第32話 令嬢のストライキ
「ちょっとヒカル! これヤバいんじゃないの!?」
温室の中で、俺の腕にしがみついていたミオが、窓の外の惨状を見て青ざめた顔で叫んだ。
「あんなゾンビみたいな泥棒獣どもが、いつここを破って入ってくるか分からないわ! もし突破されたら、ヒカルが骨の髄までしゃぶり尽くされちゃう!」
「ミオの言う通りです……!」
監視役のエージェント・セリアも、漆黒のタクティカルスーツを身にまといながら、顔面を蒼白にしてバリケード作りに奔走していた。
「最初は『これで私のマッサージの時間が増える』と喜んでいましたが、このままでは暴動を鎮圧するために軍隊が動きます! そうなれば、ヒカル様の安全が……いえ、私の極上のご褒美タイムが永遠に失われてしまう!」
「おいエージェント、本音が漏れてるぞ」
俺がツッコミを入れるのも聞かず、セリアは「絶対にヒカル様は渡さない!」と、ミオと協力して重い作業台やロッカーを必死に扉の前に積み上げ始めた。
最初は俺を独占できると喜んでいた二人だが、学園中のエリート令嬢たちがゾンビと化して押し寄せてくる恐怖に、今や完全にパニックに陥りながらドタバタと防衛戦を繰り広げていた。
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だが、ヒカルの狙いは学園をパニックに陥れることだけではなかった。
令嬢たちの狂乱は、やがて学園の壁を越え、彼女たちの親である巨大企業の総帥や軍のトップ、法曹界の重鎮たちへとその牙を剥き始めたのだ。
セントラル特区にそびえ立つ、巨大コングロマリット・キングスレイ財閥の豪邸。
その執務室で、総帥であるグレース・キングスレイは頭を抱えていた。
「……お母様! どうしてまだ国は動かないの!?」
娘のレオナが、執務室の机の上の重要書類を豪快に払い落とし、ヒステリックに叫び散らしている。
「私はもう、ヒカルさんの手と匂いがないと生きていけないの! 次期当主の勉強なんて全部やめるわ! お母様だって、あの極上の快感を味わったじゃない!」
同じ頃、法曹界の重鎮ハウンド家でも、レティシアが「ヒカル様の自由が認められないなら、ハウンド家の名など捨てます!」とストライキを起こし、ルプス家では凶暴化したシルヴィが屋敷の調度品を破壊しながら親に噛み付いていた。ベアード家のウルサも、食事を拒否して部屋に引きこもり、「ヒカルくんを返して」と泣き続けている。
娘たちの異常なストライキと、跡取りとしての責務を完全に放棄する姿勢は、親たちを大いに慌てさせた。
彼女たちエリート層が社会で機能しなくなれば、獣人社会のインフラそのものが崩壊してしまうからだ。
そして何より、親たち自身も焦っていた。
「ええ、分かっているさ……! アタシだって、あの坊やの手がなければ、もう夜も眠れない体にされているんだからね……っ」
グレース・キングスレイは、自分自身のライオンの毛並みを掻き毟りながら、血走った目で唸り声を上げた。
娘たちの要求は、もはや「ただの遺伝子供給奴隷として自分たちで囲い込む」といった個人的なものではない。それでは国が許さず、ヒカルはいずれ収容されてしまう。
だからこそ、娘たちは親の持つ巨大な権力を使って、国そのものに要求を突きつけたのだ。
「どんな手を使ってでも、人間の政治家どもに圧力をかけろ! 国がヒカルの自由を許してあの技術を保護しろ!」
それが、ヒカルのゴッドハンドとフェロモンに完全に依存しきった獣人のトップ層が、国家に対して突きつけた絶対の要求だった。
経済界、軍事、法曹、インフラ。
国の根幹を支える巨大な権力者たちが、娘たちの狂乱と自分自身の禁断症状に突き動かされ、人間の官僚や学園長に向けて猛烈な政治的・経済的圧力をかけ始める。
「国家のルールよりも、あの技術と我々の精神安定を優先しろ!」と。
将来の国を担う令嬢たちの反乱と、親世代への波及。
強固だったはずの獣人社会のシステムと、人間の女たちが作り上げた冷徹な管理社会に、明確な亀裂が走り始めた。
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旧校舎の温室の中で、扉の外から響く狂乱の叫び声と、セリアとミオが必死にバリケードを押さえるドタバタ劇を眺めながら、俺は静かに笑みを浮かべていた。
「さあ、これで舞台は整った」
国を動かすためのデータは揃い、社会を揺るがすための経済的・政治的圧力も発動した。
非人道的な隔離システムを破壊し、俺自身の自由を勝ち取るための『下剋上』は、いよいよ最終局面へと突入しようとしていた。




