【第6話】一匹と二人の夜警団
夜の冷たい空気が心地よい。
今日から私は、あの少し変わった青年二人と一緒に夜の街をパトロールすることになった。
約束の場所である運河沿いの塀の上に降り立つと、そこにはすでに二人の姿があった。
金髪の青年と、アッシュグリーンの長髪の青年だ。
二人とも昨日と同じく、目元を仮面で隠している。
「あっ、よかった、来てくれたんだね!」
私を見つけるなり、金髪の青年がパッと顔を輝かせて駆け寄ってくる。
その手には、昨日と同じお店の小さな紙袋が握られていた。
「はい、約束のお菓子だよ。今日はクッキーじゃなくて、君が好きそうな甘いパウンドケーキにしてみたんだ」
紙袋からふわりと甘い香りが漂い、私はたまらず喉をゴロゴロと鳴らした。
風魔法を使って袋を受け取り、中身を少しだけ確認する。
うん、合格。とても美味しそうだ。
「どうもありがとう。それじゃあ、今日からよろしくね。私はノラ。ただの野良猫だから、ノラって呼んで」
私がそう名乗ると、二人は少し驚いたように顔を見合わせた。
「ノラ……そっか。僕はアランだよ。こっちは……」
「ジャックです。以後お見知りおきを、ノラ殿」
眼鏡の青年、ジャックが恭しく頭を下げる。
猫相手に殿をつけるなんて、随分と律儀な人だ。
お互いに偽名を使っていることは明らかだけれど、夜の街での関係にはこれくらいがちょうどいい。
素性など知らなくても、私たちは目的を同じくする仲間なのだから。
「それじゃあ、行こうかノラ。ほら、おいで」
アランが両手を広げて、私を抱き上げようとする。
私は少しだけ戸惑ったけれど、お菓子をもらった手前、無下に断るのも悪い気がして大人しく身を任せた。
彼は私をひょいと抱き上げると、まるで壊れ物を扱うようにそっと自分の肩に乗せた。
「ふふっ、軽いな。君はもっとたくさん食べた方がいいかもしれない」
「あら、食べるのは大好きよ。でも毎日走り回るから、カロリーが足りてないのかも」
私の色気のない返事にも、アランは全く気にする様子がない。
むしろ「お菓子が少なかったかな…」と呟きながら、歩きながら私の頭や背中を嬉しそうに撫で続けている。
その手つきがあまりにも優しくて心地よいため、私もついされるがままになってしまっていた。
「アラン……ノラ殿に夢中になりすぎです。私たちが何のために夜回りに出ているのか、忘れていませんよね?」
後ろを歩くジャックが、深くため息をつきながら苦言を呈する。
「わかっているよ、ジャック。でも、ノラが可愛すぎるのがいけないんだ。ほら、この毛並みなんて最高じゃないか」
「はぁ……殿下がただの下僕になっている……」
ジャックが胃のあたりを押さえながら、ボソッと呟くのが聞こえた。
でんか?
一瞬、アランとは違う単語が耳に引っかかったけれど、たぶんなにかの聞き間違えだろう。
それにジャックの疲れ切った顔を見ていると聞き返すのも気が引ける。
どうやら彼はひどく苦労性のようだ。少しだけ同情するわ。
それから私たちは連れ立って、王都の裏通りや酒場が立ち並ぶエリアを歩いて回った。
パトロールは順調に進んだ。
酔っ払いの小競り合いに遭遇すれば、アランが間に入って鮮やかに仲裁し、その間に私が屋根の上から風魔法でこっそり周囲の安全を確保する。
ジャックは常に冷静に状況を判断し、アランのサポートに回っていた。
昨日初めて会ったとは思えないほど、私たちの連携は上手くいっていた。
ただ、私が自分で歩こうとして屋根に飛び乗っても、すぐにアランが「危ないから」「疲れるだろうから」と手を伸ばしてきては、ひょいと私を抱き上げてしまうのには少し困り果てていた。
アランはもう少し猫の運動能力を知った方がいいかもしれない。
追いかけっこでは、私の方が何枚も上手だったんだから。
「よし、このあたりはもう大丈夫そうだね。少し休憩しようか」
広場にあるベンチに座り、アランが私を肩からそっと自分の膝の上へと下ろした。
「ノラ、疲れてないかい?足は痛くない?喉は乾いていないかな」
相変わらずの過保護ぶりに、私は呆れながらも「大丈夫よ、猫なんだからこれくらい平気よ」と返す。
「そうか。それならよかった」
アランは心底安堵したように微笑むと、再び私の体を撫で始めた。
耳の裏から背中にかけて撫で下ろす手つきは、先ほどよりも少しだけ遠慮がなくなっている。
彼の手が背中から横腹、さらには胸のあたり……つまり私のお腹周りへと伸びてきた瞬間だった。
ゾワッ。
背筋に悪寒が走り、私は反射的に身をよじった。
「ちょ、ちょっと!そこはダメっ!」
人間の姿の時の感覚が抜けきっていない私にとって、お腹や胸のあたりを無防備に撫でられるのは、いくら猫の姿とはいえ羞恥心が勝ってしまう。
「えっ?ごめん、痛かったかい?」
アランが驚いて手を止めるが、私はパニックになってしまい、彼の膝から勢いよく飛び退いた。
そのまま逃げるように、隣で休んでいたジャックの肩へと飛び移る。
「うおっ!?」
突然黒猫が降ってきたジャックが、驚きの声を上げてバランスを崩しかけた。
「ごめんなさい、ジャック。少しだけここを貸してちょうだい」
「…別にかまいませんよ。ほら、いったこっちゃないですよ、アラン。女性にしつこく接するのは紳士とは言えません」
「ノラ……僕、嫌われちゃったのかな……」
膝の上から急にいなくなった私を見て、アランが今にも泣き出しそうな顔で落ち込んでいる。
大型犬が耳と尻尾を垂らしてしょんぼりしているような、目に見えない哀愁が漂っていた。
「べ、別に嫌いになったわけじゃないわ!ただ、お腹のあたりはくすぐったいから触らないでほしいだけよ!」
私が慌ててフォローを入れると、アランはパッと顔を上げ、再びキラキラとした笑顔を向けた。
「そっか!わかった。気をつけるよ、ノラ!」
本当に、感情の起伏が激しくてペースを崩される人だ。
ああ、それにしてもいい夜だ。
昼間の退屈な日常とはまるで違う、この騒がしくて温かい夜の時間が、私はどうしようもなく好きになり始めていた。
ーー
ノラがジャックの肩に避難するという小さな騒動の後、僕たちは再び夜の街のパトロールに戻った。
僕とジャックの目元には、顔の半分を覆う貴族のお忍び用の仮面がついている。
この街の住人は、夜にこの仮面をつけた人間を見ても、あえて身分を詮索せず平民として接してくれる。それが夜の王都の暗黙の了解だ。
歩き出してしばらくすると、裏通りの入り口付近で、心細そうな声が聞こえてきた。
「コロ、どこなの……コロ……」
声の主は、まだ幼い小さな女の子だった。
すっかり夜も更けて子どもは寝る時間だというのに、薄手のかわいらしいピンクの寝間着姿のままで、母親らしき女性と手を繋いで立ち尽くしている。
母親のほうもランタンを片手に、困り果てた顔で暗い路地を照らしていた。
「どうしたんですか。何か探し物ですか」
僕が声をかけると、母親は仮面をつけた僕たちを見ても怯えることなく、ホッとしたように口を開いた。
「お兄さんたち、夜回りをしてくれている方たちですね。実は、この子が飼っている子犬が、ふとした拍子にドアの隙間から逃げ出してしまって……」
「寝る前に、ちょっとだけお外を見せようとしたら、走っていっちゃったの……」
女の子が目に涙を浮かべながら、母親の服の裾をぎゅっと握りしめている。
「なるほど。こんな夜更けに小さな子が外にいるのは危ないですよ。僕たちも一緒に探しますから、安心してください」
僕がしゃがみ込んで女の子の目線に合わせて微笑みかけると、女の子は小さく頷いた。
「ありがとうございます。わたしたちだけでは暗い路地の奥までは少し怖くて……」
母親がため息をつく。
僕とジャックがランタンの光を頼りに路地の隙間を探し始めようとした、その時だった。
「にゃあ」
ずっと僕たちの足元を歩いていたノラが、短く鳴いて暗い路地の奥へと足音もなく駆けていった。
「あっ、ノラ!」
僕が止める間もなく、黒猫のしなやかな影は夜の闇に溶け込んでいく。
暗くて危険なので親子には路地の入り口で待ってもらい、僕とジャックは木箱の裏やゴミ箱の中を確認しながら進む。
数分後、暗闇からトコトコと小さな足音が聞こえてきた。
「クゥーン」
鳴き声と共に現れたのは、片手に収まりそうなほど小さな茶色い子犬だった。
そのすぐ後ろを、ノラが子犬を誘導するように悠然と歩いてくる。
そのまま路地の入り口へ向かう2匹を守るように僕たちも進む。
「コロ!」
子犬に気づいた女の子がパッと顔を輝かせて駆け寄り、しっかりと抱きしめた。
子犬も嬉しそうに尻尾を振って、女の子の頬を舐めている。
「よかった……本当にありがとうございます、お兄さん」
涙目の母親が何度も頭を下げるのを見て、僕は首を横に振った。
「僕たちは何もしていませんよ。見つけてくれたのは、この賢い黒猫です。この子が、路地の奥から連れてきてくれたんです」
僕がノラを指差すと、母親と女の子は驚いたように目を丸くした。
「まあ、この猫ちゃんが?なんて賢くて優しい子なの」
「ねこちゃん、コロをみつけてくれてありがとう!」
女の子がしゃがみ込み、ノラに向かって一生懸命にお礼を言う。
ノラは少し誇らしげに胸を張り、ピンと立てた尻尾を揺らして「にゃあ」と返事をした。
その姿がたまらなく愛おしくて、僕は仮面の下で頬が緩むのを止められなかった。
「そうだわ。お礼といってはなんですが……こんなものしかないけれど、よかったら受け取ってください」
母親がエプロンのポケットからゴソゴソと何かを取り出し、僕に差し出した。
それは、綺麗な銀紙で包まれた小さなチョコレートだった。
「ありがとうございます。ノラ、君へのプレゼントだよ」
僕がしゃがみ込んで手のひらに乗せたチョコレートを差し出す。
「アラン、猫にチョコレートを食べさせてはいけません。毒になりますよ」
「え、そうなのかい?残念だけどこれはノラにはあげられないようだね」
しかしそんな話はおかまいなしに、ノラは金色の瞳を輝かせた。
そして、周囲に誰もいないことを確認したのか、彼女の足元に小さな風の渦が巻き起こる。
僕の手のひらからふわりと浮かび上がったチョコレートの包みが、目に見えない手で剥かれるように器用に解かれていく。
現れた一口サイズのチョコレートがそのまま宙を舞い、ノラの口へと吸い込まれていった。
「にゃーん」
甘いチョコレートを味わい、ノラは本当に幸せそうに喉を鳴らした。
「ねこちゃん、まほうがつかえるのね!すごぉい!」
女の子は嬉しそうに身を乗り出して見つめている。
「ふむ、どうやら平気なようですね…。やはりノラ殿は特別なのでしょう」
ジャックはノラの体質を不思議そうに分析していたが、僕にはそんなことはどうでもよかった。
魔法でチョコを浮かせて美味しそうに食べるその愛らしい姿を見て、僕の胸の奥がじんわりと温かくなる。
あの時計塔で、シナモンクッキーを一緒に食べた思い出が、鮮明に脳裏に蘇ってきた。
暗闇の中で震えていた僕を救ってくれた、あの小さな黒猫。
あの頃は僕がもらうばかりだったけれど、今はこうして彼女に美味しいものを食べさせてあげられる。
彼女の隣に立って、一緒に誰かを助けることができる。
その事実が、僕の心を満たしていく。
「アラン、そろそろ女の子たちを家まで送り届けましょう。夜風が冷えてきました」
ジャックの声にはっとして我に返る。
「そうだね。さあ、お嬢さん、お家まで一緒に行こうか。ノラも、おいで」
僕が手を差し出すと、ノラは今度は逃げることなく、軽やかなジャンプで僕の肩に飛び乗ってきた。
肩越しに伝わってくる小さな温もりと、ほんのりと香る甘いチョコの匂い。
満月の下、僕はこれ以上ないほどの幸せを感じながら、彼女たちと共に夜の街を歩き出した。




