第4章 選んだあとの距離 第6話
奇跡拒否地区を離れた夜。
訓練校の会議室には、張り詰めた静けさがあった。
疫病都市の後とは、明らかに違う空気だ。
あのときのような焦燥も、怒号もない。ただ、冷えた灯りの下で記録だけが整然と並んでいる。
机に並ぶ記録板は、同じ十四枚。
だが、その内容は驚くほど穏やかだった。
マルコは、しばらく黙って板を眺めてから口を開いた。
指先で一枚の端を軽く叩く。
「……使わなかったな」
それは評価ではなく、確認に近い言葉だった。
ラファエルが椅子にもたれたまま、頷く。
「正確には、“使えなかった”が、“使おうとしなかった”に変わったってことだけど。
疫病都市のあとで、判断が一段落ち着いたのかもな」
イザベラが、淡々と数値を示す。
机上の資料をめくる音が、やけに大きく響いた。
「奇跡行使:試行は数名。
ただし、全員、無効を確認した時点で中断しています。
強行例は、ありません」
マルコは、静かに息を吐いた。
「拒否地区は、奇跡を奪う場所だ。
それでも立てるかどうかを見ていたわけだが……」
記録板を一枚ずつ繰る。
瓦礫をどかした者。
包帯を巻いた者。
声をかけ続けた者。
時間のかかる判断に耐えた者。
どれも地味だ。だが、確実に残る行動である。
「派手さがないな」とラファエルが言う。
「だが、疫病都市より“折れてない”」
イザベラが、ゆっくりと視線を上げる。
「現地からの信頼評価は、想定以上。
警戒はありましたが、拒絶は減少しています」
マルコは軽く頷いた。
「奇跡を持たない者として扱われた時、どう振る舞うか。
ここで、聖女という肩書きにしがみつかなかった、か……。
では次に……。あの者たちは?」
ラファエルが、わずかに背筋を正す。
「まず、疫病都市で問題が出そうだった者。
……今回は、抑えたな」
イザベラが記録を指でなぞる。
「奇跡行使なし。現地規則順守。
ただし、判断速度は相変わらず速い。
衝動が消えたわけではありません」
ラファエルが、鼻で笑った。
「分かってないが、止まれるようにはなったんだ。
進歩だな」
小さく頷いたあと、マルコは視線をイザベラの手元に向けた。
「では次に、ほとんど目立たなかった者だが……。
拒否地区では、逆に浮かび上がったようだな」
イザベラが補足する。
「現地信頼:高。
指示なしでも、人が集まっています」
ラファエルが、短く言った。
「“そこに居る”だけで場が落ち着くタイプだ」
マルコは三枚目の記録板を閉じながら、静かに言葉にした。
「奇跡の有無に左右されなかった者。
疫病都市でも、拒否地区でも、判断の質が変わらない。
これは……非常に珍しい」
イザベラが静かに言う。
「ここまで来ると、もう訓練ではありません。
選別段階です」
その言葉に、室内の空気がわずかに変わった。
ラファエルが腕を組みながら、ちらりとマルコに視線を向ける。
「次は……」
マルコは、ゆっくりと頷いた。
「好都合。次は、最終試験だ。
奇跡を使える然々ではない。
使えない状況でも、拒まれる状況でも。
それでも立つか」
記録板を整えると、腕を組みながら呼吸を整えるように小さく息を吐いた。
「十四名全員を、最終試験へ進ませる。
ただし。試験の峻厳さは未曾有のものとする」
ラファエルが低く言った。
「うん。ここまで来た以上、甘く見る必要はない」
イザベラは、静かに締める。
「すでに記録は、揃いました。
あとは本人たち次第です」
ラファエルは軽く伸びをしながら、「じゃ、お開きにしましょうよ」と呟いた。
現地実技のあとの会議は、それで終わった。
候補生たちは、まだ知らない。
次に与えられる試験が、技術でも知識でもなく──
“聖女として、残る覚悟そのもの”を問うものだということを。
「では──。
最終試験について。
日時は、明日」
「ん、了解」
「了解しました」
夜は更けていく。
机上に残された十四枚の記録だけが、静かに次の一日を待っていた。




