【第18話】お菓子な二人
休日の昼間。私は一人で王都の街へと繰り出していた。
いつもなら高級な洋菓子店のショーケースを眺めるのが好きだけれど、今日の気分は少し違った。無性に、昔からある庶民的な駄菓子が食べたくなったのだ。
目指すのは、裏通りにある小さな駄菓子屋だ。色とりどりの飴玉や、甘辛いお煎餅、素朴なクッキーなどが所狭しと並べられているそのお店は、私にとって密かなお気に入りスポットの一つだった。
今日は絶対にアレを食べるの。
私はすでに決めていたお目当てを目指して、「カランコロン」と古びたドアベルを鳴らして店内に入る。
「こんにちは」
挨拶をして店内を見渡した私は、思わず目を丸くした。
少し薄暗い店内のレジ前で、金髪の長身の青年が、両手いっぱいに抱えきれないほどの大きな紙袋を持っていたからだ。
「あ、セレーネ!奇遇だね。こんなところで会うなんて」
振り返ったのは、なんとルシアン様だった。学園での制服姿とは違う、少しラフで動きやすそうな私服姿だ。その出で立ちは、夜の街を一緒に駆け回っていたアランの姿とどうしても重なり、またしても私の胸を小さく跳ねさせる。
「ルシアン様……ごきげんよう。でも、そんなにたくさんのお菓子、どうするんですか?」
彼が抱えている紙袋からは、甘い匂いがぷんぷんと漂っている。いくら甘いものが好きでも、一人で食べる量ではない。
私の問いかけに、ルシアン様は爽やかに微笑んだ。
「今からこれを届けにいくんだ。君も一緒にくるかい?」
「私が、ですか?」
「うん。君にもぜひ見てほしい場所なんだ。もちろん、無理にとは言わないけれど」
「え、ええ…、ただその前に、ちょっと買いたいものが……」
私はハンターの如き目で店内を素早く探る。
ない、…ない、…ない、……あ、あった!
な、なんということでしょう。私のお目当てのお菓子がすべて、ルシアン様の紙袋に入っているじゃありませんか。
えぇっと…「少し買い取らせてください」いや、それもなんだか違う気がする。
くぅ、しょうがない、今日はあきらめて、ルシアン様にお付き合いするとしましょう。
「…わかりました。…少しだけなら、お供しますわ」
実際、大量のお菓子の行方も気になりましたし、彼がどんな場所に向かうのかという好奇心もあり、私は小さく頷いた。
「ありがとう!それじゃあ行こうか」
私たちは並んで秋の王都を歩き出した。彼と二人きりで昼間の街を歩くのは初めてのことで、なんだか少し落ち着かない。
やがて彼が案内してくれたのは、王都の外れにある、古びているが手入れの行き届いた大きな建物だった。
「ここは……?」
「この街の孤児院さ」
彼が門を開けて敷地に入った途端、中庭で遊んでいた子どもたちが一斉にこちらへ振り向いた。
「あっ、ルシアンにーちゃんが来たぞ!」
「にーちゃんだ!今日もお菓子持ってきた?」
わぁっと歓声を上げて、小さな子どもたちがルシアン様の周りに群がってくる。
彼は抱えていた紙袋を地面に置き、屈み込んで子どもたちと目線を合わせた。
「ただいま。今日もいっぱいお菓子を持ってきたよ。みんな、いい子にしてたかい?」
「うん!おれ、昨日のお勉強ちゃんとできたよ!」
「わたしも、お手伝いした!」
子どもたちにもみくちゃにされながら、ルシアン様は本当に楽しそうに笑っている。学園で見せる完璧な貴族の微笑みとは違う、もっと素朴で、温かい笑顔だ。
「まあ、ルシアン様。こんにちは、いらしてくださったのですね」
建物の奥から、修道服を着た年配のシスターが穏やかな笑顔で歩いてきた。
「こんにちは、シスター。急に来てしまってすみません」
「とんでもない。子どもたちも大喜びですわ」
シスターは私の方を見て、少し不思議そうに首を傾げた。
「そちらのお嬢様は?」
「学園の友人です。たまたま街で会ったので、一緒に来てもらいました」
「セレーネ・アシュフォードと申します」
私が軽く頭を下げると、シスターは優しく微笑んでくれた。
「まぁ、素敵なお嬢様ね。ルシアン様は、こうして定期的に子どもたちにお菓子や文具を持って来てくださるんですよ。お休みの日はクロード様と一緒に来られて、日が暮れるまで子どもたちと遊んでくれたり、お勉強も教えてくださるんです」
「ルシアン様が、ですか……?」
私は驚いてルシアン様を見た。高位の貴族が、孤児院の支援のために寄付金を出したりすることはある。けれど、こうして自ら足を運び、泥だらけになって子どもたちと触れ合う貴族など、滅多にいるものではない。
「こら、順番だぞ。喧嘩しないように分けるんだ」
子どもたちにお菓子を配る彼の手つきはとても慣れていて、この場所が彼にとって特別なのだということが痛いほど伝わってきた。
夜警団として街の治安を守り、昼間はこうして孤児院の子どもたちに無償の愛を注いでいる。
その真っ直ぐな優しさに触れ、私の胸の奥で、ルシアン様という一人の人間に惹かれる気持ちがまた少し強くなっていくのを感じた。
「ほら、セレーネ。何をしてるんだい?君もお菓子の列に並ぶんだ」
「え、私も?…いいんですか?」
「もちろん!セレーネにお菓子をあげないなんて、神様が許しても、僕が許さないよ」
「ふっ、うふふっ……なんですか?それ」
出会った当時はルシアン様の前で、こんなに自然に笑えただろうか。
「さぁ、どれがいい?」
「じゃ、じゃあ、…これを」
「はい、どうぞ。お姫さま」
彼は少しおどけて、お菓子を手渡す。
ああっ!一度はあきらめた、私の『ねりねるまぜるね』様。
い、いけないっ!今淑女として、完全に気を抜いた顔をしていた気がするわ。ふぅ、でもどうやら今日は、いい日になりそうだわ。
「ねえねえ、お姉ちゃん!」
ふと、私の服の裾を小さな手がきゅっと引っ張った。
見下ろすと、六歳くらいの女の子が、目をキラキラさせて私を見上げている。
「お姉ちゃん、黒い髪だね!すごくきれい!」
「え……」
黒髪を面と向かって褒められるのは珍しいことで、私は少し戸惑った。
すると、他の子どもたちも私の周りに集まってきた。
「ほんとだ!絵本の妖精さんみたい!」
「黒髪の猫妖精のお姉ちゃんだ!」
「妖精さん、魔法使える?」
子どもたちが口々に言いながら、私の周りをぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「黒髪の猫妖精……」
それは、あの火災事件よりも前、昼間に起きた馬車の暴走事件の後に流行り出したという絵本のことだ。
まさか、こんな小さな子どもたちにまでその話が広まっているなんて。厄災の象徴だと忌み嫌われていた黒髪が、今では子どもたちの憧れの的になっている。
その事実がなんだかくすぐったくて、私は自然と頬が緩むのを感じた。
「魔法は使えないけれど、一緒に遊ぶことはできるわよ」
私がそう言って微笑むと、子どもたちはわああっ!と歓声を上げて私の手にしがみついてきた。
「お姉ちゃん、こっち来て!」
「鬼ごっこしよ!」
私は子どもたちに手を引かれ、中庭の芝生へと連れ出される。
ふと視線を感じて振り返ると、ルシアン様が少し離れた場所から、とても優しい目で私を見つめていた。
秋の柔らかな日差しの下で、私は彼と共に、子どもたちの笑い声に包まれながら穏やかで楽しい時間を過ごした。
中庭を駆け回り、すっかり息が上がったところで、私たちは縁側に座って休憩をとることになった。
子どもたちと一緒に、ルシアン様が買ってきた駄菓子を広げる。
彼は自分の分の小さなクッキーを手に取り、本当に美味しそうに頬張っていた。
「ルシアン様は、甘い物がお好きなんですね」
私が何気なくそう尋ねると、彼はどこか自慢げに、そして自分が大発見をしたかのように胸を張って答えた。
「うん。甘いものを食べると、心が元気になるんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、私の時間がピタリと止まった。
『甘いものを食べると、心が元気になるんだよ』
それは十年前、夜の時計塔で泣いていた少年にシナモンクッキーを渡した時、私が得意げに教えた言葉そのものだったからだ。
目の前で無邪気に笑うルシアン様の顔に、あの時の寂しそうだった少年の面影が重なる。
「それ、どうやって食べるの?」
ルシアン様が私の手元の『ねりねるまぜるね』に興味を示す。
「ふふっ、見ててくださいね。少しお水を入れたコップに、この粉を入れてスプーンで混ぜると、…ほら、泡が出て膨らむんです。柑橘類の成分と、重曹が反応してるんですよ」
「へぇー、面白いね。そういうの一度も食べたことないや」
「そうなんですか?じゃあ、一口どうぞ」
「ああ、ありがとう。……うん、意外といけるね。酸味と甘さとふわふわした感じが他では味わえないね」
どうやらルシアン様も、この魅力をわかってくれたようだ。
…わかってくれたようだ……うん……えーっと、このスプーンを私が使うということは、…つまりそういうことで……。
「す、すごくおいしいねこれ!残りもよかったらもらえるかな!せ、セレーネは新しいのを食べなよ」
そういって、ルシアン様は私の手元からコップを取り上げ、背中を向けて食べ始めた。
彼の耳は見たこともないくらいに真っ赤に染まっていた。
「お姉ちゃんとお兄ちゃんは恋人同士なの?」
不意に、隣で棒付き飴を舐めていたおませな女の子が、不思議そうな顔で私たちを見上げて聞いてきた。
「えっ!?ち、違うわよ!私たちはただの学園の同級生で……」
私が慌てて否定しようとした、その時だった。
「ふふっ、そうなれたら嬉しいんだけどね」
ルシアン様は女の子に向かって、とびきり優しく、甘い笑顔でそう答えたのだ。
「ーーっ!」
間接的な、いや、ほとんど直接的な告白に、私の頭は完全にパニック状態に陥った。
顔から火が出そうなくらい熱い。いや、出てるんじゃないかこれ?
心臓の音がうるさすぎて、子どもたちの無邪気な笑い声も遠く聞こえるほどだった。
いろいろと心が落ち着かず、気がつけば夕暮れ時になり、私たちは子どもたちとシスターに見送られて孤児院を後にした。
オレンジ色に染まる王都の街並みを、二人で並んで歩く。
先ほどの爆弾発言のせいで、私は緊張して口も利けない状態だったが、隣を歩くルシアン様はいつも通り穏やかな様子だった。
やがて、彼がポツリと口を開いた。
「君にだからいうんだけど、実は僕は幼い頃少しだけ、家庭の事情であの孤児院にいたことがあるんだ」
「え……」
予想外の告白に、私は弾かれたように彼を見上げた。
「最初はとても辛い日々だったんだけど、あの孤児院にいたからこそ出会えた、大切な人がいるんだ」
ルシアン様は立ち止まり、夕日を背にして私の目を真っ直ぐに見つめた。
彼の碧色の瞳の中に、私の姿がはっきりと映っている。
『大切な人』
その言葉の重みに、私の頭の中は限界を迎えていた。
ルシアン様は、あの時計塔で出会った少年なの?
でも、身のこなしや態度は絶対にアランだ。
アランがルシアン様で、あの子がアランで、ルシアン様があの時の少年……?
つまり、あの泣き虫だった少年が立派な青年になって、私を探してくれていたということ?
あの少年は公爵家の親戚に引き取られたってこと?
思考回路が完全にショートし、ぐるぐると同じ疑問が頭の中を駆け巡る。
わけがわからなくなってしまった私は、その後の彼との会話を全く覚えておらず、気がついたらアシュフォード伯爵家の屋敷の玄関に立っていた。
「おかえりなさいませ、セレーネお嬢様」
「おかえり、セレーネ。目的のお菓子は買えたかい?」
エントランスに出迎えてくれた、執事のアルフレッドとシオンお兄様が、ふらふらと歩いてきた私を見て優しく声をかけてくれた。
私は焦点の定まらない目でお兄様を見上げ、にっこりと微笑んで答えた。
「ええ、いいお天気だったわ、お兄様」
「……うん?お菓子はどうしたんだい?」
「そうね、子どもたちはとてもかわいかったわ」
会話のキャッチボールがうまくいかない私を見て、シオンお兄様は「どこか具合が悪いのかな……?」と本気で心配そうに首を傾げている。
「ほっほっほっ、あのご様子は心配ございませんよ。お嬢様もお年頃ということです」
「う、うん?お年頃…なのか?」
シオンお兄様は、アルフレッドが言わんとしていることがよく理解できなかったようだ。




