【第15話】転校生は彼女に夢中
長い夏休みが終わり、王立学園に秋の新学期がやってきた。
少しだけ涼しくなった秋の風が、開け放たれた教室の窓から吹き込んでくる。
しかし、私の心は秋の空のように晴れやかとはいかなかった。
夏休みの間、私はただの一度も黒猫の姿にならず、夜の散歩にも行かなかった。
アランに正体を知られ、嫌われたかもしれないという恐怖が、どうしても私の足をすくませたのだ。
毎晩、自室の窓から夜空の月を見上げては、あの三人ですごした時間を思い出して胸を痛める。
会いたいな。
でも、嫌悪に満ちた瞳で私を見られるのが怖い。
そんな葛藤を抱えたまま、私の長い夏休みは悶々と過ぎ去ってしまったのだ。
今日から始まる新学期の教室は、朝から異様な熱気とざわめきに包まれていた。
「ねえ聞いた?今日、隣のクラスにすごいイケメンが二人も編入してきたらしいわよ」
「ええ、聞いたわ!なんでも、どこかの高位貴族のご子息だとか」
周囲の女生徒たちが、頬を紅潮させてひそひそと囁き合っている。
私は小さくあくびを噛み殺し、隣の席で涼しい顔をして読書をしているリゼットに声をかけた。
「ずいぶん騒がしいわね。まぁ、転校生が来るなんて珍しいものね」
「ふふっ。実はね、その転校生のうちの一人は私の遠い親戚なのよ。諸事情でこの学園に通うことになってね」
「リゼットの親戚?それはすごいわね」
公爵家であるリゼットの親戚となれば、かなりの身分であることは間違いない。
とはいえ、隣のクラスの話だし、今の私にはアランへの想いで頭がいっぱいで、見ず知らずのイケメン転校生になど全く興味が持てなかった。
最近心が元気じゃない。
「帰りはスイーツでも食べに行こうかな…」
ーー
一方、その頃。
隣のクラスでは、教師に連れられて教室へと足を踏み入れた二人の青年の姿に、女生徒たちから息を呑むような小さな悲鳴が上がっていた。
一人は、アッシュグリーンの長髪を後ろで束ねた、知的で涼しげな顔立ちの眼鏡の青年。
そしてもう一人は、太陽の光を集めたような眩しい金髪と、彫刻のように整った顔立ちを持つ、爽やかな青年だった。
彼らが教室に現れた瞬間、それまで学園一のイケメンともてはやされていた元婚約者のマクシミリアンが、ただの石ころのように完全に霞んで見えた。
「ルシアン・ド・ローゼンマイヤーと申します。そしてこちらは、私の付き人兼護衛として共に編入することになったクロードです。皆様と共に学べることを、嬉しく思います」
ルシアンと名乗った金髪の青年が、極上の微笑みを浮かべて優雅にお辞儀をする。
「きゃっ。こっちを見たわ。ルシアン様すてきー」
「私はクロード様だわ。あのクールな感じがたまらないわ」
彼らのその洗練された立ち振る舞いと圧倒的な美貌に、女生徒たちの目は完全にハートマークになっていた。
実は彼らがこの学園に編入してきたのには、極秘の理由があった。
国内の優秀な貴族の子息や令嬢が集まるこの学園で、第三王子であるルシアンの将来の婚約者候補を探すようにと、国王から直々の命を受けていたのだ。
身分を隠し、公爵家であるリゼットの遠い親戚という名目で送り込まれたのもそのためである。
しかし、当のルシアンの心の中には、婚約者探しなど微塵も入っていなかった。
「殿下、女生徒たちの熱視線がすごいですね。この調子なら、婚約者候補などすぐに見つかるのではありませんか」
隣に立つクロードが、誰にも聞こえないほどの小声で耳打ちをする。
「クロード、僕は婚約者候補なんか探す気はないよ。もう、心に決めた人がいるんだから」
ルシアンもまた、微笑みを崩さないまま小声で返した。
心に決めた人。
それは、あの日以来パタリと夜の街に姿を見せなくなってしまった、愛しい黒猫のノラのことだった。
夏休みの間、ルシアンは毎晩のように夜の街を探し回ったが、彼女を見つけることはできなかった。
あの日、朝日の中で人間の姿に戻っていく彼女の後ろ姿が、どうしても頭から離れない。
歳の頃は同じくらいに見えたあの子は、この学園にいるのだろうか?
別の学校にいるのか、または学生の身分ではないのだろうか?
大っぴらに聞き込みをして、彼女の耳にその噂が入ってしまったら、きっとますます僕から離れていってしまうだろう。
なんとしても普段の生活の中で、自分の力で彼女を探さなければならない。
令嬢たちから向けられる熱烈なアピールも適当にかわし、ルシアンは学園生活の中で黒猫の少女を探す決意を固める。
「ところで、最近ずっと図書館にかよっているようですが、何かお探しの本があるのですか?殿下」
「本よりずっと大切なものさ……」
放課後、クロードにそう聞かれた時も、彼は空を仰ぎ見て曖昧な返事しかできなかった。
ただひたすらに、あの気高くて美しい相棒に会いたい。
その想いだけを胸に秘めながら、ルシアンは本来の目的とは違う学園生活を、送ることになったのであった。
ーー
ある日の昼休み。
ルシアンは令嬢たちの熱烈な囲みから逃れるように、一人で学園の中庭を散歩していた。
少しでも静かな場所をと歩き回り、人影の少ない藤棚に差し掛かった時のことだ。
ルシアンの足がピタリと止まり、心臓が「ドクン」と大きく跳ねる。
木漏れ日が揺れるベンチに、一人の女子生徒が座って本を読んでいた。
長くまっすぐな、絹糸のような黒髪。
王国であのような美しい黒髪を持つものは、二人といないだろう。
休日に街の図書館で見かけた無防備な寝姿。そして何より、あの火事の日の明け方、朝日の中で人の姿に戻りながら駆けていった少女の後ろ姿と、全く同じだった。
間違いない、彼女だ。
「……ノラ」
無意識にその名前を呼びそうになり、ルシアンは慌てて口元を手で覆った。
やっと見つけた。愛しい初恋の相手であり、背中を預け合った夜の相棒。
今すぐ駆け寄って、僕がアランだと正体を明かして抱きしめたい。
しかし、ルシアンの頭にふとある考えがよぎった。
なぜ彼女は、あの日を境に夜の街へ来なくなってしまったのか。
答えは明白だ。人間に戻るところを見られたからだ。
もし今、僕がアランだと名乗り出たらどうなるだろう。
彼女は自分の正体がバレていたことに羞恥や恐怖を感じ、今度こそ完全に僕の前から逃げ出してしまうのではないか。
だめだ!それだけは絶対に嫌だった。もう二度と、彼女を失いたくない。
なら、アランであることは今は伏せておくんだ。
今の自分、ルシアンという一人の人間として彼女と初めて出会い、ゼロから好きになってもらえばいい。
そうだ、もう一度、出会いからやり直すんだ。
ルシアンは小さく深呼吸をして覚悟を決めると、極上の微笑みを顔に貼り付けてベンチへと歩み寄った。
「こ、こんにちは。こんなところで一人で読書かい?」
不意に頭上から声をかけられ、私は読んでいた本からゆっくりと顔を上げた。
そこに立っていたのは、太陽のように眩しい金髪を持った青年だった。
隣のクラスに編入してきたという、噂の超イケメン転校生、ルシアン様だろう。
至近距離で見る彼の顔は確かに整っていて、女生徒たちが騒ぐのも無理はないと納得できる。
けれど、彼と真正面から目を合わせた瞬間、私の心臓がトクンと小さく跳ねた。
この前女生徒に囲まれているところを遠目から見た時も思ったけれど、近くで見ると余計にアランに似ている気がする。
それだけじゃない。彼が微笑んだ時の口元や、少しだけ首を傾げる仕草。
それがなぜか、私が七歳の頃に時計塔で一緒にシナモンクッキーを食べた、あの少年の面影とも重なって見えたのだ。
「……何か、私に御用でしょうか?」
私は動揺を隠し、極力感情を交えない平坦な声で尋ねた。
彼は私の冷たい態度に気を悪くするどころか、さらに嬉しそうに目を細めた。
「君の黒髪がとても綺麗だったから、つい声をかけてしまったんだ。僕はルシアン。君の名前は?」
「セレーネ・アシュフォードです。どうぞよろしく、ルシアン様」
「セレーネ。月のように美しい名前だね。そうか、君はアシュフォード伯爵家の御令嬢なんだね」
甘い言葉を囁きながら、彼が私の隣に座ろうとする。
私は本を閉じ、すっと立ち上がった。
「お褒めにあずかり光栄です。ですが、もう昼休みも終わりますので、私はこれで失礼いたします」
これ以上彼と一緒にいたら、胸の奥がざわついて変になりそうだった。
彼からアランや時計塔の少年の面影を感じてしまうのは、私が彼らに会いたいと願いすぎているからだ。
あの少年は孤児だったのだから、彼のような高位貴族のはずがない。完全に他人の空似だわ。
私は心の中でそう結論づけ、ルシアン様に一瞥もくれることなく、足早に藤棚から立ち去った。
残されたルシアンは、あっさりと逃げられてしまったベンチで一人、クスクスと笑い声を漏らしていた。
「ふふっ、見事に塩対応だ。でも、警戒しているあの冷たい目も最高に可愛いな。再会した時のノラとそっくりだ」
ルシアンは彼女の後ろ姿を見つめながら、胸の奥で静かに誓いを立てた。
絶対に君の心を溶かして、必ず僕に振り向かせてみせる、と。




