第8話 情報屋と職人
特注のトリミング道具を一から作り出す。
その決意を固めた俺だが、桜華学園のいち生徒でしかない俺には、腕の立つ職人のツテなどあるはずもなかった。
そこで俺は、学園の裏事情に最も通じているキツネ系獣人のクラスメイト、狐塚ランを放課後の第4温室跡に呼び出すことにした。
「へぇ、ここが最近噂になっている『秘密のサロン』ね。まさか神浦さんがその正体だったなんて、アタシの耳にも入ってなかったわ」
ランは油断なくピンと張ったキツネ耳を動かし、値踏みするように俺と温室の設備を交互に見回した。代々商売を営む一族の出身である彼女は、ちゃっかり者で常に損得勘定で動くタイプだ。
「それで? アタシをこんな所に呼び出して、何のご用かしら? 何かの情報を得ようとしているのだけはわかるわ。ただし、それなりの報酬はキッチリ頂くわよ」
「ええ、わかっているわ。だから、極上の対価を用意したの」
俺は女子生徒の裏声で微笑み、長椅子を手で示した。
「ランさん、あなたも自分の毛並みに少し不満があるんじゃない? 最近、尻尾の毛先が少しパサついているみたいだけど」
「なっ……! よく見てるわね……」
図星を突かれたランは、バツが悪そうに自分のふさふさしたキツネの尻尾を隠した。
「アタシが欲しい情報をくれるなら、あなたをミオやレオナみたいに、誰もが振り返るほどの完璧な毛並みにしてあげる。どうかしら?」
「たいした自信ね……いいわ。その取引、乗ってあげる」
ランは少し警戒を残しつつも、制服を脱ぎ捨てて全裸になり、細くしなやかな体をバスタブの前の椅子に腰を下ろした。
俺は独自調合したシャンプーを手に取り、彼女のキツネ耳の裏側から首筋にかけて指を滑らせた。
「ひゃんっ……!?」
触れた瞬間、ランの肩がビクンと大きく跳ねた。
「な、なによ今の……っ。指先から、変な電気が走ったみたい……っ」
「動かないで。キツネ系は神経が過敏だから、少し優しめに揉みほぐしていくわね」
計算高く打算的な彼女だが、肉体は他の獣人と同様、極上の快感に抗える作りにはなっていない。俺の『ゴッドハンド』が的確に神経節を刺激していくと、数分も経たないうちに彼女の理知的な瞳はトロンと潤み始めた。
「あ……ぁんっ……ダメ、そこ、すごく……いい……っ」
さらに、俺の体から漏れ出す微かな『オスのフェロモン』が、彼女の理性を確実に溶かしていく。
「はぁっ、はぁっ……神浦さんの匂い、すごく甘い……頭が、ぽわぽわするぅ……っ」
完全に骨抜きにされ、俺の腕にすり寄ってくるラン。
シャンプーとブラッシングを終える頃には、彼女はすっかり俺の虜になっていた。ツヤツヤになった自分の尻尾を抱きしめながら、蕩けた笑顔で俺を見上げる。
「ヒカルさん……っ、アタシ、あなたのタメならなんでもするわ……! 町工場のおばちゃんから闇市の元締めまで、ぜーんぶ紹介してあげる……っ!」
こうして俺は、学園随一の情報屋を、見事に手駒に加えることに成功したのだった。
+++
数日後。
俺はランの手引きで、学園の敷地外にある寂れた工房を訪れていた。
そこで紹介されたのは、サル系獣人の鍛冶職人・細工師であるクロエ・マカクだった。
「あんたがランの言っていた依頼主? 人間の小娘が、アタシに何の用だい」
作業着姿のクロエは、ぶっきらぼうな態度で俺を睨みつけた。手先が非常に器用だという彼女だが、その手には獣人特有の鋭くゴツゴツとした爪が生えている。
「クロエさん、これを作っていただきたいんです」
俺は持参した特注のハサミと、スリッカーブラシの精巧な図面をテーブルに広げた。前世の記憶を頼りに、ミリ単位で刃の角度やピンの配列を指定した自信作だ。
「なんだい、これは……?」
クロエは図面を覗き込み、怪訝な顔をした。
「ただのクシやハサミじゃないねぇ。この構造……無駄に複雑すぎる。なんでこんな特殊な角度や、細かい刃の入り方が必要なんだい?」
「獣人の厚い皮膚の下にある、特定の神経節を刺激するためです」
俺は一歩前に出て、クロエの目を真っ直ぐに見つめた。
「市販の道具では、表面の汚れを落とすことしかできません。でも、この角度と深さがあれば、毛根の奥にある神経を傷つけずに的確に刺激し、最高のツヤと弛緩を引き出すことができるんです」
俺の熱意と、圧倒的な知識に裏打ちされた説明に、クロエは息を呑んだ。
しかし、彼女は図面を見つめたまま、ふと自分のゴツゴツした手を隠すように後ろへ引いた。
「……理論はわかったよ。でも、アタシら獣人には、こんな繊細な道具を扱うことはできない。人間のあんたらみたいに器用な指先じゃないし、この爪が邪魔になるんだ……。こんなのを作ったって、需要が低そうね」
職人としてのプライドと、獣人としての身体的特徴に対する深いコンプレックス。それが彼女の言葉の端々に滲み出ていた。
「ええ、その通りです」
俺はあえて、冷徹な事実を突きつけた。
「こんな繊細な道具、爪が邪魔な獣人の手じゃ扱えません。よほどの訓練が必要です。……でも、私には扱えます」
「……!」
「私はこの道具で、獣人の常識を覆したい。あなたにしか、この図面を形にすることはできないんです。どうか、力を貸してください」
俺がさらに身を乗り出して顔を近づけた瞬間、クロエの肩がビクンと跳ねた。
至近距離から漂ってきた俺のフェロモンが、彼女の鼻腔を真っ直ぐに突き抜けたのだ。
「っ……! な、なんだい、この匂い……っ」
クロエの顔が急激に赤く染まり、呼吸が荒くなる。彼女の強気な態度は、極上のオスの匂いを前にして、一瞬でかき消されてしまった。
「あ、あんた……人間、なのに……なんで、こんな……っ」
フラフラと足元をふらつかせながら、クロエは図面の上に手をついた。
「……わ、わかったよ……。作ってあげる……その代わり、出来上がったら……アタシにも、その道具で……っ」
「ええ。完成の暁には、私が責任を持って、あなたを世界一美しく整えてあげます」
俺が微笑みかけると、クロエは完全に当てられた瞳でコクコクと頷いた。
こうして俺は、理想のサロンを現実のものとするための最強の『道具』を、手に入れる約束を取り付けたのだ。
だがこの時、俺は気づいていなかった。中和剤だけでは隠しきれなくなってきた俺が落とした『匂い』という名の火種が、学園の裏側で恐ろしい暴走を始めようとしていることに。




