【第20話】学園祭と重なる思い出
爽やかな秋晴れの空の下、王立学園は一年で最も賑やかで熱気に満ちた日を迎えていた。
今日は待ちに待った学園祭だ。普段は厳格な雰囲気の漂う学園の敷地内も、今日ばかりは色とりどりの装飾が施され、生徒たちの弾むような笑い声がどこからともなく響き渡っている。
私のクラスは、午前中から午後のティータイムにかけてカフェを出店することになっていた。
私はかつての家庭科実習で、頑張って作ったシナモンクッキー炭味の実績を高く買われ、ホールでの給仕係を任命された。
フリルがあしらわれた可愛らしいメイド風のエプロン姿という、普段の私なら絶対に選ばない装いだけれど、クラスメイトたちの「セレーネ様には絶対にこれが似合います!」という熱意に負けて着る羽目になってしまった。
私は着替えを終えて、鏡の前に立ってみた。
うん、かわいい。確かにかわいい……服が。
とてつもなく恥ずかしいが、これもお仕事だ。私は淑女として恥じらいを投げ捨て、全力で給仕に励んだ。
「いらっしゃいませ。こちらのお席へどうぞ」
「ご注文はお決まりでしょうか。はい、特製ケーキセットがお二つですね。少々お待ちくださいませ」
感情の起伏が乏しいとよく言われる私の接客だが、なぜか「クールビューティーな給仕さんがいる」「冷たい視線でお茶を出されるのがたまらない」と一部の生徒たちの間で変な評判になってしまい、私たちのカフェは朝から大盛況だった。
ひっきりなしに訪れる客の対応で忙しさに目を回しそうになっていたお昼時。
カランコロン、と入り口のドアベルが鳴り、ひときわ目立つ集団が店にやってきた。
「セレーネ、頑張っているね。そのエプロン姿、すごく似合っているよ!」
過保護なシオンお兄様が、満面の笑みで私に向かって大きく手を振っている。
その後ろには、ルシアン様とクロード様、そして私の親友であるリゼットの姿があった。圧倒的な美貌を誇る四人が揃って入ってきたことで、ただでさえ混雑していた店内の視線が一気に彼らへと集中し、ざわめきが広がった。
「セレーネ、本当によく似合っている。世界一可愛い給仕さんだね」
ルシアン様が、あの美しい碧い瞳を細めて私に甘い言葉を投げかけてくる。
彼が本当にアランなら、どうしてこんな風に笑えるのだろう。やっぱり別人なのだろうか。それとも、人間の私と黒猫の私を完全に切り離して考えて、人間の私には親戚の友人として愛想良く振る舞っているだけなのだろうか。
疑問と不安が頭をよぎるが、今は給仕の仕事中だ。私は沸き上がる感情を無理やり胸の奥に押し殺し、完璧な淑女の笑みを顔に貼り付けて彼らの注文を取った。
慌ただしい午前中の当番が終わり、午後からは自由時間となった。
私は窮屈だったエプロンを外していつもの制服に着替え直し、リゼットと共に学園祭の出し物を見て回ることになった。
中庭に立ち並ぶ屋台からは、香ばしい串焼きや甘いクレープの匂いが漂い、すれ違う生徒たちは皆一様に笑顔を浮かべている。
各クラスが趣向を凝らした展示や、迷路、お化け屋敷などをいくつか回りながら歩いていると、さすがに少し足が疲れてきた。
「ふぅ。お祭りの空気って活気があって好きだけれど、ずっと歩き回っていると疲れるわね」
私が小さく息をつくと、隣を歩いていたリゼットが楽しそうに提案してきた。
「ねえセレーネ。この後、講堂で隣のクラスが演劇を発表するらしいの。座って少し休むついでに、見に行きましょうよ」
「演劇?ええ、いいわよ。隣のクラスってことは、ルシアン様たちも出るのかしら」
「ええ、主役みたいだし、台本作りにも参加したんだって。せっかくだから応援に行きましょう」
私たちは人波を掻き分けながら、学園の敷地の奥にある大講堂へと向かった。
しかし、講堂の重厚な扉を開けて中に入った瞬間、私は思わず絶句してしまった。
広い講堂内は、すさまじい数の女子生徒たちで溢れ返っていたのだ。客席はほとんど満席で、通路にまで人が溢れ、立ち見も出ているほどの異常な熱気だ。
どうやらここにいる大半の生徒たちは、純粋に演劇のストーリーを楽しみに来たというよりは、王子様のようなルシアン様と、クールで知的なクロード様の姿を一目見ようと押し寄せた熱狂的なファンたちのようだ。
「すごい熱気ね……。これじゃあ、座る場所なんて見つからないわ」
「仕方ありませんわね。あっちの後方の隅の席なら、まだ少し空いているみたいだから、そこに行きましょう」
リゼットに手を引かれ、私たちは人混みを縫うように進み、なんとか講堂の一番後ろ、端っこの席に腰を下ろすことができた。
ここからだと舞台はかなり遠いが、ゆっくりと座って観劇するには十分だ。
やがて講堂内の照明がゆっくりと落ち、ザワザワとしていた空気が一瞬にして静まり返る。重厚な緞帳が上がり、いよいよ演劇が始まった。
舞台の中央に登場したのは、きらびやかで豪奢な衣装を身に纏ったルシアン様だった。
ただでさえ整った容姿の彼が、スポットライトを浴びて優雅に微笑む姿は、物語の中から抜け出してきた本物の王子様そのものだ。講堂内のあちこちから、抑えきれない黄色い歓声と熱のこもった溜息が漏れ聞こえてくる。
演目のストーリーは、王子と令嬢の王道とも言えるロマンチックな恋物語だった。
二人は幼い頃、ある夜の庭園で偶然出会い、身分を超えて心を通わせる友達となる。しかし、大人たちの事情や運命のいたずらによって、二人は無理やり引き離されてしまう。
そして十数年の時が経ち大人になった二人は、とある夜会で再び出会う。しかし、お互いにあの時の幼い子供だったとは気づかないまま、運命に導かれるように再び強く惹かれ合っていくという、切なくもドラマチックな展開だ。
私は舞台を見つめながら、自然と自分自身の記憶を彼らの物語に重ね合わせていた。
幼い頃の夜に出会い、引き離され、大人になって再び出会う。
そういえば今頃、私が七歳の頃に夜の時計塔で出会った、あの泣き虫だった少年はどうしているだろうか。
どこか遠い街で元気に暮らしているのだろうか。それとも、私が知らないだけで、この広い王都のどこかですれ違ったりしているのだろうか。
もしも大人になった彼に再会したとして、私は彼だと気づくことができるだろうか。そして彼は、私をあの時のシナモンクッキーをあげた黒猫だとわかってくれるだろうか。
……それとも本当に、あの時の少年はルシアン様なのだろうか。
そんなとりとめのない感傷に浸りながら、舞台の上で繰り広げられる物語に引き込まれていく。
物語は中盤に差し掛かり、王子役のルシアン様と、ヒロイン役の可憐な女生徒が、夜のバルコニーで二人きりになるシーンへと移った。
ルシアン様はヒロインの肩を優しく抱き寄せ、その美しい碧い瞳で彼女を熱烈に見つめながら、甘く響く声でセリフを紡いだ。
「君のことが好きだ」
そのセリフが静かな講堂に響き渡った瞬間。
「キャーーーーッ!!」
会場の黄色い盛り上がりとは別に、ズキリと私の胸の奥になぜだか鋭い痛みが走った。
ルシアン様がヒロインを見つめるその優しい表情に、私はどうしても、夜の街で私を過保護に扱い、甘いお菓子をくれて、優しい手で撫でてくれたアランの面影を重ねてしまう。
やはり私は、ルシアン様にアランを重ねて見ているようだ。
講堂の暗闇の中、舞台の華やかな光を見つめながら、私は自分の心の奥底にあるアランへの確かな気持ちを、改めて確信していた。
劇はいよいよクライマックスを迎えた。
舞台の上では、二人が無理やり引き離される展開が熱演されている。
身分違いの恋を咎められ、ヒロインの令嬢が衛兵たちに腕を掴まれ、舞台の袖へと引きずられていく。王子役のルシアン様は、その手を伸ばし、彼女を奪い返そうと必死に抗うが、大勢の大人たちに阻まれて決して届くことはない。
講堂内の観客たちは皆、息を呑んでその悲劇的な展開を見守っている。
引き離されていくヒロインに向かって、ルシアン様が力いっぱい手を伸ばし、講堂の隅々にまで届くような、張り裂けんばかりの声でセリフを叫んだ。
「君がどこへ行こうとも、僕は必ず君を見つけ出し、ずっとそばにいると誓おう!」
その言葉が空気を震わせた瞬間。
私の心臓が「ドクンッ」と大きな音を立てて跳ね上がった。
今のセリフ。
単なる劇の台本にあるセリフだと言ってしまえばそれまでかもしれない。しかし、私の記憶の底には、その言葉が全く同じ響きを持って鮮明に焼き付いているのだ。
あの火事の日に、小さな広場にある噴水の縁で、夜風に吹かれながらアランたちと休憩していたあの時。
私が「いつかは終わりがきてしまうものよ」と呟いたことに対して、アランがまるでプロポーズのような真剣な声で返してくれた言葉。
一言一句、全く同じだった。
あの時の言葉に込められていた圧倒的な熱量、声の僅かな震え、そして抑揚のつけ方までが、今のルシアン様の叫びと完全に一致していたのだ。
私に過保護で、お菓子をくれて、優しい手で撫でてくれた夜の相棒。
『間違いない、彼はアランだ』
その事実をはっきりと突きつけられた私の頭は、完全にキャパシティをオーバーしてしまった。
ルシアン様がアラン。私が恋心を抱いているアラン。
ぐるぐると渦巻く思考に完全に支配され、その後の劇はまったく頭に入ってこなかった。
二人がどうやって再会を果たしたのか、どんな終わりを迎えたのかは覚えていない。
割れんばかりの拍手が講堂に響き渡り、隣でリゼットが「素晴らしい劇でしたわね」と微笑みながら拍手をしているのも、まるで水の中にいるように遠くぼんやりとしか聞こえなかった。
気がつけば学園祭も終わり、生徒たちは帰路につき始めていた。
秋の夕日が学園をオレンジ色に染め、長く伸びた影が石畳の上に落ちている。祭りの後の少し寂しげな喧騒の中、私はまだ頭の中がフワフワとした状態で、リゼットと共に校門へと向かって歩いていた。
「セレーネ、今帰りかい?よかったら一緒にかえらないか?」
背後から、爽やかでよく通る声が私を呼んだ。
振り返ると、舞台衣装からいつもの制服に着替えたルシアン様が、こちらに向かってくるところだった。
ルシアン様の顔を見たとたん、自分の顔が真っ赤になるのがわかった。
「彼はアランだ」そうはっきりと自覚した瞬間、今の彼を直視できなくなった。碧い瞳で見つめられたら、私の抱えているぐちゃぐちゃの感情がすべて見透かされてしまいそうだった。
私はあわてて踵を返し、背中越しに叫んで駆け出した。
「ごめんなさい、急用があるの!」
「えっ?セレーネ!?待って!」
ルシアン様の戸惑う声が背後から聞こえたが、振り返る余裕など微塵もなかった。
足がもつれそうになるのを必死に堪えながら、私は夕日に染まる学園の並木道を全力で走り続ける。
心臓が口から飛び出そうなくらい激しく鳴っている。
ああ、どうして人間の顔は、感情がこんなにもわかりやすく色に出てしまうのだろう。
この時ほど、自分の顔が毛に覆われていればよかったのにと思ったことはなかった。




