【第10話】胸の痛みと深夜の大捕物
私はいつものように、アランとジャックと共に夜の王都をパトロールしていた。
繁華街の路地裏を抜けて少し開けた通りに出たところで、私たちは二人の女性と出くわした。
彼女たちの顔の上半分には、アランたちと同じような意匠の仮面がつけられている。
服装こそ地味な平民のものを着崩しているが、立ち振る舞いや微かに香る高級な香水から、どこかの貴族の令嬢であることは明白だった。
親の目を盗んで、お忍びで夜遊びをしているのだろう。
「ねえ、そこのお兄さんたち。夜回りなんて退屈じゃない?よかったら、私たちと一緒に飲みに行かない?」
女性の一人が、甘い声を出してアランの腕にすり寄ろうとする。
もう一人はジャックに熱い視線を送っていた。
私は少し離れた塀の上から、尻尾を揺らしながらその様子を眺めていた。
アランは仮面越しでもわかるほどの超イケメンだし、ジャックも知的で整った顔立ちをしている。夜の街でもひときわ目立つ二人だから、こうして声をかけられるのは珍しいことではない。
さて、アランはどうやって断るのかしら。…断るわよね?
なぜだかちょっとイライラしている自分に気づいた。
そう思って見ていると、彼はすっと冷たい声を出した。
「お嬢さん方、はやく帰りなさい。僕はこんな遅くにふらふらしている女性とは付き合いたくはない」
普段、私に向けるような甘くて優しい声とはまるで違う、完全な拒絶だった。
あまりにストレートで無情な言葉に、女性たちは顔を引きつらせた。
「な、なによ偉そうに……!行きましょう!」
プライドを傷つけられた彼女たちは、顔を真っ赤にして足早に去っていった。
ジャックが少しだけ呆れたようにため息をつく。
「アラン……いくらなんでも、女性にあれは少し言い過ぎではありませんか?」
「事実だろう。夜の街は危険だ。ましてや暗黙であれ貴族とわかる格好をしている以上、もっと状況判断をすべきだ」
その言葉を聞いた瞬間。
私の胸の奥が、鋭い針でチクリと刺されたように痛んだ。
こんな夜遅くに、ふらふらして、状況判断が出来ない女。
それって、まさに今の私のことではないかしら。
今は黒猫の姿だから、アランは私を相棒として扱い、過保護なまでに可愛がってくれている。
けれど、もし私の正体が、夜な夜な家を抜け出して街をうろついている貴族令嬢だと知ったら…。
『君もあんな軽率な女性たちと同じだったのか?』と、きっと彼に軽蔑される。嫌われてしまう。
今までのように、優しく笑いかけてはくれないだろう。
その事実が不意にリアルな輪郭を持って迫ってきて、私は小さく尻尾を下げた。
「ノラ、どうした?そんなところで固まって。おいで」
アランがいつものように甘い声で私を呼んで両手を広げる。
「……別に、なんでもないわ」
私は少しだけ顔を背け、彼に抱き上げられるのを避けるようにして、自分の足で地面を歩き出した。
もし私が人間だとバレてしまったら、この心地よい居場所はなくなってしまう。
そんな不安が、胸の奥に黒いもやのように広がっていくのを感じていた。
どうしてこんなに彼の言動に、胸が苦しくなるのかしら……。
少し気まずい私の感情を知る由もなく、私たちはパトロールを続け、王都の外れに近い裏通りへと足を踏み入れた。
ーー
ノラが少しだけ口数を減らしたような気がしたが、気まぐれな猫の感情を読み取るのは難しい。
僕たちはパトロールを続け、表通りの店舗の裏口が立ち並ぶ、少し暗い裏通りへと足を踏み入れた。
ここは大きな商館や宝石店などの勝手口が並ぶ場所だ。
夜更けの静寂の中、不意に前方の宝石店の裏口が乱暴に開かれた。
「急げ!見回りが来る前にずらかるぞ!」
押し殺した声と共に、黒い服を着て顔を布で隠した三人組の男たちが店から飛び出してきた。
そのうちの一人は、中身がぎっしりと詰まっているであろう重そうな革袋を抱えている。
どう見ても、ただの夜の散歩ではない。
僕とジャックが道に立ち塞がると、男たちは舌打ちをした。
「ちっ、こんなところに夜警気取りの坊ちゃんたちがきやがった!」
革袋を持った男が、残りの二人に怒鳴る。
「お前ら、こいつらを足止めしろ!俺は先に行く!」
そう言って、男は宝石を抱えたまま、僕たちに背を向けて一目散に路地の奥へと逃走を図った。
「逃がさないよ」
僕が追いかけようと足を踏み出した瞬間、それよりも速く、足元からしなやかな黒い影が飛び出した。
「にゃあ!」
短い鳴き声と共に、ノラが弾丸のようなスピードで逃走した男の後を追っていく。
「ノラ!危ないよ!」
僕が思わず叫ぶと、ノラは走りながら一度だけ振り返り、ピンと立てた尻尾を振って見せた。
『こっちは任せて』と言わんばかりの頼もしい姿に、僕は少しだけ安堵する。
「ジャック、ノラに怪我をさせるわけにはいかない。こっちをすぐに片付けて加勢しよう」
「ノラに追われた泥棒の方が気の毒に思えますが、とりあえず承知いたしました」
僕たちが立ち止まったのを見て、残された二人の泥棒は懐からギラリと光るナイフを取り出した。
「舐めるなよ、坊ちゃん!痛い目を見な!」
二人が殺意を剥き出しにして、左右から同時に斬りかかってくる。
だが、僕とジャックは慌てることなく、腰に差していた護身用の短剣を静かに引き抜いた。
王宮で幼い頃から厳しい剣術の訓練を積んできた僕たちにとって、ただの街のゴロツキのナイフなど、単調すぎてあくびが出そうだ。
「遅すぎる、止まって見えるよ」
僕は男の突きを最小限の動きで躱すと、短剣の柄で男の手首を正確に打ち据えた。
カランッ、と石畳にナイフが落ちる。
「痛っ……!」
怯んだ男のみぞおちに、すかさず軽い蹴りを叩き込む。
男は白目を剥いて、そのまま崩れ落ちた。
隣では、ジャックも全く同じように、無駄のない流麗な動きで相手の武器を弾き飛ばし、あっさりと気絶させていた。
「だ、…誰か来てくれ!強盗だ!…強盗に入られた!」
二人の男を縛り上げていると、宝石店の裏口から、手足を縛られた状態の店主が這うようにして出てきた。
どうやら猿ぐつわを自力で外したらしい。
「大丈夫ですか。怪我はありませんか」
僕が急いで店主の縄を解くと、店主は涙を流して僕たちの手を取った。
「おお、お兄さんたち!こいつらを捕まえてくれたんですね!ありがとうございます!……ああっ、でも肝心の宝石がない!たしか三人いたんだ!きっともう一人が店の目玉を全て持ち去ってしまったんだ。あれがないと店は潰れてしまう!」
店主が頭を抱えて絶望していると、通りの向こうから複数の足音が聞こえてきた。
「おい、何事だ!騒ぎが聞こえたぞ!」
駆けつけてきたのは、王都の治安を預かる憲兵たちだった。
倒れている泥棒と僕たちを見て、憲兵がすぐに事情を察する。
「なるほど、噂に聞く夜警の青年たちだな。よく捕まえてくれた。だが、主犯が宝石を持って逃げたのなら厄介だな……今から追っても暗闇では難しいぞ」
憲兵が顔をしかめ、泥棒たちを連行しようとした、その時だった。
「にゃーん」
暗い路地の奥から、のんびりとした、どこか誇らしげな鳴き声が聞こえてきた。
「ノラ!」
僕が弾かれたように振り返ると、暗闇の中から美しい黒猫が優雅な足取りで歩いてくる。
そして、彼女の後ろには信じられない光景が広がっていた。
「な、…なんだあれは!?」
憲兵の一人が上ずった声を上げる。
ノラの後ろには、先ほど宝石を持って逃走したはずの男が、白目を剥いて完全に気絶した状態で、宙にふわりと浮かんだまま運ばれてきていたのだ。
男の体は、ノラが操る目に見えない風の渦に包まれ、まるで風船のようにフワフワと引きずられてきている。
男の腕の中には、大切な宝石が入った革袋がしっかりと抱えられたままだ。
ノラが僕たちの前まで来て小さく鳴くと、魔法が解け、気絶した男がドスンと石畳の上に落ちた。
「にゃあ」
『これで解決でしょ?』とでも言うように、ノラは僕を見上げて小首を傾げる。
「嘘だろう……猫が、魔法を使って気絶した泥棒を運んできたのか……?」
憲兵たちは目を丸くして固まり、宝石店の店主は震える手で男から革袋を取り返した。
「あ、ありがとうございます……!ああ、この黒猫ちゃんが取り返してくれたんですね!あなたはただの猫じゃない、夜の街の守り神だ!」
店主がノラに向かって深々と頭を下げ、手を合わせる。
憲兵たちも、畏敬の念を込めてノラを見つめていた。
「ふふっ。ジャック、見たかい?僕のノラは最高だろう?こんなに賢くて強い守り神、世界中探してもいないよ」
僕が鼻高々で自慢すると、ジャックは深々とため息をついた。
「……ええ。ただの喋る猫ではないとは思っていましたが、まさかここまで高度な魔法を使えるとは…。私の常識がまた一つ壊れましたよ。それと、アランのノラではありません」
ジャックの小言など、今の僕には全く聞こえない。
先ほど、軽率な令嬢たちに冷たく言い放った言葉は本心だ。だが僕の心の中には最初から、この気高くて愛らしい黒猫しか住み着いていないのだから仕方がない。
僕はしゃがみ込み、誇らしげに胸を張るノラに向かって手を伸ばした。
以前はお腹を触ろうとして逃げられてしまったから、今度は慎重に耳の裏から首筋にかけてを優しく撫でる。
「ありがとう、ノラ。君は本当にすごいね」
「ごろごろ……」
ノラは気持ちよさそうに目を細め、甘い喉の音を鳴らしてくれた。
その温かい感触に、僕の心はたまらない幸福感で満たされていく。
月明かりの下でノラを撫でながら、僕はこの日常がずっと続くことを祈っていた。




