【第23話】アミュレットの紐は固結び
昨年の年末に王都の中心にそびえる時計塔の展望台で、ルシアン様からパートナーの申し出を受けてから一ヶ月が経った。
まだまだ冬の寒さが残る王都の街角や、王立学園の廊下では、今、ある一つの話題で持ちきりになっていた。
まもなく訪れる冬の記念日、『アミュレットの日』である。
正式名称を『銀矢結びの祝祭』というこの日は、数百年前に戦地に赴く騎士へ、ある令嬢が無事を祈りながら手作りした、革紐のペンダントを贈ったという伝承に由来している。
戦場で敵の放った銀の矢が騎士の胸を捉えたものの、奇跡的にペンダントの頑丈な結び目に矢が刺さり、彼は無傷で生還したという。
この逸話から、王国では毎年この時期になると、大切な人が一生を無事に過ごせるよう、自らの手で紐を編んだお守りペンダントを贈る風習が定着していた。
男女の区別はなく、家族、友人、恋人など、絶対に失いたくない相手へと贈り合う温かい記念日だ。
「セレーネ、アミュレットの日の準備は進んでいるかしら」
昼休みのサロンで、紅茶のカップを置いた親友のリゼットが、向かいからどこか楽しげな瞳で私を覗き込んできた。
四人でテーブルに着く時は、今までリゼットと並んで座っていたが、私の隣にはルシアン様が座っていた。
今まで、こうした街の行事に胸を躍らせたことなんてただの一度もなかったけれど、今年の私は、時計塔で思いを伝え合ったばかりのルシアン様がいる。パートナーとなった彼に何かを贈らなければと、人生で初めてそわそわとした落ち着かなさを感じていた。
「ええ、街はその話題ばかりね。…ただ、具体的に何をどう作ればいいのか。私、今までこういうことに、あまり関心がなかったから」
私が正直に視線を泳がせると、ルシアン様が私の指先をそっと優しく撫でた。
「セレーネからの贈り物なら、僕は道端の石ころだって家宝にするよ。でも、無理に作って君が疲れてしまっては困るから、気負わないでほしいな」
相変わらず過保護で甘い言葉を囁く彼に、私は頬が熱くなるのを覚えた。
すると、対面に座るクロード様が眼鏡の位置を直しつつ、真剣な口調で提案してきた。
「ルシアン様、お言葉ですが、アミュレットの日は互いの無事を祈る重要な祝祭です。ルシアン様もセレーネ嬢に贈り物をするべきです。…そうだ、せっかくだから、四人全員がお互いに、一人三つずつ飾り結びのお守りペンダントを作り合って交換するのはいかがでしょう」
「私たち全員で、三つずつ?」
私が驚いて尋ねると、リゼットが目を輝かせて扇をポンと叩いた。
「素晴らしいアイデアですわ、クロード様!私たち四人がずっと無事でいられるように、お互いに作り合うのね。賛成よ!」
ルシアン様も大きく頷き、こうして私たちは記念日に向けて、お互いのペンダントを三つずつ制作する約束を交わしたのだった。
「うぅ、…不安しかない……」
勉強も運動もそつなくこなせる私だけれど、お菓子づくりと同様に、手先を使う細かい作業だけは破滅的に苦手なのだ。かつて家庭科の授業でシナモンクッキーを真っ黒な炭に変えた実績を持つ私が、紐を編むなどという高度な技術を三つ分も成功させられるのだろうか。
「心配いらないわ、セレーネ。放課後にアシュフォード家の屋敷で特訓しましょう」
私の絶望を見抜いたリゼットの心強い提案により、その日の夕方、私の自室にて緊急のお守り制作会が開かれることになった。
屋敷に到着し、自室の大きなテーブルに革紐や組み紐、小さな守護石を広げていると、部屋の扉が穏やかにノックされた。
「セレーネさん、リゼットさん、お邪魔してもよろしくて?」
優しく柔らかな声と共に姿を現したのは、兄であるシオンお兄様の婚約者、フローラ様だった。
留学から帰国したばかりの彼女は、落ち着いた大人の雰囲気を纏うとても素敵な女性だ。過保護で威圧感のあるシオンお兄様が、彼女の前では完全にデレデレになってしまうのも納得の包容力がある。
そして、何がとは言わないがデカい、デカすぎる。階段を降りる時に下は見えているのだろうか。うん、悲しくなるので人と比較するのはもうやめよう。
「フローラ様!お久しぶりです。今日はお手伝いいただけるなんて、本当に心強いですわ」
リゼットが嬉しそうに挨拶をすると、フローラ様はふわりと微笑み、私の隣に腰を下ろした。
「シオン様から、セレーネさんが大切なお友達のためにお守りを作るのだと聞いて。私でよければ、紐の結び方をお教えしますわ」
こうして、頼もしい親友とお姉様による熱血レクチャーが始まった。
「まず、この革紐を二つに折って、中央に輪を作りますのよ。そして片方の紐を上からぐるりと…」
フローラ様の白くしなやかな指先が、まるで魔法のように滑らかに紐を操っていく。あっという間に、中央に美しい幾何学模様の結び目が仕上がった。
リゼットも教本を見ながら丁寧に紐を編んでいる。彼女の手つきも非常にスマートで、みるみるうちに綺麗な目が揃った上品なペンダントが形作られていった。
「な、なるほど。上から通して、裏側から引き抜くのね。…これなら私にも…」
手本をしっかりと目に焼き付け、私は意気揚々と革紐を手に取った。ルシアン様、リゼット、クロード様。大切な三人の顔を思い浮かべながら、絶対に切れない頑丈なお守りにするのだと、指先にぎゅっと力を込める。
「あれ…?紐が裏側に出てこないわ」
無理やり引っ張ると、ブチッという鈍い音と共に上質な革紐が中途半端に裂け、謎の結び目が勝手に増殖していく。
焦った私はさらに別の紐を絡めて修正を試みたが、力を込めすぎたせいで紐全体が複雑に絡まり合い、最後には完全に解くことの不可能な漆黒の球体へと姿を変えた。
「セレーネ…それ、ペンダントじゃなくて、ただの『マリモ』になっていましてよ…」
リゼットが引きつった頬を押さえて呟く。
テーブルの上には、私がほんの数分格闘しただけで生み出された、高密度の黒いマリモのような失敗作が、すでにコロコロと三つ転がっていた。
「おかしいわね…手順通りに編んだはずなのに」
「セレーネさん、紐を引く時の力が少し強すぎるのかもしれませんわ。もう少し優しく…」
フローラ様が苦笑いを浮かべながら新しい紐を渡してくれるが、編めば編むほど、机の上のマリモは四つ、五つと着実にその数を増やしていく。
ーー
一方、その頃。
王城の一室では、ルシアン様とクロード様もまた、お守りペンダントの制作に取り掛かっていた。
「クロード…お前、手先が器用すぎるだろう…」
机に向かうルシアン様が、信じられないものを見るような目でクロード様を見つめていた。
クロード様の指先からは、一切の迷いなく、美術品と見紛うばかりの極めて複雑で精緻なケルト結びのペンダントが、すでに二つ完成していたのだ。
「王族の側近として、儀礼用の紐結びや装飾梱包は極限まで叩き込まれていますから。これくらいは造作もありません」
涼しい顔で三つ目に取り掛かるクロード様の横で、ルシアン様は少しだけ不揃いになった紐の目を必死に揃えようと悪戦苦闘していた。
「僕のは少し形が歪になってしまったな。でも、セレーネたちを守る盾にするんだ。絶対に頑丈に結んでみせる」
ルシアン様は額に汗をにじませながら、大切な相棒たちの無事を祈り、一目一目、心を込めて固く紐を結び続けていた。
ーー
同じ日の夜。
アシュフォード家の私の部屋では夜が更けてもなお、革紐との格闘が続いていた。
リゼットは私の隣で「もう少しよ、セレーネ!」と励まし続け、フローラ様も温かいハーブティーを淹れて私の集中力を支えてくれた。
そして、東の空がわずかに白み始めた明け方のこと。
「でき…たわ」
私の震える手の中に、奇跡的に綺麗な輪郭を保った、三つのペンダントが並んでいた。
教本通りの完璧な形とは言えないけれど、革紐はしっかりと編み込まれ、中央の小さな青い守護石を外れないよう抱きかかえている。
「やったわねセレーネ!これなら立派なお守りよ!」
リゼットが自分のことのように声を弾ませ、フローラ様も「とても温かみのある、素敵なアミュレットですわ」と優しく微笑んでくれた。
私の目の前にある三つの奇跡のすぐ横には、昨日からの戦いの壮絶さを物語るマリモの山が、ピラミッドのようにそびえ立っていたけれど、今はただ、この三つが完成した喜びに胸がいっぱいだった。
ーー
そして迎えたアミュレットの日、当日。
放課後の学園のサロンのテーブルには、私たち四人が持ち寄った計十二個のお守りペンダントが並べられていた。
「まずは私からお渡しします」
クロード様が恭しく差し出した三つのペンダントは、もはや学生の手作りという概念を根本から覆していた。それぞれの瞳の色に合わせた組み紐は一糸乱れぬ精緻さを誇り、専用の小さな化粧箱にまで納められている。
クロード様から深緑色のペンダントを手渡されたリゼットは、普段の余裕に満ちた態度を少しだけ崩し、頬をほんのりと朱に染めた。
「ま、まあ…素晴らしい意匠ですわね、クロード様。大切にさせていただきますわ」
「いえ…リゼット様の髪色に一番映える組み紐を選んだだけですので。お気に召したなら幸いです」
少しだけ視線を泳がせるクロード様。二人の間に流れる甘くも初々しい空気に、私は胸の奥が温かくなるのを感じた。
続いてリゼットが差し出した三つは、彼女らしい気品にあふれた、教本通りに美しく目が揃った上品なペンダントだった。
ルシアン様のお守りは、少しだけ結び目の大きさが非対称だったけれど、紐の一本一本がこれ以上ないほど固く編み込まれており、私たちへの並々ならぬ執着とも言える強い絆を感じさせる仕上がりだった。
そして、いよいよ私の番が来た。
私は徹夜で編み上げた奇跡の三つを、そっと三人へと手渡す。
「私、手先が本当に不器用だから…これが精一杯だったのだけれど」
差し出されたペンダントを受け取った瞬間、ルシアン様の碧い瞳が、まるで伝説の秘宝でも見つけたかのように大きく見開かれた。
「セレーネ…!なんて素晴らしいんだ。世界一美しい盾じゃないか」
彼は感極まった声でそう言うと、その場ですぐに、私のペンダントを自身の首へとしっかりと掛けた。
「僕の命に代えても、一生大切にするよ。ありがとう、僕のお姫さま」
真っ直ぐに私を見つめてほほえむ彼の熱い視線に、私は徹夜の疲れなんて一瞬で吹き飛んでしまうほどの幸せを感じていた。
ーー
楽しい交換会が終わり、夜を迎えたアシュフォード家の屋敷。
自室に戻った私の視線の先には、昨夜の努力の残骸である大量の漆黒のマリモたちが、机の上にどっさりと残されていた。
「せっかくの上質な革紐を、こんなに大量に犠牲にしてしまって…ただ捨てるのは、紐に申し訳ないわ」
私は腕を組み、目の前の黒い球体群を見つめて考え込んだ。これをほどくことは絶対に不可能だ。
「そうだわ…」
私は引き出しの奥から、普段は荷作りなどに使う極太の丈夫な革紐を取り出した。そしてマリモの中央に目打ちで強引に穴を開け、その極太の紐へとひとつ、またひとつと数珠繋ぎに通していく。
すべてのマリモを通し終えた時、私の目の前にはずっしりとした、呪術的な威圧感を放つ巨大な漆黒の数珠ネックレスが誕生していた。私はその重厚な大数珠を両手でしっかりと抱え、シオンお兄様の書斎の扉をノックした。
「お兄様、夜分に失礼いたします。セレーネです」
「セレーネ!入っておいで」
書斎に入ると、シオンお兄様が机で書類仕事をしており、その傍らには婚約者のフローラ様が寄り添って本を読んでいた。
私は両手に抱えた巨大な黒い塊を、そっとお兄様の机の上へと差し出した。
「今日はアミュレットの日だから。…いつも私を見守ってくれているお礼に、お兄様へのお守りを作ったの」
机の上にゴトン、と鈍い音を立てて置かれた漆黒の大数珠。シオンお兄様は動きを止め、目の前の禍々しいオーラを放つ巨大な物体を、ただ呆然と見つめていた。
……。
やってしまったかもしれない。いくらなんでも失敗作の塊を繋げたものを贈るなんて、失礼すぎたわ。
私が謝罪の言葉を口にしようとした、その瞬間だった。
「す、素晴らしい…!」
お兄様は震える両手で巨大数珠を持ち上げ、ためらうことなく自らの首にかけた。
「この首から肩にズッシリと食い込む圧倒的な質量…。僕に近づくあらゆる災いを物理的に通させないという、セレーネの深い愛情を感じる。ありがとうセレーネ!僕はいま、この王国で一番安全な男だよ!」
あまりの喜ばれように、私は罪悪感で視線を泳がせることしかできなかった。
「え、ええ…喜んでいただけて、本当によかったわ、お兄様」
ひきつった笑みを浮かべる私の視線の先、お兄様の斜め後ろに座っていたフローラ様と目が合った。
フローラ様は私に向けて優しくウインクをすると、そっと人差し指を自分の唇に当てた。
(しーっ、内緒ね)
そんな声が聞こえてきそうな彼女の温かい微笑みに、私は心の中で深々と頭を下げ、静かに書斎を後にしたのだった。




