第16話 絶望の施設
窓のない漆黒の輸送車に揺られること数時間。俺が連行されたのは、学園から遠く離れた場所にある「国立生殖医療センター」に併設された特別な研究施設だった。
重厚なセキュリティゲートをいくつも通り抜け、案内されたのは無機質な白い壁に囲まれた監視室だ。そこには、白衣を身にまとった冷徹な眼差しの女性と、俺を連行してきたエージェントのセリアが待っていた。
「初めまして、神浦ヒカルさん。私はこのセンターの主任研究員であり、本日からあなたの専属医となる桜井菜月です」
菜月は手元のタブレット端末から目を離さず、一切の感情を交えない事務的な声で告げた。
「先ほどのフェロモン爆発により、あなたの体内に蓄積されていた中和剤の副作用は一時的にリセットされました。健康状態に問題はありません」
「……俺を、どうするつもりですか」
俺が低く睨みつけると、菜月は初めて顔を上げ、メガネの奥の冷たい瞳で俺を観察した。彼女にとって俺は一人の人間ではなく、ただの「貴重な国家の資源」でしかないことがその目から痛いほど伝わってきた。
「『特別指定男性保護法』に基づき、今後のあなたの処遇を宣告します」
菜月は淡々と、しかし決定的な絶望を口にした。
「あなたは18歳の高校卒業と同時に、セントラル特区の最深部へ強制収容されます。以後は一生涯にわたり完全な隔離生活を送り、国家への義務として『1日1回の精子提供』を行っていただきます」
頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
「ふざけるな……っ! 俺は人間だ! 一生オリに閉じ込めて奴隷にするなんて、そんな非人道的なことが許されるわけがないだろう!」
俺は激昂して立ち上がったが、背後に控えていたセリアに肩を強く押さえ込まれ、再び椅子に座らされた。
「許されるのです。それが、この世界の法律・ルールですから」
菜月は微塵も動じず、タブレットを操作した。「百聞は一見に如かず、ですね。あなたの『先輩』をお呼びしました。彼を見て、自分の立場を理解しなさい」
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監視室の奥のドアが開き、屈強な警備員に両脇を抱えられるようにして、一人の男が入ってきた。
「……彼は、ジン・ドーベルです。1000人に1人の割合で生まれる希少な獣人のオスであり、現在は国家が管理する『公共インフラ』として機能しています」
現れたジンという男を見て、俺は息を呑んだ。
犬系の獣人である彼は、本来なら引き締まった屈強な肉体を持っているはずだった。しかし、今の彼は頬がこけ、目の下にはどす黒いクマが張り付き、全身から生気が完全に失われていた。
ジンは虚ろな目で俺を見ると、自嘲するように乾いた笑いを漏らした。
「……お前が、噂の未登録だったガキか。災難だったな」
「あんた……一体、何をされて……」
「何って、国のために働いてるだけさ。毎日毎日、顔も知らない何十人もの発情したメス獣人の相手をさせられる。……拒否権なんてない。薬を使われて、機械みたいに絞り取られるだけの毎日だ」
ジンの言葉には、怒りや悲しみすら通り越した、完全な諦観だけが漂っていた。
「快楽もクソもねぇよ。俺たちは生き物じゃない。ただの『資源』だ。……お前も、いずれこうなる。無駄な抵抗はやめて、早く諦めた方が楽になれるぞ」
力なく呟く彼を見せつけられ、俺は胸の奥底でドロドロとした怒りが沸騰するのを感じた。
これが、この国が言う「保護」の正体だ。
母さんたちが恐れ、必死に俺を女として隠し通そうとした理由が、残酷なまでの現実として目の前に突きつけられた。もし俺がこのまま運命に従えば、数年後にはジンのように心を壊され、生きる屍となるのだ。
(ふざけるな……絶対に、俺はこんなシステムに屈しない……っ!)
母さんたちが水面下で進めている「プランB」の防衛線。そして、俺自身が持つトリマーとしてのゴッドハンドと、獣人を狂わせるフェロモン。
手札はまだある。俺は決して諦めない。この狂った社会構造を、根底からひっくり返してやる。ジンに見せつけられた絶望は、逆に俺の下剋上への決意を鋼のように固くした。
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その後、俺は再び漆黒の輸送車に乗せられ、セントラル特区にある自宅へと戻された。
学園中を狂わせたフェロモン爆発は副作用の一時的なもで、今後は原因だった中和剤を使用しないと約束し、「貴重な人間のオスを学園という囲いの中で成熟させる」という国の判断で、俺は退学にはならず、明日からも桜華学園への通学が許可された。
だが、当然ながら自由が戻ったわけではない。
自宅のリビングに、黒いタクティカルスーツを着たセリアが音もなく立っていた。
「卒業までの約1年間、私があなたの護衛、兼監視役として24時間体制で張り付きます」
セリアは冷徹なエージェントの顔を崩さず、俺に宣告した。
「学園への登下校はもちろん、授業中、睡眠時、さらには入浴やトイレに至るまで、私の視界から外れることは許されません。少しでも逃亡の素振りを見せたり、意図的にフェロモンを拡散させようとした場合は、即座に実力を行使して拘束します」
息の詰まるような、絶対的な監視生活のスタートだった。
セリアは隙一つ見せず、壁際に立って俺の動きを鋭く見張っている。国家の忠実な犬――いや、猫である彼女を出し抜かない限り、俺が学園でエリート令嬢たちを裏から支配する計画は一歩も進まない。
だが、俺には勝算があった。
(……どんなに厳しい訓練を受けた密偵だろうと、獣人である以上、俺の手技と匂いには逆らえないはずだ)
俺はソファーに腰を下ろし、監視を続けるセリアを静かに見つめ返した。
まずは、この冷徹な黒猫からだ。
この24時間の密室生活を利用して、彼女を骨抜きにし、俺の共犯者に引きずり込んでやる。
絶望的な未来へのカウントダウンが響く中、俺とエリート護衛との、静かで過激な共同生活が幕を開けた。




