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【第7話】学園の眠り姫

婚約破棄の騒動があった学年末パーティーからしばらく経ち、春休みが明けた。


王立学園は春の陽気に包まれ、色とりどりの花が咲き誇っている。


私、セレーネ・アシュフォードは無事に二年生へと進級していた。


今日の昼休みは、食堂の喧騒を避けて、中庭にある大きな藤棚のベンチにやってきた。


持ってきた卵とハムのサンドイッチを軽くお腹に入れ、一息つく。


アランやジャックとの夜の街のパトロール活動は、思ったより悪くない。


いや、むしろ一人でお散歩をしていたあの頃よりも、私の心はウキウキと躍っていた。


けれど、夜に活動している分、昼間はどうしても眠たくなってしまう。


ぽかぽかとした太陽の光と、頬を撫でる優しい春の風が、私の眠気をさらに誘ってくる。


私は小さくあくびをして、ベンチの上でゆっくりと目を閉じた。


夜の冒険に備えて、今は少しだけおやすみなさい。


ーー


昼休みの中庭を歩いていると、藤棚のベンチで心地よさそうに眠るセレーネの姿を見つけた。


「ふふっ。この娘がお昼寝してるの、久しぶりね」


私はセレーネの親友である『リゼット・ド・ローゼンマイヤー』。


すやすやと寝息を立てる彼女を起こさないように、私はそっと隣に座り、午後の授業で使う歴史の本を開いた。


あの大勢の前での婚約破棄騒動。


セレーネがどれほど傷ついたかと心配したけれど、当の本人はあっけらかんとしている。


むしろ、魅力のなかった婚約者から解放されて、毎日が楽しそうにさえ見える。


しばらく本を読んでいると、芝生を踏む足音が近づいてきた。


「やあ、リゼット嬢、こんにちは」


声をかけてきたのは、セレーネの兄であり三年生に進級したシオンお兄様だった。


「あら、シオン様。ごきげんよう」


シオン様は、隣で無防備に眠る妹の顔を見て、とても優しく目を細めた。


「セレーネ、あれからずっと続けているようですわね」


私が微笑みながら言うと、シオン様も小さく笑い声を漏らした。


「そうみたいだね。あんな大勢の前で婚約破棄をされたのだから、さぞ落ち込んでいると思ったら……逆に最近、生き生きしてるみたいだよ」


だが学園では今、少し厄介な噂が流れている。


セレーネが男爵令嬢のイザベラ様をいじめたから、マクシミリアン様から婚約破棄されたという根も葉もない噂だ。


イザベラ様は、少しの回復魔法が使えるだけで「聖女」と持て囃されている女生徒だ。


彼女が被害者ぶるせいで、事情を知らない生徒たちはセレーネを悪者扱いしている。


「セレーネの悪口を言う人たちは、私が絶対に許しませんわ。セレーネの平穏な学園生活は、この私が守り抜いてみせます」


私が本を強く握りしめながらそう宣言すると、シオンお兄様は頼もしそうに頷いた。


「リゼット嬢が味方でいてくれるなら、これほど心強いことはないよ。僕も兄として、全力でセレーネを支えるつもりだ。でも、あまり君が無理はしないでくれよ」


「ご心配なく。公爵家の名にかけて、害虫は全て排除いたしますわ」


私たちは顔を見合わせ、そして再び、静かに眠るセレーネの寝顔を見守った。


この穏やかな時間がずっと続けばいいのにと、私は心からそう願っていた。


ーー


昼休みが終わり、午後の授業が始まった。


午後の最初の科目は歴史だった。


教壇に立つ老教師が、分厚い教科書を開きながら語り始める。


「さて、今日は我が国の建国神話について学んでいきましょう。……王立天文台によれば、来月あたりに数十年ぶりの皆既日食が観測されるそうですが、古来よりこの国では、太陽が隠れる現象と厄災の魔女の伝説を……」


『厄災の魔女』


その言葉が出た瞬間、教室の空気が少しだけ変わった。


ちらちらと、何人かの生徒の視線が一番後ろの席に座るセレーネへと向けられる。


当のセレーネはというと、頬杖をつきながらすっかり夢の中だった。


その時、前の席に座っていたイザベラ様が、わざとらしく大きな声を上げた。


「先生!質問があります。厄災の魔女は、忌まわしい黒い髪をしていたのですよね?だとしたら、黒髪の人は今でも国に災いをもたらす危険な存在なのではないでしょうか?」


教室がざわめいた。


明らかにセレーネに当てつけた発言だ。


イザベラ様は振り返り、眠っているセレーネを見て勝ち誇ったような笑みを浮かべている。


私は静かに席を立ち、極上の笑顔を顔に貼り付けて口を開いた。


「イザベラ様。あなたのその発言は、ご自身の教養のなさを露呈しているだけでしてよ」


「えっ…ど、どういう意味かしら…?」


「歴史書をよく読んでごらんなさい。建国神話のどこにも、魔女が黒髪だったという記述は存在いたしませんわ。魔女が黒髪だったというのは、後世に作られた子ども向けの絵本によるただの刷り込みです。そんな確証のないお伽話を鵜呑みにして、他人を貶めようとするなんて……貴族として恥ずかしくありませんの?」


私の言葉に、教室は水を打ったように静まり返った。


イザベラ様は顔を真っ赤にして、言葉に詰まっている。


「そ、それは……」


「教養がないのは仕方のないことですが、せめて公の場で無知をひけらかすのはおやめになった方がよろしくてよ。周りの方々が困惑してしまいますから」


私が優雅に微笑みかけると、イザベラ様は歯を食いしばりながらうつむいてしまった。


老教師も咳払いをして、「リゼット嬢の言う通り、歴史書に髪色の記述はありません。では授業に戻りましょう」と話をまとめた。


私は席に座り隣を見ると、これだけ教室が騒がしかったというのに、セレーネは全く起きる気配がなく、すやすやと眠り続けている。


「ふふっ。本当にあなたは大物ね」


私は誰にも聞こえないように小さく呟き、愛しい親友の寝顔を見つめた。


ーー


放課後を告げる鐘の音が、学園の校舎に響き渡った。


私は机に突っ伏していた顔をゆっくりと上げ、小さくあくびをした。


「ふぁ……よく寝たわ」


午後の歴史の授業はすっかり夢の中だったが、この学園は試験で点数が取れれば特に何かを言われることがないところが気に入っている。


位の高い貴族の子息令嬢が大勢通う学校であるため、公務で授業に出られない生徒が多くいるのが理由だ。


隣の席を見ると、親友のリゼットが呆れたような、けれどどこか嬉しそうな笑顔で私を見つめていた。


「おはよう、セレーネ。歴史の授業中、ずっとすやすやと気持ちよさそうに眠っていたわね。少しは周りの騒がしさで起きるかと思ったのだけれど」


「何かあったの?」


私が首を傾げると、リゼットはふわりと赤い髪を揺らして立ち上がり、私の机の横にやってきた。


「いいえ、ただの羽虫が飛んでいたから、私が追い払っておいただけよ。気にしなくてよろしくてよ」


リゼットの言う羽虫が誰のことなのか、私にはさっぱりわからなかったけれど、彼女がそう言うなら大したことではないのだろう。


私は帰り支度を整えながら、大きく伸びをした。


「あなた、また夜の街に繰り出しているんでしょう?少し評判になっているわよ」


「え?そうなの?」


私は思わず手を止め、リゼットの顔を見つめた。


私が夜の街を黒猫の姿で駆け回っていることは、家族とリゼットしか知らない秘密だ。


まさか私の正体がバレてしまったのだろうか。


少しだけドキッとした私に、リゼットは安心させるように微笑んだ。


「安心して、正体がバレているわけではないわ。ただ、最近街の人たちの間で噂になっているのよ。黒猫を連れた二人の青年が、夜の街の治安を守ってくれているって。あなた、一人で散歩していたわけじゃなかったのね。まあ、セレーネが一緒にいるってことは、悪い人たちじゃないんだろうけど、最初に聞いた時はちょっとびっくりしたわよ」


その言葉を聞いて、私はホッと息を吐き出した。


「ごめんなさい。リゼットにはちゃんと話しておくべきだったわね」


どうやら、アランとジャックと一緒に夜警団のようなことをしているのが、街の人々の間で少しずつ広まっているらしい。


「でも、そのおかげで黒猫に対する人々の目も、少し変わってきていると思うわ」


この国では黒髪の人間だけでなく、黒毛の動物も忌避の対象となっている。


だからこそ、黒猫の姿で街を歩くことは、これまでは少しだけ肩身が狭い思いをすることもあった。


見かけたら石を投げられるようなことはないにしても、不吉なものとして避けられることは多かったのだ。


けれど、夜警団としての活動が広まることで、その偏見が少しずつ薄れてきているという。


「そう……」


私は窓の外に広がる、春の夕暮れの空を見つめながら思う。


昼間はこうして大好きな親友や過保護な兄に見守られながら、のんびりと眠り英気を養い、夜になれば黒猫となり、おせっかいで優しい青年たちと共に街を駆け回る今の生活が大好きだと。


今夜はどんな冒険が待っているのだろうか。


私は胸の高鳴りを抑えながら、リゼットと共に夕日に染まる学園を後にした。

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