おまけ:最悪の出生
……断崖絶壁ね。これまた、とんでもなく深い峡谷だわ。
どうせこの先から呼ばれているというのよね。わかっているわよ。
「嫌なデジャブを感じる」
「奇遇ね。あたしもだわ」
虫除けの魔アイテムを、もらったときの状況とそっくりよ。
あのときはアルフが、安全を軽んじていたのよね。本当に死ぬところだったわ。
「ここも迂回できるといいのだが」
さすがに学んでいるわね。危険の回避を意識しているわ。
「視界の届く範囲はダメそうね。まぁ渡るだけなら、今回は安全策を使えるし」
まともな手段が見つからなければ、マアマさんにお願いすることをためらわないわ。
「なぁ…… 対岸の森って、おかしくね? 揺れているっていうか」
へ。森が揺れているですって? 風で木々が、なびいているだけじゃ……
いや、違うわね。高さが変わっているわ。
「……本当だ。まるで、森全体が呼吸しているみたいな?」
しばらく凝視しないと、わからない程度よ。でも、ゆっくり、小さく、森全体が揺れているわ。
なにかがあるのは確定ね。
「なぁ…… 崖下の対岸についているのって眼じゃね?」
またとんでもないことを言い出したわね。さすがにそれは、眼の形をした岩とかだと思うわ。
「え? どこにそんなのが…… ひ! 崖の途中から下が、全部眼なのあれ? 底まで見えないわよ」
眼がついているのではないわ。絶壁自体が、巨大な眼でできているみたいに見えるわよ。眼の化け物かしら。そんなの聞いたこともないわよ。
「巨人だ」
……えーと。あの絶壁が、巨人の眼だと、ガルマさんはおっしゃっているのよね。つまり対岸の森全体が巨人であると。
お話では知っていますよ。巨人は山みたいに大きいのですよね。でもこれ、眼だけで山みたいに大きいですよ。いや、大きさ以前に、おかしくないですかね。岩でできているように見えますよ。というか、森が生えていますよね。
強いて言うなら、横になった巨人が、土砂に埋もれた状態で固まってしまった感じなのかしら。
「え。いや。幾ら巨人といっても、でかすぎだろ。立ちあがったら雲を突き抜けるんじゃね」
立ち上がれるのかしら。大地がもたないと思うわ。あまりにも大きすぎるわよ。
「地上に立つ者の中では最大級か」
肯定されているのよね。本当に雲を突き抜けるほどの身長があるのだわ。
「中ではって。追求すると、またわけのわかんねぇ話になりそうだな」
そうね。地上に限定しなければ、さらに大きな者がいることまでをも示唆されているのだわ。
「アルフを呼んでいるのって、まさかこの巨人さんなの?」
「いや。呼んでいるのは、もっとずっと先からだな」
ふむ。土砂に埋もれた状態から、助けてほしくて呼んでいたわけではないのね。
「海で少し寝ている間に、陸に埋もれてしまったらしい」
「少し寝ている間にですか。そんなことがありえるのですか」
この辺りに海なんて見当たらないわよ。巨人さんが寝ている間に、海が消えるほどの大異変があったとおっしゃるのよね。それなら、ここまで歩いてきた、あたしたちにも影響がありそうなものだわ。なんの異変も感じなかったわよ。
「うむ。ほんの数千年の間に、大規模な地殻変動があったのだ」
……つっこみどころが別次元すぎて、言葉がでないわ。
数千年は少しではないですよ。
おまけに、大規模な地殻変動で、土砂に埋もれても目覚めないだなんて、ありえないわ。そのまま永眠するのならいざしらず……
む。眠りといえば、似たお話があったわ。マアマさんよ。次の世界の創造まで、寝ておられるはずだったのよね。数千年の眠りを、少しとのたまうであろう存在は、初めてではないのだわ。
いまさらつっこんでも仕方がないのかしら。
「……それで動けなくなってしまったのですか」
「いや。身体の上に森ができていたので、可愛く感じて愛でているそうだ」
へ。
なによそれ。優しさも、とんでもなく大きいのかしら。
さっきのご説明だと、巨人さんは強大な耐久力と、とてつもなく長い寿命を持っているのよね。ならば、森に育まれた命なんて、人にとっての虫程度の存在のはずよ。それなのに、儚くも小さな命を大切にしているということよね。
森なんて一朝一夕でできるものではないわ。この広大な森は、とてつもなく長い間、巨人さんが動かずに育んできた証なのよ。
自由を長期間犠牲にする苦痛は、察するにあまりあるわ。強制されたわけでもないのに、自らの意思で選択したのよね。温厚にもほどがあるわよ。
「すごい感覚ですね。やっぱりあの森の動きって呼吸なのですね」
「森を通ることは歓迎するが、森を害する者には注意してほしいそうだ」
巨人ということは亜人よね。言葉は話せないのかしら。あたしにはなにも聞こえないわ。
「森を害する者? 人ですか」
「森を毒で汚染して、生物を石に変える、危険な者だそうだ」
正体を教えてはくださらないのね。ガルマさんにはわかっておられるはずなのによ。つまり、あたしが考えるべき要素ということかしらね。
うーん。毒はともかく、石に変えるという芸当は、一般人には無理そうよ。でも人である可能性は十分にあるわね。
「酷い。そんなやつを見かけたら当然駆除しますよ」
「お前、完全に感覚がマヒしているな。そんな化け物が出たら、ふつうは逃げるぞ」
言われてみればそうね。あたしにできることではないわ。
「もちろん駆除するのはマアマさんよ。ねー」
「ねー」
巨人さんが身を挺して護っている森なのよ。それを害する者なんて、見過ごせるわけがないわ。
「まぁ毒の心配はないのだろうけれども。石に変えるっていうのは気になるな」
「そうね。アルフのまねをして、物理現象だから大丈夫かしらって考えたのよ。ダメかしら?」
考え方として、前にそう教えてもらったと記憶しているのよね。間違えていたのかしら。
「いや。大丈夫だと思うのは同意だ。それでも俺は怖いけれどもな」
「怖くないといえば、うそになるわ。でも、それ以上に許せない気持ちが強いかしら。マヒしているのかもね」
マアマさんは攻めも守りも完璧なのよ。怖いとはいえ、あたしが犠牲になるという実感は湧かないのよね。
「マヒするのは驕りが残っているからじゃねぇかな、と俺は思うけれども」
「うぅ。言われてみれば。そうよね、大丈夫だと思っても過信はダメか」
とはいえ、毒と石化をマアマさんが防げないとは思えないわ。どう警戒すればいいのかしら。
「ありえるか、わかんねぇけれども。生命力を奪った結果としての石化だったら、物理だけを防いでもダメだろうし」
ぶ。石化は副作用であって、生命力を直接奪う攻撃かもしれないということかしら。
「ちょ。そうよね。見た目が物理現象だからって、それだけとは限らないのよね。たしかに驕っているわ」
物理現象だけだと確信できる要素は、なにもないのよね。あまりにも安直だったわ。
「強すぎる力ばかりを見ていると、どうしてもなぁ」
そうなのよ。刺客から狙撃されても、傷一つ負わない状況なのよね。護られることに慣れてしまっているのだわ。
仮に生命力を奪う相手だとしても、奪われる前にマアマさんが相手を消しちゃうと思ってしまうわね。
「でも生命力を奪われると石化するの?」
そんな話は聞いたことがないわよ。石化した結果として、死んじゃうお話ならあるわ。順番が逆よね。
「だから、ありえるかはわかんねぇて。ただ死ぬと土に還るだろ。そういう意味で石化もあるかなと」
うわぉ。さっきの会話だけで、そこまで思いつくんだわ。
「なるほどねぇ。アルフのそういう発想には感心するわ。長所だと思ってもいいと思うわよ」
「いや俺の長所というより…… そういうことにしておくか」
ようやく見つけた長所なのに、なにか言いたそうね。はっきりと言いな――
なにかしら。地響きがするわ。
……崖の底がせり上がってくるわよ。ここにいては危ないかしら。
「おぉ。峡谷が埋まったぞ。どういう仕組みだ」
「巨人の指だ」
……説明されても、そうは見えないのがすごいわね。どう見ても岩というか大地よ。
要は指で橋をつくってくれたのよね。
「崖が水みたいに削れていたぞ…… でかさもすごいが、力も硬さも半端ねぇ」
実際に見るまでは、信じられない強さだわ。見ていても実感が湧かないくらいよ。
では遠慮なく、指の上を渡らせてもらいますね。
よし、今回は安全に渡れたわ。森に突入よ。
「さすがに巨人さんの体温で地熱がすごいわね」
「年中、常夏なんだろうな。ここに住むのもいいかも」
住まれる側のことも考えなさいよ。
「巨人さんが動けないわ」
「少し寝るだけで数千年だったら、俺が生きている間くらいは愛でてそうだけれども」
あんたが死んだあとはどうするのよ。村もつくらずに、ひとりで生活するわけじゃないわよね。
「あんたひとりで住むなら、いいかもしれないわ。でもねぇ」
「そりゃ勘弁だな」
地面が呼吸で揺れているわ。でも、人に比べると極めてゆっくりなのよ。あまり気にはならないわね。
常時動いているせいか、耕した畑のように土がやわらかいわ。隙間なく植物が茂り、動物たちも活発よ。次々と獣が襲い掛かってくるわね。
「幾らでも肉が集まってくるな。今日の飯は豪勢になりそうだ」
「でもこの森って、巨人さんが愛でているわよね。食べちゃまずくない」
あたしたちまでもが、森を害する者になっちゃうわ。
「それはないだろ。ここの動物も食い合っているはずだし。弱肉強食は否定しないと思うぞ」
「そっか。家畜とは感覚が違うのね」
森を愛でることと、動物を護ることは一致しないのだわ。食物連鎖が成り立ってこそ、森を維持できるのだものね。
「で。森を害する者って、どんなやつだろな。いきなり襲われるのは避けたいけれども」
「毒で汚染て話だから、木が枯れたりしていると思うわ。あとは石になった生物を見かけたらかしら」
森を丸ごと乗せている巨人さんが警告するくらいだものね。相当な規模の被害が出ているはずよ。
「そうか。目立つ痕跡はありそうだな。この森をってくらいだから、よほどでかいのか大勢いるのか」
「近くにいたら、すぐにわかりそうね」
相手の正体は不明よ。でも、森に痕跡を残すであろう特徴はわかっているのよね。警戒はしやすいわ。
もう10キロメートルほどは歩き続けたかしら。ひたすら森が続いているわね。
「もう結構歩いたけれども、まだ巨人の体の上だよな。どんだけでかいんだよ」
「目の端から、耳の上辺りまで歩いたか」
ふむ。横を向いた巨人の頭部にいるということかしら。
「ぶ。これだけ歩いても、それだけ? 足を抜けるまでに、どんだけかかるんだ」
「この方角なら後頭部から降りることになるな。残りも同じくらいの距離か」
頭部の一部しか通らないのね。これだけ広いとなると、森を害する者には遭遇しない可能性が高いのかしら。
「なるほど。抜けたいわけじゃないんだが、でかさに呆れるわ」
そうね。頭ではわかっていても、感覚的についていけないのよ。
あら? まだ巨人さんの身体の上よね。森を抜けたわよ。広い砂漠になっているわ。
「森がいきなり砂漠って。なんか不自然だな」
「それに嫌なにおいがするわよ。砂に毒でもあるような…… もしかして、森を害する者のせい?」
それほど強いにおいではないわ。でも、森の澄んだ空気の直後だから、強く感じるわね。
砂漠全体から立ちのぼっているみたいよ。気分が悪くなるような異臭だから、強いにおいではなくても、無視はできないわね。
やっぱり砂に毒が染みているのかしら。まかれた毒が、森を砂漠に変えてしまったのかもしれないわ。
これは思っていた以上の規模かしら。極めて恐ろしい相手よ。こんなになってしまっては、今後は草木の一本すらも生えることを期待できないわ。
「だとしたら森を汚染なんてレベルじゃねぇぞ。森を破壊というか、消滅というか」
「これはダメね。遭遇しなくても、駆除しておかないと自然を維持できない」
たとえ危険を冒してでも、探しだして駆除する必要があるわ。こんな被害を及ぼす者が森の外へ出たら、世界がやばいわよ。
「あ、でもまさか……」
これだけの力があるとなれば、また神獣や精霊のような存在である可能性も高いわ。
森の砂漠化が、大願の一助になるとは思えないわよ。でもあたしの想像の範疇を超えることが、幾度も起こっているのよね。
結論を焦るべきではないわ。ガルマさんから助言をいただけないかしら。
「好きにするがよい。強力ではあるが、導きによるものではない」
よかったわ。正体を教えてくださらなかったし、もしやと懸念しちゃいましたよ。
「ありがとうございます。お墨つきさえもらえれば、あとはマアマさんの出番ですね」
「でばんだー」
先制すると決まれば気楽だわ。マアマさんにお願いすれば、抵抗すらさせずに駆除できるわよ。
「手順はどうしようかしら。ここなら広いし、毒も問題なさそうだし。まずは賊同様に拘束して釣りますか」
「へ。マアマだったら、どこにいようと、その場で消滅させられるんじゃね」
言いたいことはわかるわ。近くに釣るのは危険よね。
でも、今は駆除すると決めただけなのよ。消滅させるとまで決めたわけではないわ。
「説得もせずに? 正体不明なのよ」
「おぉ。たしかに。話せる蛇や魚もいたもんな。なんかわけありかもか」
神獣の類ではないとしても、大儀があっての行動かもしれないのよ。毒による被害が大きいとはいえ、別の被害を防ぐ過程で発生した副作用という可能性もあるわ。
真意を確かめずに消してしまっては、より大きな問題を招きかねないのよ。
「釣った後は…… 相手次第か。じゃぁいくわよ」
マアマさん、お願いしますね。ほいっと。
……ん? なにも現れないわよ。
超大物か、大群が釣れるはずよね。拍子抜けだわ。マアマさんですらも、釣り切れないなんてことはないわよね。
「あれ。不発? あたしのイメージがおかしかった?」
「あしもとー」
へ。足元がどうかしたのかしら。
「蛇だ。頭になんかついているけれども、ふつうの蛇に見えるぞ」
え。本当だわ。まさか、こんな小さな蛇が、森を害する者だというのかしら?
手のひらよりは少し長い程度よね。でもマアマさんの力で拘束されているぽいし、森を害する者に間違いはなさそうよ。
森を砂漠に変えるほどの、強大な力の持ち主には見えないわね。でも砂漠の異臭をより強くした、においを発しているわ。物証といえるかしら。
こんなに小さいんじゃ、話しかけづらいわね。とりあえず手のひらにすくいあげて、と。
「あなたが毒をまき散らしたの? どうしてそんなことをするの?」
うーん。威嚇しているつもりなのかしら。シャーシャー言いながら周囲を見回すのみね。
あたしの言葉へ反応しているようには見えないわ。
「ガルマさん。この蛇と意思疎通は可能なのでしょうか」
「本能だけで動いているようだ」
むぅ。理性がないということよね。やっぱり魔物なんだわ。
「ダメかぁ。見た目は可愛いのに、消しちゃうしかないのか」
悪意のなさそうな、つぶらな瞳をしているわ。どんな本能でこんな結果になっちゃうのかしら。
あ、目が合ったわ――
てぇ! 蛇が、蛇が石化しちゃったわよ。
「きゃ。なに。拘束しているのに、なにかしたの」
石化するとは聞いていたわ。でも生物を石に変えるのよね。蛇自身が石化するだなんて聞いていないわよ。そもそも拘束された状態でどうやって――
「視線は動かせるであろう。そやつに睨まれた者は石と化す」
とんでもないことを、さらりとおっしゃいますね。
そういうことは先におっしゃっていただきたいですよ。
「そういえば、生物を石に変えるとおっしゃってましたね。まさか睨むだけとは。とんでもない蛇ですね」
「俺たちが無事なのは、ティアラの光のおかげか」
そっか。マアマさんが防いでくださるまでもなかったのね。ティアラの光は、害となる要素をすべて浄化してくれるのよ。物理だろうが魔法だろうが呪いだろうが関係ないと思うわ。ウンディーネ様のお力ですものね。
「でもどうして蛇が石になっちゃったのですか。蛇が見ていたのは、あたしなのですよ」
ティアラの光の力は浄化のはずだわ。反射ではないのよ。
お話に聞く、呪い返しとかいうものかしら。呪いに失敗すれば呪われるとかなんとか。でもこの石化は呪いなのかしら。
「お主の瞳に映った蛇に睨まれたのだ」
え。そんなことで蛇自身が石化してしまったのですか。
なら、ほかの動物を石化したときにも、自滅しているはずですよね。
……いや。石化した瞳には、なにも映らないのだわ。あたしは石化しなかったからこそ映ったのですね。
「あたしが蛇を見ていたからですか」
さすがにこれは、あたしのせいじゃないわよね。蛇の力で、蛇が勝手に石化しただけなのよ。見ただけで石化しちゃうだなんて不可抗力だわ。
「ついに睨むだけで魔物を倒せるようになっちまったか」
「違うわよ!」
結果だけを見れば合っているわ。でもそこは、つっこまざるをえないわね。
アルフが言うと、本当にそうなりそうで怖いのよ。
「効果が石化だけだったのは、よかったな」
「本当にねぇ。生命力を奪うとかなら危なかったかも。拘束して油断したのが驕りかぁ。むずかしいわ」
生命力を奪うとしたら、身体に害を与えるわけじゃないものね。ティアラの光では防げなかったのかもしれないわ。
アルフの指摘を受けて、十分に警戒をしていたつもりだったのよ。でも蛇が拘束されているのを見て、無意識に警戒を解いてしまったのよね。
「まぁ見るだけで石化なんて、想像もしねぇわな。驕っていなくても、これは仕方がないかもな」
そうね。今回は警戒を解かなくても、同じ結果だった可能性が高いわ。見るだけで石化だなんて、警戒していてもあたしには想像できなかったと思うわね。
とはいえ、今後も同じ結果になるとは限らないのよ。仕方がないで済ませちゃいけないのよね。
「ありがと。でも万全を期してもたりないって意識は、常にもつように努力してみるわ」
人のやることに完璧なんてないのよね。少なくとも決着がつくまでは、警戒が必要なのよ。
「でも変じゃね。蛇もティアラの光の中にいたぞ。なんで蛇の石化は浄化されないんだ」
む。たしかに変だわ。ウンディーネ様のお力が、蛇に及ばないなんてことはないはずよ。
「ティアラの光の効果対象は、消費する生命力に依存する。今はベルタが護りたい者にしか効かぬ」
あたしが護りたい者ねぇ。
考えてみれば当然かしら。あたしを害する側にとっては、ティアラの光こそが害になるものね。すべてにとっての害を浄化することは論理的に不可能なのよ。
「効果対象まで持ち主次第か。でも、見知らぬ酔っ払いの、酔いまで醒ましていたぞ」
そうね。あの人を護りたいとは思っていなかったわ。
「無意識にも人を護りたいと思っておるからな。ベルタが敵意を向けていない人には効くであろう」
敵意ねぇ。嫌悪感は違うのかしら。あたしがあの酔っ払いを護りたいだなんて思っていたとは…… うーん……
まぁあんな人でも、仮に殺されかけていたのなら、助けようとするのかもしれないわね。その程度の気持ちでいいのかしら。
「ベルタの気分次第ってことか。まぁそのほうが便利なのかな」
本当よね。考えつくされたうえで、おつくりになられたのだと思えるわ。
「そりゃウンディーネ様の――」
「はいはい」
むぅ。まぁ、あたしが言うまでもなく、アルフにもわかっているということよね。
さて、この蛇はどうしようかしらね。とりあえずは砂の上に置いて……
ん? 手がべとついているわね。蛇の体液かしら。
「くっさ! このにおい、もしかして毒?」
「体液である毒を、常に全身から垂れ流しておったな」
常にってことは寝ている間もよね。無意識にってことよ。蛇には悪意がなかったのだわ。
考えてみれば当然かしら。本能だけで動いているとおっしゃっていたわ。ならば悪意なんてあるはずがないのよ。
「なにか可哀想ね。移動するだけで、毒をまき散らしちゃっていたのか。しかも、見た相手が石になるなんて」
「こんなのに生まれちまうのも運てやつなのかね。協調しろと言っても無理だ」
もしあたしが、この蛇として生まれていたならば、一体どうしていたかしら。誰かに助けを求めようにも、見ただけで相手が石化しちゃうのよ。おまけに身体から流れ出る毒で大地を枯らしてしまうわ。そんなの、心がもたないわよ。
「理性は捨てちゃったのかもね。境遇が哀しすぎて」
さっき蛇が石化しちゃったときに思ったわよね、不可抗力だって。蛇だって同じ気持ちだったはずよ。どうしようもないわよね。
理性が本能に呑まれてしまった魔物を、あたしは蔑んでいたわ。でも、自らの意思で理性を捨てて、魔物になってしまった者もいるのかもしれないわね。少なくともこの蛇には、そうせざるをえないだけの理由があるわ。
「そうだな。理性を残していたら、正気は保てないだろうしな」
発狂しちゃうわね。狂って悪意で殺戮を繰り返していたならば、より大きな被害がでていたのかしら……
「石になったことだし、消滅させるのはやめましょうか。せめて土に還してあげましょう」
この蛇が、広大な森を犠牲にしまったのはたしかよ。でも土に還ることすら赦されないとは到底思えないわ。この蛇は最大の犠牲者でもあるのよ。
ここに埋めておくわね。これからは土として、命を育む側になるのよ。
「さて。まき散らされた毒は消滅させたいのですが。マアマさんお願いできますか」
「どっかーん」
ではお願いしますよ。ほいっと。
うん、異臭が消えたわ。毒が消えたのね。
「後は自然に任せればいいのかしら」
毒さえなければ、徐々に森が回復してくるわよね。
「巨人が礼を言っておる。痒みが取れたそうだ」
なんのお話ですかね。巨人さんの痒みなんて知らないですよ。
「痒みって毒のせいかしら。森を砂漠に変えるほどの毒なのですがね……」
毒のせいだとしたら、巨人さんの皮膚が強いのかしら。それとも鈍いのかしら。判断しがたいわね。
でも、大規模な地殻変動でも目覚めない巨人さんに、痒みを与えたと考えるならば、相応といえるのかしら。
「巨人て亜人なんだろ。直接しゃべれないのか」
やっぱりそう思うわよね。出会ったときの挨拶はガルマさんに対してであろうから、あたしたちに聞こえないというのはわかるわよ。でもあたしたちへの礼までをも、ガルマさんに仲介していただく理由がわからないわ。
「口を開くだけでも大地震になって森は崩れ落ちよう」
「おおぅ。森を気遣っているのか。優しさもでけぇな」
そういえばここは頭部だったわね。顔に森が載っているのだわ。となると口の動きはかなり大きく影響するわよね。発声による振動も無視できない大きさになる可能性があるわ。だから発声すらをも自制しているのよ。
本当にとんでもない優しさね。ということはもしかして……
「蛇も助けてあげたかったのかしら」
「注意しろとしか言ってなかったしな」
そうよね。あたしが勝手に駆除すると決めたのよ。巨人さんからは頼まれていないわ。
「気にするな。巨人にも救えなかったのだ」
やはり救いたいと思っていたのですね……
そういえば巨人さんも、ずっとひとりで森を愛でているのよ。孤独な蛇の気持ちを察していたのかしら。余計なことをしちゃったのかもしれないわ。
でも仕方がないわよね。あのまま生き続けるしかないであろう蛇も可哀想だったわ。
……なんとも哀しい、殺風景な砂漠ね。動物の石像が、墓標のように散在しているわ。
「石化している動物は、もう死んでいるのかな」
「石化直後なら助けられたであろうがな。砂漠化前からのものだ。既に意思は霧散しておる」
あたしも石像を見つけたときは、マアマさんにお願いして石化を解こうかと思ったわ。でもすぐに、解いちゃいけないと気づいたのよね。
「助かるとしても、身体が欠けているのばかりで痛々しいのよ」
「それはえぐいな。安らかに逝けたんだったら、まだいいんだが」
石化して死ぬ感覚なんて想像できないわよね。窒息するような感じなのかしら。
「最も楽な死に方をしている。なにも気づかぬうちに即死していたであろう」
「せめてもの救いか」
そうね。弱肉強食の世界で、生きながらに食われる思いをせずに逝けたのよ。死に方の中では、幸せなほうなのかもしれないわね。
砂漠を抜けて再び森に入ったわ。やはり森の中は、生物の楽園の様相ね。
「肉だらけなのはいいけれどもさ。こう襲われっぱなしだと、飯を食うところがねぇな」
「お昼どきか。マアマさんにバリアをお願いしましょうか」
「おっけー」
果物や、食べられそうな野草もたくさん見かけているのよね。それらもついでにお願いしますよ。ほいっと。
「肉は、襲ってきた獣を罠アイテムで捕獲した分でたりるわよね」
聞くまでもなかったかしら。食べきれる量じゃないわ。
「おう十分だ。肉食の獣はあんま、うまくねぇんだが、なんかここのは、うまそうに見える」
「見た目で味なんてわかるの。あたしには肉づきの良し悪しくらいしか、わからないわ」
痩せてはいないわね。でも筋肉は締まっているし、よその獣と同様に硬い肉だと思うわ。
「なんとなくだ。本当にうまいかは、食ってみないとわからないから、さばいてくれ」
「はいはい」
マアマさんにお願いしてばかりだと、さばき方を忘れちゃいそうなのよ。
襲ってきた獣をさばくときくらいは、自分でやらなきゃね。えい、やー、とー! あら。こんなやり方だったかしら。
焼くのはアルフも自分でやっているわね。まぁ、早く食べたいだけかしら。
「おぉ! ジューシー! 王都の肉に匹敵するかも」
さすがにそれは信じがたいわ。
「うそぉ。王都の食材には、ノーム様の恩恵があるのよ」
アルフが味にうるさいことは知っているわ。でも、巨人さんの上にいるというだけで、ノーム様のお力に匹敵する恩恵が得られるとは思えないわね。
「巨人の皮脂・汗・体温で、養分・水分・温度が維持されているうえに、常に呼吸で耕している状態だからな」
ガルマさんがお認めになるのですか。
環境維持と、耕すというお話であれば、植物のことを指しておられるのよね。人が肥料を与えて栽培しているのに等しい状態であるとおっしゃっているのかしら。巨人さんの代謝が、人手の代わりになっているということよね。その恩恵が、食物連鎖で獣の肉にまで及んでいるということなのだわ。
ならば試しにこの果物を…… うん、納得よ。あたしも農家の娘として農作物にはうるさいわ。でもこの果物には文句のつけようがないわね。
王都で頂いたデザートと比べても、甲乙をつけがたいわ。最高の旨みが口の中に広がるわね。
「巨人さんもすごい。本当に、ノーム様の恩恵に匹敵しているわ」
つい食べ過ぎちゃうわね。お腹はいっぱいなのに、きりがないわ。一服して落ち着くわよ。
「やっぱここに村をつくれたら最高なんだけれどもな」
否定はしないわ。でも巨人さんへの迷惑を考えれば無理なのよ。
「村をつくると何代も住むことになるわよね。だからさすがにねぇ」
「だな。水も肥料も要らないし、耕さなくていいから農耕も楽そうなんだが」
あら。狩りしかしないつもりかと思いきや、農耕なんて考えていたのだわ。
でもそれは違うのよね。
「農耕はむずかしいかしら。獣害や虫害を防ぐには、屋内栽培しかなさそうだし。揺れるから建物はねぇ」
狩りや収穫には最高の環境だと思うわ。でも、農耕や畜産にはよそがいいわよね。
そもそもここでは、生産活動をする必然性がないわ。
「そうか虫もいるんだったな。虫除けのせいで忘れていたわ」
「魅力は認めるわ。でも、巨人さんの大切な森だしね。そもそも顔に住もうなんて失礼すぎるわ」
考えれば考えるほど失礼よね。今も顔の上を土足で歩いているのよ。ありえないわ……
「だったら食うもん食ったし、行くか」
森の出口に着いたわ。こっちにも峡谷があるはずよね。でも荒れ地が広がっているみたいよ。
たしか後頭部から抜けるとおっしゃっていたわね。これもしかして、頭髪の上に土砂が積もっているのかしら。
よもや髪の毛でできた橋の上を歩けるだなんてね。最後までとんでもないスケールだったわ。
あたしは人として生まれたお陰で、孤独にならずに幸せな日々を送れているのよね。この幸運を活かさずにだらけていたら、巨人さんや蛇に恨まれちゃうわ。気合いを入れ直さなくちゃね。旅を再開するわよ。




