第17話 監視下の生活
あの大規模なフェロモン爆発と、国家エージェントの突入劇から一夜が明けた。
俺は新しい男子用のスラックスとシャツに身を包み、桜華学園の門をくぐった。ただし、背後には漆黒のタクティカルスーツを着た黒猫系のエージェント、セリア・シャノワールがピタリと張り付いている。俺が卒業してセントラル特区へ強制収容されるまでの約一年間、彼女が二四時間体制で監視と護衛につくことになったのだ。
学園に到着して驚いたのは、あれほどの狂乱があったにもかかわらず、死者はおろか、重傷者すら一人も出ていなかったことだ。発情期特有の暴走とはいえ、エリート獣人たちはギリギリのところで致命傷を避けていたらしい。皆、頬や腕に小さな絆創膏を貼る程度のかすり傷で済んでいた。
カフェテリアのテラス席では、信じられない光景が広がっていた。学園の頂点に君臨するライオン系のレオナと、オオカミ系のシルヴィが、優雅に紅茶を飲んでいたのだ。
「昨日は見苦しいところを見せたわね、シルヴィさん。完全に理性が飛んでしまったみたい」
「気にしないで、レオナさん。あの強烈なフェロモンのせいだもの、抗えなくて当然よ」
二人はニコニコと微笑み合い、表面上はすっかり和解しているように見える。だが、すれ違いざま、俺の耳には彼女たちの本音がはっきりと聞こえた。
《フン、余裕ぶってるけど、ヒカルの極上の種は絶対にキングスレイ家が頂くわ!》
《油断しているうちに、ルプス家の武力でヒカルを必ず私のモノにしてやる……!》
獣人同士の対立は終わるどころか、より水面下でドロドロと燃え上がっていたのだ。
そんな背筋の凍るようなお茶会を横目に教室へ向かうと、廊下の隅で親友の猫系獣人のミオが待っていた。
「ミオ……」
「ヒカル……っ」
ミオは俺の顔を見るなり、大粒の涙をポロポロとこぼした。
「本当に、本当にごめんなさい……! 私、あんなゾンビみたいにヒカルに襲いかかって……首まで噛もうとして……っ」
ミオは深く頭を下げ、震える声で謝罪した。俺は彼女の肩に優しく手を置いた。
「俺の方こそ今まで男だと黙っていてわるかった。それに気にするな。俺が薬の限界を黙っていたのが悪いんだ。怪我はなかったか?」
「うん……。あのね、ヒカル」
ミオは潤んだ瞳で俺を真っ直ぐに見つめ返した。
「男の子だって分かっても、私の気持ちは変わらない。私、ヒカルの中身が好きだから……。だから、これからも『一番の友達』でいさせて!」
彼女は必死にメスとしての本能を隠し、自らの独占欲を満たすために健気な親友のポジションを死守しようとしていた。そのいじらしさに、俺は胸が締め付けられる思いで「ああ、もちろんだ」と頷いた。
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放課後。俺は学園の裏手にある旧校舎の第四温室跡、つまり秘密のサロンへと足を運んでいた。
「本当にここでトリミングを行うつもりですか? あなたはもう、自分が極上のフェロモンを放つ『人間の男』だと周囲に知られているんですよ」
部屋の隅に立ち、腕を組んで監視を続けるセリアが冷たく言い放つ。
「ああ。今まで予約してくれていた生徒たちを、裏切るわけにはいかないからな」
俺はそう答え、本日の予約客であるクマ系の女子生徒を招き入れた。
だが、状況はカミングアウト前とは全く異なっていた。
「ひゃんっ……! あぁんっ……ヒカル先輩の、男の人の手が、直接……っ」
シャンプー台に横たわるクマ系の後輩は、俺の指先が地肌に触れただけで、あられもない声を上げて身をよじらせた。
女子だと思っていた頃でさえ俺のゴッドハンドによるケアは獣人たちを虜にしていたが、今は違う。俺から微かに漂うオスの匂いと、「完全な人間の男に全身を撫で回されている」という事実が、彼女たちの理性を凄まじい勢いで溶かしていくのだ。
「ああっ、ダメ、そんな奥まで揉まれたら……頭がおかしくなっちゃうぅっ……!」
深い神経節を的確に刺激するマッサージに、後輩の生徒は全身をビクビクと痙攣させ、ついにシャンプー台の上で絶頂をむかえてしまった。白目を剥き、だらしなく舌を出して快感に溺れる姿は、およそエリート学園の生徒とは思えない。
その甘くエロティックな光景を至近距離で見せられ続けていたのが、監視役のセリアだった。
「馬鹿馬鹿しい……たかがマッサージで、あのように理性を失うなど」
セリアは無表情の仮面を貼り付け小さくつぶやきながら、強く自分を戒めていた。
しかし、彼女の体は正直だった。
温室内に充満するシャンプーの香りと、俺の強烈なオスのフェロモン。それがセリアの鼻腔をくすぐるたび、彼女の引き締まった太ももがモジモジと擦れ合う。
「ハァッ……ハァッ……」
無意識のうちに息は荒くなり、漆黒の猫耳がピクピクと敏感に反応している。さらに、彼女のしなやかな尻尾が、制服のスカートの裏で落ち着きなく左右に激しく揺れ動いていた。
俺は次の客の準備をしながら、鏡越しにセリアのその様子をチラリと確認した。
……ふん。口では冷徹なことを言っているが、あの護衛官、もう限界が近いじゃないか
俺の自由を奪う国家の監視システム。それを内側から食い破るための「最強の共犯者」を作り上げる準備は、すでに整いつつあった。




