【第21話】保護者はつらいよ。四人の休日
年の瀬がせまる王立学園。放課後の人気のないサロンの片隅で、二人の生徒が深刻な顔をして向かい合っていた。
公爵令嬢であるリゼットと、ルシアンの側近であるクロードだ。
テーブルを挟んで座る二人の間には、温かい紅茶が置かれているが、どちらも一口も飲んでいない。
「リゼット様。単刀直入にお聞きしますが、セレーネ嬢はルシアン殿下のことが好きなのは間違いないのでしょうか?」
クロードが眼鏡の位置を直しつつ、少し疲れた声で切り出した。
対するリゼットは、優雅に扇を広げてため息を吐く。
「ええ、間違いないわ。でも、どうやらあの娘はルシアン様がアランだと気づいたみたいなのよ。それなのに、彼が自ら正体を明かしてくれないから、やっぱり私の本来の姿を見て幻滅して、嫌われているのでは?って感じで、うじうじと殻に閉じこもっているのよね」
「なるほど……。殿下の方も厄介ですよ。ノラ殿があの夜、アランの前から逃げるように立ち去ったことで、やはり正体を知られて嫌われた。こうなったらアランとしてではなく、ルシアンとして一から好きになってもらわなければと、完全に意固地になっています」
二人の事情をすり合わせた結果、見えてきたのは救いようのないほどの見事なすれ違いだった。
お互いに好き同士でありながら、相手に嫌われているという勘違いから真実を言い出せず、勝手に空回りしているのだ。
「「はぁ〜」」
サロンの静寂の中に、二人の深いため息が同時に響き渡った。
「お互い好きなのに何をやっているのかしら、あの二人は。側で見ているこちらがもどかしくて倒れそうだわ」
「おっしゃる通りです。私としても国王様から、編入の真の目的である婚約者候補はみつかったのか?と毎日のように手紙でせっつかれています。殿下はセレーネ嬢以外を娶る気は毛頭ないというのに、このままではいつまで経っても平行線です」
クロードが胃のあたりを押さえながら顔をしかめた。主君の暴走と不器用な恋の板挟みになり、彼の苦労は計り知れない。
リゼットはパチンと扇を閉じ、決意を秘めた瞳でクロードを見据えた。
「こうなったら、やるしかないわね」
「ええ、やるしかないでしょう」
「私たちが少し強引にでも背中を押してあげないとね。もう、世話を焼かせてくれるんだからあの娘たちは」
こうして、不器用な二人の恋を成就させるための保護者同盟が結成された。
彼らが立案したのは、休日を利用して四人で街へ出かける、名付けて強制ダブルデート作戦であった。
ーー
そして迎えた休日の朝。
王都の広場にある大きな時計塔の下に、私たち四人は集まっていた。
リゼットから気分転換に四人で街にお出かけしましょうと誘われ、特に予定もなかった私は二つ返事で了承したのだ。
冬の空は高く澄み渡り、冷たい風が心地よいお出かけ日和だった。
「待たせてしまったかな。おはよう、セレーネ、リゼット」
爽やかな声と共に現れたのは、ルシアン様とクロード様だった。
「おはようございます、ルシアン様」
挨拶を返そうと彼の方を向いた瞬間、私の心臓がトクンと大きく跳ねた。
休日のため学園の制服ではなく私服姿だったのだが、その出で立ちが、あまりにも見覚えのあるものだったからだ。
コートを羽織ってはいるがその下に見える服装は、上質な素材を使いながらも動きやすさを重視した、少しラフな軽装。
それはまさに、夜の王都を一緒に駆け回っていた相棒、アランの格好そのものだった。
あの仮面さえつければ、今すぐにでも夜警団として出動できそうだ。
「セレーネ?どうしたんだい、僕の顔をそんなに見つめて」
ルシアン様が不思議そうに小首を傾げ、私の顔を覗き込んでくる。
その何気ない仕草一つとってもアランにそっくりで、私の胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
「い、いえ、なんでもありませんわ。私服姿も素敵だなと思っただけです」
私が慌てて視線を逸らすと、彼はパッと花が咲いたように顔を輝かせた。
「本当かい?君にそう言ってもらえるなんて、今日は朝からとてもいい日だ」
無邪気に喜ぶ彼を見ていると、どうしても彼がアランだという確信が強まっていく。
でも、彼は私に正体を明かそうとしない。
やはり、軽薄に夜の街をうろついていた私に幻滅して、アランとしての関係を終わらせたいと思っているのだろうか。
そんなネガティブな思考が頭をよぎり、私は無意識に少しだけ彼から距離を取ってしまった。
「さあ、いつまでもここに突っ立っていても仕方がありませんわ。今日は王都の市場で年末の感謝祭が行われているそうですから、まずはそこへ行ってみましょう」
リゼットが「パン」と手を叩き、私の腕に自分の腕を絡ませて歩き出した。
四人で連れ立って、賑やかな市場へと向かう。
広場から続く大通りには、色とりどりの果物や秋の味覚を並べた屋台がずらりと軒を連ねていた。
香ばしい焼き菓子の匂いや、活気ある商人たちの声が飛び交い、すれ違う人々も皆楽しそうだ。
「わぁ、すごく賑やかね」
私が少しだけ気分を明るくしてあたりを見回していると、リゼットが不自然なほど大げさな声を上げた。
「あら!あちらの屋台で売っているリボン、とっても素敵ですわ!クロード様、私、どうしてもあそこを見てきたいのですけれど、エスコートしていただけないかしら?」
「ええ、もちろん喜んで。リゼット様に似合うものを一緒に探しましょう」
クロード様も、普段の冷静な彼からは想像もつかないほどすんなりと、そして棒読み気味に同意した。
「えっ、リゼット?私も一緒に……」
私が慌てて後を追おうとしたが、リゼットは振り返って極上の笑顔を向けた。
「セレーネたちは少しこのあたりを見ていてちょうだい!すぐに戻りますから!」
言うが早いか、リゼットとクロード様はあっという間に休日の人混みの中へと消えていってしまった。
「……行っちゃったわね」
私は取り残された状況に呆然としながら呟いた。
隣には、同じくポツンと取り残されたルシアン様がいる。
つまり、この広くて賑やかな市場の真ん中で、彼と二人きりになってしまったということだ。
「リゼットは行動力がすごいね。……僕たちは、どうしようか」
ルシアン様が少し照れくさそうに頭を掻きながら、私の方を向いた。
彼の碧い瞳と視線が絡み合い、私の顔がカッと熱くなるのを感じる。
夜の街でアランと二人きりになることにはすっかり慣れていたはずなのに、昼間の人間の姿で、ルシアン様とこうして二人きりで向かい合うのは、どうしてこんなに緊張するのだろう。
「そ、そうですね。邪魔にならないように、少し端に寄りましょうか」
「うん。セレーネ、はぐれないように僕の手につかまって」
ルシアン様はごく自然な動作で、私に向かって手を差し出してきた。
その手は、私が黒猫のノラだった頃、何度も優しく私を撫で、抱き上げてくれたあの手だ。
私は躊躇しながらも、断る理由も見つからず、そっと彼の手を取った。
彼の手はとても温かく、私の緊張で冷たくなった指先を優しく包み込んでくれた。
ーー
ルシアンとセレーネが手を繋いで人混みの中へと歩き出していくのを、少し離れた路地の陰から見送る二つの影があった。
リゼットとクロードである。
「よし、第一段階はクリアですわね」
「ええ。あまりにも古典的な手口で少し罪悪感がありましたが、あの不器用な二人にはこれくらい強引でちょうどいいでしょう」
クロードが眼鏡を押し上げながら息を吐き出す。
吹き抜ける風にはすでに冬の鋭い冷たさが混じっており、吐く息も白く色づき始めている。季節は足早に過ぎ去り、王都の街はすっかり年末特有の慌ただしさと、冬の華やぎに包まれていた。
「さあ、私たちは邪魔にならないように、どこかで時間を潰しましょうか。この寒さですし、あそこのカフェに入りましょう」
リゼットの提案で、二人は大通りから少し入ったところにある、落ち着いた雰囲気のカフェへと足を踏み入れた。
暖炉の火がパチパチと心地よい音を立てる店内の奥の席に座り、二人は温かい紅茶を注文した。
冷え切った手をカップで温めながら、クロードがふと向かいの席のリゼットを見つめて口を開いた。
「それにしても、リゼット様は本当にセレーネ嬢のことを大切に思っていらっしゃるのですね。学園でも常に彼女を庇い、今回もこうして骨を折ってまで彼女の幸せを願っている。お二人の絆の深さには、いつも感心させられます」
クロードの真っ直ぐな言葉に、リゼットは少し照れくさそうに目を伏せ、カップの縁を指でなぞった。
「セレーネは私にとって、たった一人の、そして最高の親友ですから。……彼女との出会いは、私がまだほんの小さな子どもだった頃に遡るんですのよ」
「幼い頃からのご友人だったのですね」
「ええ。でも、普通の出会い方ではありませんでしたわ」
リゼットは目を細め、懐かしい記憶を引っ張り出すようにゆっくりと語り始めた。
「私は公爵家の令嬢として、幼い頃からとても厳しい教育を受けていました。マナー、歴史、語学……毎日息が詰まるようなスケジュールで、自由な時間なんて少しもありませんでしたわ。ある日の夜、私はどうしてもその窮屈さから逃げ出したくなって、両親や使用人の目を盗んで、こっそりと屋敷を抜け出したんです」
「夜の街へ、お一人でですか?それは危険な……」
「今思えば、本当に無謀でしたわね。王都の夜の街は、昼間とは全く違う顔をしています。少し歩いただけで道がわからなくなり、暗い路地裏で完全に迷子になってしまいましたの。心細くて、怖くて、道の隅で膝を抱えて泣きそうになっていた時でした」
リゼットの言葉に、クロードは静かに耳を傾けている。
「ふと顔を上げると、月明かりの下に、一匹の美しい黒猫が座って私を見ていたんです」
「黒猫……それは、まさか」
「ええ。それがセレーネだったのですわ」
リゼットは「ふふっ」と嬉しそうに笑った。
「その黒猫は私の前にちょこんと座って、『まよっちゃったの?どこのいえの子?』と話しかけてきたのですわ。当時のセレーネは、夜の散歩を始めたばかりで、猫を装うこともしてなかったんですの。私はびっくりするよりも、黒猫が声をかけてくれた安心感の方が大きくて、「おうちがわからないの、緑の屋根の大きいお屋敷なんだけど」って言ったら、すぐに案内してくれたわ」
「セレーネ嬢が、迷子だったリゼット様を助けたのですね」
「そうなの。私は門の前に座る黒猫に向かって、心からのお礼を言ったわ。そして、何か感謝の気持ちを渡したくて、その時自分が首につけていた小さな宝石のネックレスを外して、黒猫の首にかけてあげたんです。黒猫は『ありがとう。またね』といって、夜の闇の中へ溶けるように消えていったの」
そこでリゼットは一度言葉を切り、紅茶を一口飲んで喉を潤した。
「それから数日後のこと。親同士の繋がりで、貴族の令嬢たちが集まるお茶会が開かれましたの。私はそこで、同年代の伯爵令嬢を紹介されたのですけれど……驚きましたわ。彼女の首元には、私が黒猫にあげたあのネックレスが、結ばれていたのですから」
「なるほど。そこで点と点が繋がったわけですね」
「ええ。お茶会の間、彼女はずっと無表情で口数も少なかった。でも、私にはわかりました。この子は感情を出さないだけで、本当は迷子の小さな子どもを放っておけないくらい、誰よりも優しくて温かい心を持っているんだって。だから私は、お茶会が終わる頃には彼女の横にぴったりとくっついて、絶対に親友になると決めたんですの」
リゼットは窓の外、年末の賑わいを見せる街並みへと視線を向けた。
「セレーネは本当に不器用ですわ。自分の気持ちを言葉にするのが苦手で、誤解されやすい。マクシミリアン様に婚約破棄された時も、彼女は一切の弁明をしませんでした。でも、私は彼女の本当の美しさを、誰よりも知っています。だからこそ、学園でのいじめや理不尽な噂から、私が盾となって彼女を守り抜くと決めているのですわ」
親友のことを語るリゼットの表情は、普段の完璧で隙のない公爵令嬢としての顔ではなく、年相応の、純粋で深い愛情に満ちたものだった。
その太陽のように温かく、極上の笑顔を目の当たりにしたクロードは、胸の奥で何かがトクンと鳴るのを感じた。
クロード自身も、幼い頃からルシアンの側近として、彼の無鉄砲な行動や不器用な恋の暴走に振り回され、必死にブレーキ役を務めてきた苦労人だ。
主君のために裏で奔走し、時には泥を被ることも厭わない。
そんな自分の立場と、親友のために笑顔で盾となるリゼットの姿が、不思議なほど重なって見えたのだ。
ただの利害が一致した協力者。そう思っていたはずの彼女が、今はひどく眩しく、魅力的な女性に見える。
「リゼット様は……本当に、お優しくて、強くて……美しい方ですね」
無意識のうちに口からこぼれ落ちたその言葉に、クロード自身が一番驚いて目を見開いた。
「え……?」
不意の賛辞に、リゼットもパチパチと瞬きをしてクロードを見つめ返した。
彼女の頬が、ほんのりと赤く染まる。
「な、何を急に仰るんですの。私はただ、セレーネのお節介を焼いているだけですわ」
「……失礼いたしました。あまりにもあなたの笑顔が素敵だったので、つい本音が漏れてしまいました。わ、忘れてください…」
クロードが慌てて咳払いをしてカップに口をつけるが、耳まで真っ赤になっているのは隠しきれていない。
リゼットもまた、扇を広げて口元を隠し、気まずそうに視線を泳がせていた。
年末の冷たい風が窓ガラスを叩く中、カフェの奥の席だけは、温かい暖炉の火よりもさらに熱を帯びていた。
ルシアンとセレーネの恋を応援するために結成された保護者同盟だったが、彼ら二人の間にも、間違いなく新しい感情の種が芽吹き始めていた。




