おまけ:高嶺の花
この川も大きいわね。でも今回は、対岸から呼ばれているわけではないみたいよ。川沿いに進んでいるわ。
「川辺を歩くのって気持ちいいよな」
「この川はきれいだし特にね。大きな割りに流れが速いせいなのかしら、渦巻が見えるわね」
あれに巻き込まれたら、自力では脱出できそうにないわ。
「渡りたくはねぇな」
あれは…… 廃墟? まさか村なのかしら。川原にあるわよ。それなのに堤防すらもないわ。
「お。村だ。こんな川辺じゃ洪水がやばそうだな」
「洪水の後みたいかしら。崩れた家屋だらけみたいよ」
川原の外に見えるのは畑よね。作物が散乱しているわ。崩れかけた畜舎らしき建物には家畜が見えないわね。
村の中に人がいるわ。村人よね。ひとりで作業をしているようだわ。
「おっちゃん。この村で、なんかあったのか。洪水に呑まれたみたいな感じだよな」
「あぁ。いい村だったんだが、川に魔物が住み着きやがって…… ててて竜人様!」
振り向きざまに、しりもちをついちゃったわ。ガルマさんの存在は衝撃的すぎるのよね。いずれは心臓麻痺を起こす人が出るかもしれないわ。あたしのせいじゃないとはいえ、どうしたものかしら……
「ガルマさんのことは気にしなくて大丈夫だぞ」
「もう好きにしてくれ。粛清でも、なんでも勝手にしやがれ。俺たちが、なにしたってんだ」
自暴自棄になっている感じよ。
気持ちはわかるかしら。様子からしておそらくは、洪水で村が壊滅したのよね。挙句に、粛清の象徴ともいえる竜人様が現れたのよ。投げやりにもなるわ。
「落ちつけおっちゃん。なにもしねぇよ。魔物が洪水を起こしたっていうのか」
「そうだ」
うーん。洪水を起こすだなんて、ゴブリンのような小物の魔物ではむずかしいわよね。
もしやまた、神獣の類かしら。
でもそれ以前に、村の立地がおかしいわよね。
「川辺に村をつくったんじゃ、魔物がいなくても洪水に呑まれるんじゃねぇの」
「対岸の先には谷があってな。増水しても上流から谷へ流れこむから、こっちは無事だったんだ」
なるほど。冠水はしない川原だったからこそ村がつくられたのね。水源は近いほどに便利なのよ。
「おぉ。自然につくられた自然災害対策か。それを魔物に潰されたのか」
「そうだ。ものすごい怪力のやつでな。谷へ流れこむ経路を大岩で塞いでしまったんだ」
村が冠水しない仕組みを理解して対処したということよね。すごい知能だわ。怪力なだけじゃないのね。
でも神獣らしくはない手段だと思うわ。やっぱり魔物か妖怪の類かしら。
「堰をつくったのか。知能が高いんだな。村狙いじゃなくて、谷に守りたいものがあった可能性もあるか」
「村狙いだ」
断言したわね。確信があるみたいよ。でも村狙いで洪水を起こすというのは不自然かしら。
だって、それだけの力をもつ魔物であれば、直接に村を襲うほうが簡単だと思うわ。
「へ。なんでわかるんだ」
「あいつは川に入った者を襲って食らうんだ。村人が警戒して近づかなくなったから冠水させたんだ」
ふむ。川から出られないとしたら、食事のために冠水させようと考えるわね。
「水棲の魔物ってことか」
「川からは出たところは見ておらん」
知能からして亜人の魔物かしら。でも、怪力で、川の水棲の亜人だなんて、聞いた覚えがないわね。
「村としては今後どうすんの」
「棄てるさ。あんな魔物とはやりあえねぇ。問題はあるが移転先の目処は立った。ほかの村人は今そっちだ」
村人がひとりしかいなかったのは、移転作業中だったからなのね。
さっきの話からして、魔物に食べられちゃったのかと思ったわ。
「軍隊に駆除要請はしないのか」
「洪水の前は考えていたさ。だがもう家畜は溺れ死んで畑も壊滅だ。いまさら未練はねぇ」
「そっか。邪魔して悪かったな」
軍隊も暇ではないのよね。無数に散在する魔物をすべて駆除なんてはしていられないのよ。
被害規模の大きさや緊急性で出動の優先度が決まるわ。
この村は既に壊滅しているのよ。おまけに、魔物が川から出ないとなれば、要請したところでいつ来るのかわからないわね。
「どうする」
「ん~。村人が乗り越えるべき苦難なのかしら。村を移す選択をしたなら、差し迫った危険もないし」
「だな。同情はするけれども、俺たちがでしゃばるようなことじゃねぇな」
過度な介入は控えなきゃね。驕りは禁物なのよ。
旅を再開ね。川沿いを歩くとなると、村を襲った魔物とやらにも注意する必要があるわ。
川といえば…… どうしてそこに渦巻があるのよ。
「ねぇ。あの渦巻、あたしたちについてきていない? なにか視線も感じるのよ」
「へ。渦巻がこっちを見て追ってきているのか? 渦巻の魔物の話なんて聞いた覚えがねぇぞ」
村へ入る前に見た位置には渦巻がないのよ。さっきの渦巻が移動しているのだと思うわ。
「うーん。仕かけてくる様子はないし、こちらから仕かける気もない。となれば、やることはひとつ」
「はいはい。食事にしますか」
ちょうどお昼の時間だったわ。
渦巻の様子を見るのにもいいわね。
「よーし。久々に俺の釣りの腕を見せてやるか。魔物が釣れたら任せるぞ」
「あんたに釣り上げられる魔物がいるとは思えないわね」
ものすごい怪力だというお話だったわ。あんたじゃ逆に釣られるわよ。間違っても川には入らないようにね。食べられるわよ。
さてと。アルフが釣っている間に、あたしは焚き火の用意をして、と。あとは座って待っていようかしら。
「来たぞ。でも俺じゃなくて、そっちに向っているみたいだ」
来たと言われても、魔物なんて見えないわよ。あぁ、渦巻がこっちへ向かってきているわね。
「渦巻が水から出られるのかしら。竜巻にでもなるのかしら」
川辺に近づいたわ。渦巻が水面の影に変わったわね。影の主が渦巻をつくっていたのかしら。水面から出るわよ。
「おぉ。渦巻の魔物じゃなかったか。堰をつくったり渦巻をつくったり、いろいろとつくるのが好きなやつだな」
さすがに、渦巻に生命はないと思うわ。
それにしても、でっか。毛むくじゃらの水棲獣ね。
大きいから迫力はあるわ。とはいえ、魔物という雰囲気ではないわね。
「……可愛いかも」
「へ」
いかにも純真という感じの眼をしているわ。顔つきも体型も、仕草までも可愛く見えるわよ。
「大きすぎるのが難点とはいえ。びしょびしょの体毛を撫でてあげたくなるわね」
「噂どおりだと、すげぇ怪力らしいし、鋭い爪が見えるから俺はこえぇな」
うーん。爪が鋭いのは大抵の動物が該当するしね。なにより、害意を感じないのよ。それにあの体毛はすごいわ。乾けば、もっふもふに違いないわよ。
川原へ上陸したわね。水棲獣ではないのかしら。ゆっくりとこっちに向かってくるわ。
陸上の獣と同じように4足で歩いているわね。亜人でもないということかしら。
嬉しそうに尻尾を振っているわよ。初対面なのに、警戒をしていないみたいだわ。威嚇もしてこないわよ。
「でも、川から出ないって聞いていたのに、出ているわよね。人を襲うっていう話も、間違っているのかも?」
「たしかにそうだな。水棲じゃないのか? まぁお前はマアマに護られているし、様子見でいいか」
すり寄ってきたわよ。あたしの膝に頭を乗せて横になったわ。
「ちょ。なによこの子。人なつこいわよ。これ魔物じゃなくて、大きいだけのおとなしい動物みたいだわ」
「あのおっちゃんが、うそついていたのか。そんな感じじゃなかったけれどもな。いや魔物は別にいるのか?」
渦巻をつくるだなんて異質な特技だし、大きさから考えて、この子のことだと思っていたわ。でも確証はないわね。
そうだわ。魔物だとしても、ガルマさんが説得をされた可能性はあるわね。
「またガルマさんと意思疎通をされていたのですか?」
「いや。村人を襲い、堰をつくったのはそやつだ。が、娘は好きなのだ」
は?
……今回は、あたしの欲望の傾きにひかれたとかいうお話ではないのですね。女好きですか。
理性を失った魔物らしいとは言えるのかもしれないわね。
「女好きの魔物って。種が違ってもいいのかよ」
無意味よね。雄も雌も関係がないはずだわ。
「でも襲ってこないのね。魔物も、女好きの人も、襲ってくるのに、両方をかねていて襲ってこないなんて――」
「雌が極めて少ない種だ。人相手に繁殖できぬことはわかっておる。だが雌への憧れが強いのだろう」
似たような物語はあるのよね。乙女にだけ気を許すという幻獣のお話よ。
でも、雌の少ないことが原因というお話は知らないわ。憧れに過ぎないという自覚があるから襲ってもこないということなのかしら。
「魔物と言われても、襲ってこないんじゃ退治する気にもならないわねぇ」
「魔物から聖獣に進化したやつもいたしな」
うんうん。それにこの子は、魔物らしい凶暴性をまったく感じさせないのよ。
「そうね。人を襲うと言っても、獣と大差はない脅威みたいだし。仲よくできるなら、それでいいか」
「大洪水を起こして、国を滅ぼしたこともあるがな」
く、国ですって? どういうことですか。堰をつくる程度で、なせる規模じゃないですよね。堰で洪水を起こしたのは、おあそびだったとでもおっしゃるのですか。
「ぶ。そんなことをしちゃダメでしょ」
思わず叱っちゃったわ。
って、首をすくめたわよ。
「あら? あたしの言葉がわかるの?」
「うむ」
ガルマさんが無条件に肯定されたということは、あたしの言葉くらいなら完全に理解できるのかしら。
知能の高い大蛇や大型魚ですらも言葉は話せなかったのよ。本当に魔物なのかしら。
「じゃぁお願い。食べるために襲うのは仕方がないわ。でも嫌がらせや遊びで襲うのはやめてちょうだい」
あたしの目を見つめているわね。返答を考えているのかしら。
目を閉じたわ。ん? 寝息を立て始めたわよ。
「あら寝ちゃった。わかってくれたのかしら」
「どうだろな。食べもしないのに動物を襲う人を見ているだろうし。知能が高いんだったら、いろいろと考えるだろ」
嫌がらせや遊びで動物を襲うのは、現状では人の専売特許のようなものなのよ。
その人から注意をされても、そんな筋合いはないと考えて然るべきよね。
国を滅ぼしたという件にしても、人のほうからちょっかいを出したのかもしれないわ。
「あぁそうか。滅ぼすべき国だと判断した可能性もあるってことかぁ」
大勢の娘がいるであろう国を滅ぼすだなんて、よほどの動機がなければやりそうにないものね。
「気持ちは伝わっただろ。膝枕の礼に覚えておいてはくれるんじゃね」
「そうね。人の考え方を押しつけるのは傲慢よね」
やっぱりこの体毛はいいわ。撫で心地が最高ね。でも体毛そのものは頑丈よ。かったいわ。皮が柔らかいのね。
「魚釣れたから食おうぜ。川魚は久しぶりだぜ。塩塩。あと串」
「魚はアルフが焼いてくれるから、あたしは楽ね」
塩も串も、あたしのリュックから探してくれているわ。アルフにしては気が利くわね。
「おぉ。たま~~~~~には役立たないと見捨てられそうだしな」
「あはは。思ってもいないくせに。今は膝枕で動けないから、ちょうど助かるわ」
焼き魚がいいにおいよ。でも、この子は起きないわね。お腹は空いていないのかしら。気持ちよさそうに寝ているわ。
「食ったー。やっぱ川魚は、焼いた皮のパリパリ感と香りが最高だわ」
「ごちそうさま。おいしいしね。いい仕事だったわよ」
食べてすぐ横になるのはよくないらしい――
って、思っただけでアルフが起き上がったわ。まさかアルフまでもが、あたしの心を読めるようになったとでもいうのかしら。
「地鳴りがしているな」
「え。せせらぎしか聞こえないわ。あんた、よくわかるわね」
びっくりしたわ。タイミングが偶然に一致しただけなのね。
「上流は嵐なのか。てことはこの地鳴りは…… もしかしたら洪水になるかも」
遠くで雷雲が広がって見えるわね。大雨で増水していそうということかしら。
「じゃぁ川辺から離れておくわよ。魔物さんも起きてね」
洪水になっても、この子は大丈夫なはずよ。頭を膝から降ろすわね。
荷物を片付けて、リュックを背負って、と。忘れ物はないかしら。
あら。目を覚ましたと思ったら、川へ飛び込んだわ。水位が上がってきているわね。
「魔物は洪水でも川の中で平気か」
「すっごく硬い毛だったわよ。あの巨躯だし、なにがぶつかっても平気よね」
あの体毛と皮だと、鋼の装甲の下にクッションがある感じになると思うわ。あたしが素手で殴ったくらいじゃ効かないはず――
なに? すさまじい破壊音が鳴り響いたわ。
「うぉ。さっきの魔物が飛びこんだ方角じゃねぇか」
「言っている端から、なにかにぶつかったのかしら。というより叩き壊したみたいな音ね」
でも川で、なにを壊すというのよ。大丈夫なのかしら。
「お。水位が戻っているぞ。もしかして谷への堰を壊したのか」
そっか。あの子なら洪水の発生を阻止できたのだわ。
「わかってくれていたのね。あんなに人なつこくて賢いのに魔物呼ばわりは可哀想ね」
「動物と魔物を区分けするのは人だけだ。境界はない。我は便宜上、人に合わせているだけだ」
人が、動物と魔物を区分けする理由は主に、交流が可能かどうかの目安にするためなのよ。
知能があったとしても、理性が呑まれてしまっていては、実質的に交流不可能だわ。そのような者を魔物と呼んでいるのよね。
あの子の場合は、ややこしいのよ。娘に対しては動物で、他者に対しては魔物という扱いになるのかしら。
「言われてみればそうですね。勝手にあたしたちが、魔物呼ばわりしていただけなのですよね」
「むずかしいよな。獣と呼ぶには強すぎるし。妖怪と呼ぶには力任せの技だけぽいし。男から見て魔物かな」
強さと魔物は関係がないわ。でも実際には、獣と魔物の区別はあいまいね。獣はもともとの理性が低いのよ。だから特異な能力を操れないという点では弱いといえるのかもしれないわね。大型獣でも国を滅ぼせるような種はいないわ。
男から見て魔物ねぇ。娘以外は川に近づかない、というわけにもいかないかしら。
「人を襲っている以上は仕方がないのか。魔物って呼称に先入観があるから、偏見は拭えないわねぇ」
魔物呼ばわりされてしまうのは、あの子の自業自得なのよ。知能が高いから自覚もしているはずよね。
増水は止まったから、慌てて移動する必要はなくなったわ。でも食事は終わったし、渦巻の正体も判明したから、とどまる必要もないのよね。旅を再開――
「きゃ」
「いかないで」
大きな爪の壁で、目の前を塞がれたわ。
堰を壊してから戻ってきたのね。
「ありゃ。なつかれちまったな」
「困ったわね。声を聞けたのは嬉しいわ。でも、あたしはこの旅で、なさなければならないことがあるのよ」
麒麟様の裁きから逃してしまった村人たちを導いて救うためには、なんとしても進化を遂げねばならないのよね。
可能性の見えない進化に挑むには、ガルマさんに同行してもらえる旅が欠かせない状況になっているのよ。
嫌がっているわね。首を振り続けているわ。その勢いは、やばいわね。首が折れるわよ。
「知能は高いが理性は低いか。むしろ魔物にしては、あるだけマシか」
「困ったわねぇ。力ずくで放り投げるようなまねはしたくないし」
あら、どうかしたのかしら。首振りを止めて、こっちを見据えているわ。
「放り投げる? 僕を? 君が?」
「え? えぇ」
きょとんとしているわね。まぁ信じられなくて当然かしら。あたしはかよわい乙女にしか見えないはずだものね。
「お前も強いけれども、きっとベルタのほうが強いぞ」
爪を引いたわ。
なにかしら、この感じ。覚悟を決めた気迫のようなものを感じるわ。
「じゃぁ勝負しよう。僕が君を川に投げこんだら行かないで。僕が君に投げられたら諦める」
「おぉ。取引をもちかけるってすげぇな。でも約束を守る理性はあるのか」
あると思うわ。少なくともあたしに対しては、真摯に接しているように見えるのよ。
「あなたが望むなら仕方がないわね。受けてあげるわ。でも、見た目で判断しないほうがいいわよ」
この子が真剣なのはわかるわ。ならあたしも、正々堂々と全力で応じるわよ。
「じゃぁ俺が合図するわ」
「マアマさん、爪が当たってもこの子を消しちゃわないように、防御だけお願いします」
「おっけー」
そうそう、アルフは離れていてよ。この大きい子をぶん投げるから巻きこみかねないわ。
「んじゃいくぞ。勝負…… 始め!」
さてと。楽勝とはいかないわよね。膝に乗せた頭だけでも、かなりの重量だったわ。加えて、怪力だというお話だったのよ。それでも背後に回って抱え上げれば――
うわっと。一気に間合いを詰めてきたわ。大きい分だけリーチがあるのね。先に抱えられちゃった…… わ?
変ね。持ち上げてこないわよ。服の重量を増やしているから重いとは思うわ。でもこの子なら余裕のはずよ。さっきの堰を壊した音からして、怪力であることが実証されているわ。
もしかして、陸上では力を出せないのかしら。
あ。あたしに爪を当てないように苦慮しているみたいよ。きっと、あたしを傷つけたくなくて、力をこめられないのだわ。今は勝負の最中なのによ。
「優しい子ね。でもごめんね。あたしは行かなきゃならないのよ」
こんなに気をつかわれると、こっちも力が抜けちゃうわね。でも心を鬼にしてでも、あたしは進まなければならないのよ。
む。右手にマアマさんを握ったままだったわ。これじゃ両手で抱えられないわね。片手でもいけるかしら。
まずは左手で右前足を抱えこんで…… 一緒に回転して、巻きこんだ勢いで、えいや!
よし、川へ放り投げこめたわ。
「おい。お前また強くなってねぇか。いつ鍛えてんだよ。まさか片手でやるとは思わなかったぞ」
「え。そりゃ常によ。片手ですんだのは、あの子も手加減してくれていたからなのよね」
筋トレは旅の移動中でもできるのよ。マアマさんが服を重くしてくださったから鍛え放題だわ。
う。この声はあの子ね。泣き声が響き渡っているわ。また渦巻ができているわね。水中で泣いているのだわ。
「マジで理性高いぞあいつ。切れて襲ってくることを懸念していたけれども、泣くだけで抑えてやがる」
むしろ襲ってきたほうが気楽だったわね。泣かれちゃうと罪悪感を感じるのよ。
「どうにかしてあげたいわ。でも、川の魔物じゃ連れていくわけにもいかないし」
「陸の魔物でも無理だろ。町で泊まれなくなるぞ」
うーむ。あたしの代わりでもいれば……
そうよ。あの子があたしを引き止めるのは、あたしが女だからよね。
「ガルマさん。雌が極めて少ないとおっしゃっていましたが、近くにはいないのでしょうか」
雌の場所を調べるためとはいえ、ガルマさんにお力を使っていただくことは危険すぎるわ。でも、物理に関してはマアマさんから伝えられるはずなのよ。隣国の盗賊に襲われたときがそうだったものね。
マアマさんに直接聞くと、口調で誤解が生まれやすいのよ。ここはガルマさんを通して聞くのが最善手よね。
「ふむ。この川の上流200キロメートルくらいにおるな」
「ありがとうございます。居場所を教えるだけで遭遇できそうですね」
大成功よ。あたしの代わりも見つかったわ。
「なんだ。近くはないけれども、数日で歩いていける距離じゃん。迷うこともないし」
「ではマアマさんお願いしますね」
「どっかーん」
まずは泣き止ませるところからだわ。ここへ釣ってくださいね。ほいっと。
「あおーんおーん」
仰向けになって泣き続けているわ。
水中から運び出されたことにも気づいてはいないみたいね。
「すっげぇ大声。喚いている感じではないし地声なのか」
「話すときは、かなり抑えていたのね。泣いているのに思っちゃ悪いとはいえ、すっごく可愛いわね」
声をかけてもかき消されちゃうわ。
柔らかそうなお腹を撫で撫で。落ちついてね。
「あれ」
泣き止んで周囲を見回しているわ。川辺へ釣られたことに、ようやく気づいたみたいね。
「魔物さん。あたしはここに残れないわ。でも、この川の上流に、あなたと同じ種の雌がいるそうよ」
あら。喜ぶかと思ったのに、うずくまっちゃったわ。
「知っている……」
「え。会いに行かないの? 人のあたしより、同じ種のほうがいいでしょ」
とても悲しそうよ。
……まさか、以前に振られたとかじゃないわよね。
いや、結ばれる可能性のないあたしを選ぶくらいなら、何度振られてでも同じ種の雌を選ぶはずだわ。
「川に流れてくる毛とかで、いるのはわかる。でも途中に大きな滝があって登れない」
あぁ。少し陸に上がれるとはいえ、やっぱり水棲獣なのね。崖を登れるほどの身体能力はないのだわ。
「そりゃ、おあずけを食らい続けているみたいでストレスも溜まるわな。それで理性が低く見えたわけだ」
やっぱり食事に例えて考えるのね。まぁ、どっちも本能だし近いのかしら。
「なるほど。魔物の縁結びに協力するくらいなら驕りにはならないわよね」
「なるわけねぇだろ」
そうよね。でも一応は確認しておきたかったのよ。
「その雌のそばへ、あなたを飛ばせるわ。行ってみる?」
「相手にしてもらえるかどうかはお前次第だぞ~」
「いきたいけれども。ここから投げられたんじゃ、僕でも死ぬかな」
あたしが滝の上に放り投げると思ったのかしら。さすがにそれは頼まれても無理だわ。
「投げない投げない。今、川底からここに飛ばされたでしょ。同じ感じで飛ばせるのよ」
「え。君がやったのか。すごーい。ぜひ! ぜひ飛ばしてください」
立ちあがって興奮しだしたわね。ちょっと怖くなる迫力よ。
「わかったわ。じゃぁ準備はいい? 持っていくものとか、ないかしら」
「うん。ありがとう。もう襲われないかぎりは、人を襲ったりしないよ」
やっぱり、あたしの言葉を理解して考えてくれていたのだわ。
「覚えていてくれたのね。お幸せにね」
名残惜しいわ。こんなに可愛い子がなついてくれていたのよ。
でも仕方がないわ。これがこの子の未来と、人との関係を改善する最善手なのよ。
「マアマさん、位置確認大丈夫? 雌のすぐそばの安全なところに飛ばしてあげてね」
「どっかーん」
無事に結ばれることを祈っているわ。達者でね。ほいっと。
……飛ばして寂しく感じるのは初めてかしら。
「やっぱ、あいつを魔物呼ばわりはしたくねぇなぁ」
「もう魔物じゃないわよ。人を襲わないって言ってくれたから」
うまく出会えたかしら。
心配するまでもないわよね。マアマさんの差配なのよ。あとは、あの子の努力次第だわ。
「おぉ! 魔物を退治してくれたのか。ありがてぇ」
さっきの村人ね。様子を見に来ていたのかしら。村まで届いていそうな泣き声だったものね。
「いえ、退治したわけではないですよ。上流の仲間のところへ送りました。もう人は襲わないそうです」
「そうなのか。いや、助かった。移転先の水源が心もとなくてな。ここから運べるなら問題解決だ」
「村は移さなくてもいいと思うぞ。堰にしていた大岩はあいつが破壊していったみたいだ」
「なんと。さすがは竜人様御一行。ならば、失ったものも多いが、村を再建してみるか」
「おぉ。がんばれよ」
あたしにも、いい人が見つかるのかしら。あたしの相手は、マアマさんに探していただくわけにはいかないものね。
まぁ、それは先のお話よ。今やるべきことは、ほかに山積みだわ。旅を再開するわよ。




