【第16話】空回りの王子様
秋の気配が深まる王立学園で、私は最近ある悩みを抱えていた。
隣のクラスに編入してきた超絶美形の転校生、ルシアン様のことだ。
あの日、中庭で言葉を交わして以来、彼はやたらと私に話しかけてくるようになった。
廊下ですれ違えば「セレーネ、今日の髪飾りも素敵だね」と声をかけられ、中庭を歩いていれば「奇遇だね、一緒に歩かないか?」と爽やかな笑顔で近づいてくる。
彼は親友であるリゼットの親戚だ。きっと、右も左もわからない学園生活で、身内の友人である私に親愛の情を示してくれているのだろう。
しかし、私にとっては少々ウザ……距離感が近すぎる。
彼の顔や声、ちょっとした仕草に、どうしても夜の相棒であるアランの面影を重ねてしまい、その度に胸が苦しくなってしまうからだ。
だから私は、彼に声をかけられるたびに「ごきげんよう、ルシアン様」と軽い挨拶だけで対応していた。
身分が上の方に対して、ちょっと塩対応すぎるかしら…。
ーー
ある日の昼休み。
私が次の授業の準備のために廊下を歩いていると、少し先の窓際に人だかりができているのが見えた。
中心にいるのはルシアン様だ。そして、彼にぴったりと身を寄せ、上目遣いで話しかけているのは、マクシミリアン様の現在の婚約者であるイザベラ様だった。
「ルシアン様ぁ、私、ここの歴史の授業がどうしてもわからなくて。よろしければ、放課後にでも教えていただけませんか?」
イザベラ様は自慢の金髪を揺らし、甘ったるい声を出して彼に絡んでいる。
彼女の周りには取り巻きの令嬢たちもいて、ルシアン様は完全に包囲されていた。
その光景を見た瞬間、私の胸の奥に、もやもやとした黒い感情が渦巻いた。
なんだろう、この胸のざわつきは。
ルシアン様が誰と親しくしていようと私には関係のないことなのに、どうしてこんなに不快な気分になるのだろう。
きっとこれは、イザベラ様とはこれ以上関わり合いになりたくないという防衛反応だろう。
私は胸のモヤモヤをそう結論づけ、彼らと目を合わせないように足早に通り過ぎようとした。
しかし、私が彼らの横を通り抜けようとしたその時だった。
「あ、セレーネ!」
私を見つけたルシアン様が、パッと顔を輝かせて声を張り上げた。
彼は自分にすり寄っていたイザベラ様を完全に無視し、包囲網をあっさりと抜け出して私の元へと駆け寄ってきた。
残されたイザベラ様は、会話を途中でぶった切られた上に放置され、信じられないものを見るように目を丸くして固まっている。
「セレーネ、奇遇だね。探していたんだ」
「……ルシアン様。何か御用でしょうか」
私が足を止めずに平坦な声で返すと、彼は少し困ったように眉を下げた。
今まで何度も声をかけては空振りに終わっていた彼だが、今日はどこか自信ありげな笑みを浮かべている。
「今日は僕と、お昼をご一緒してもらえないか?実は、君が好きそうな美味しい焼き菓子を持ってきたんだ」
『美味しい焼き菓子』
その魅惑的な単語が耳に入った瞬間、私の足が床に縫い付けられたようにピタリと止まった。
ルシアン様が持っている小さな包みからは、ふわりと甘いバターの香りが漂ってくる。
いい香り。これはきっとフィナンシェだわ。この私がお菓子の香りを間違えるはずなんてないんですもの。
一瞬、彼の魅力的な提案に絆されそうになり、私の決意がグラグラと揺らぐ。
しかし、ここで彼とお茶などしてしまえば、またあのアランに似た笑顔を間近で見ることになり、私の心臓が持たないだろう。
そう、私はもう気付いてしまった。私はアランに恋をしていると。
私は淑女として培ってきた鉄の意思を総動員し、涼しい顔で甘い誘惑を断ち切った。
「せっかくのお誘いですが、本日はこれからリゼットと約束がございますので、遠慮させていただきます。それでは、ごきげんよう」
私は完璧なカーテシーを披露すると、甘い香りに後ろ髪を引かれながらも、一切振り返ることなくその場を立ち去った。
「あっ、セレーネ!また明日も誘うからね!できれば僕に少しだけ時間をちょうだい!」
背後からルシアン様のめげない明るい声が響く。
そして、彼に完全に無視され、袖にされたも同然のイザベラ様が、顔を真っ赤にしてワナワナと震えている気配が背中越しに伝わってきた。
ーー
セレーネが去った後、人気のない中庭の木陰で、ルシアンは一つ大きなため息をついた。
その横で控えていたクロードが、呆れたような、しかし純粋な疑問を込めた声で尋ねる。
「殿下、なぜアシュフォード伯爵令嬢に、そんなにご熱心なんですか?あの方と何かあったんですか?」
クロードから見れば、ルシアンが突然一人の令嬢に執着し、何度も空振りを繰り返している姿は奇妙に映ったのだろう。
ルシアンは周囲に誰もいないことを確認し、真剣な眼差しで口を開いた。
「いいか、誰にも言うんじゃないぞ……彼女はノラだ」
「は?…いやいや、彼女は人間ですよ」
クロードは眉間に皺を寄せ、主君がとうとう白昼夢を見るようになったのかと心配した。
「いいや、僕は見たんだ。ノラが彼女に変身…いや元の姿に戻るところを」
ルシアンがあの日の明け方の出来事を静かに語ろうとしたその時、背後の茂みがカサリと揺れた。
「はぁ、正体を見られたっていう青年が、まさか殿下だったなんてね。…ということは、殿下たちお二人が夜警団の青年たちってことですね」
呆れたような声と共に姿を現したのは、バラ色の髪を揺らす公爵令嬢、リゼットだった。
「やあ、リゼットこんにちは。ひょっとしてセレーネ嬢のことを知ってるの?」
ルシアンが驚きつつも声をかけると、リゼットは堂々と歩み寄り、胸を張って答えた。
「もちろん、私は小さい頃からずっと一緒なんですもの」
その言葉を聞いて、ルシアンの顔がパッと明るくなる。
「彼女は僕たちのことを何か言っていたかい?」
ぐいぐいと前のめりになるルシアンの問いに、リゼットは少し考え込んだ。
(殿下のことが好きなのかも)
そう言いかけて、リゼットは寸前で口をつぐんだ。
親友であるセレーネ本人でさえ、はっきりと自覚していないデリケートな気持ちを、他人の自分が勝手に相手に告げることはしてはいけないと思ったからだ。
「なんだか会いづらくなったって言ってましたわ」
「やっぱり…アランたちに会いたくはないんだ…」
ルシアンはあからさまに肩を落とし、見るからに落ち込んでしまった。
大型犬がしょんぼりと尻尾を下げているようなその様子を見て、クロードは静かに問いかける。
「わかりました。つまり殿下はノラ、いえセレーネ嬢に振り向いてほしいと?」
「もちろんだ。僕は夜の青年アランじゃなく、ルシアンとして彼女に振り向いてもらうんだ。僕の恩人、僕の親友、僕の初恋、彼女じゃなきゃダメなんだ」
普段の冷静で完璧な王子の姿からは想像もつかないほど、必死で情熱的なルシアンの様子に、リゼットは小さくため息を吐く。
「はぁ、わかりました。私も出来る限りお手伝いします。あの娘にまた前の婚約者みたいな、ろくでもない相手ができるくらいなら、殿下の方が百倍、いえ百万倍マシです」
「え、…か、彼女には婚約者がいるのかい?だだだだ、誰なんだいそれは?」
ルシアンが驚愕して目を見開く。
「元です、元。お相手はマクシミリアン様です。勝手なことをいって、一方的に婚約破棄を突きつけてきたんです。なので今は婚約者はいません」
「何だって!一方的に婚約破棄!なんという紳士にあるまじき行為!それにセレーネのどこが気に入らないというんだ!いや、しかしそのおかげで今は婚約者がいないのか…。ぐぅ、なんだこの複雑な気持ちは」
激しい怒りと安堵が入り交じり、頭を抱えて唸り声を上げるルシアン。
その感情の起伏の激しさとあまりの不器用さに、リゼットとクロードは思わず顔を見合わせた。
「「なんだか不安になってきました(わ)」」
二人の声が見事に重なり、秋の中庭に心配性の新たな保護者同盟がひっそりと結成されたのだった。




