。


どちらが覚えようとしたのか分からない。


封筒を棚に戻す。


その時だった。


胸の奥で、何かが強く縮んだ。


体が止まる。


さっきよりも強い。


重いものではなかった。


今度は、固い手で心臓を握られたようだった。


胸が潰れる。


息ができない。


左の肩から腕へ、熱い痛みが広がった。


あごの下まで痛い。


冷たい汗が、額から流れた。


体が壁に手をつく。


指が滑る。


電話。


そう思った。


棚の上にある。


すぐそこにある。


体が腕を伸ばす。


届かない。


もう一歩、前へ出ようとした。


足が動かなかった。


膝から崩れた。


肩が床にぶつかった。


頬が冷たい床につく。


テレビでは、まだ誰かが笑っていた。


電話は、少し上に見えた。


手を伸ばす。


指が床を擦る。


届かない。


もう少し。


あと少し。


腕が震えた。


それ以上、前へ進まない。


息を吸おうとする。


胸が動かない。


喉だけが、小さく鳴った。


誰か。


呼ばなければいけない。


けれど、声が出なかった。


廊下の向こうで、誰かが歩いていた。


足音がした。


近くの部屋の扉が閉まる。


気づいて。


この体は、そう思った。


壁を叩こうとした。


指先が、一度だけ床に当たった。


小さな音だった。


誰にも聞こえない。


視界の端に、白い封筒が見えた。


その文字だけが、はっきり見えた。


忘れてはいけない。


どうしてそう思ったのか、分からない。


この人は、もう助けを呼べない。


僕も、この体を動かせない。


ただ見ているしかなかった。


心臓が、一度、大きく跳ねた。


次は、少し弱かった。


その次は、もっと弱かった。


怖い。


死にたくない。


まだ。


まだ、ここにいたい。


誰にも見つからないまま。


誰にも呼ばれないまま。


この部屋で終わりたくない。


そんな気持ちが、胸の中いっぱいに広がった。


けれど、体は動かなかった。


テレビの音が遠くなる。


窓の外では、夕日が沈んでいく。


校舎も。


体育館も。


町も。


少しずつ暗くなった。


最後に見えたのは、床に落ちた白い封筒だった。


心臓が止まった。


音がなくなった。


それでも、しばらくテレビだけが笑っていた。



目を覚ました時、部屋は暗かった。


胸に手を当てる。


心臓は動いている。


速く。


強く。


息もできた。


僕は天井を見た。


高木正一。


西園町三丁目。


十二番六号。


メゾン夕映。


四〇二号室。


住所だけは、耀の心から消えなかった。

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