第4章 選んだあとの距離 第5話 使わない奇跡 2/6
領地に近づくと、門前で待機の指示が出る。
誰も抗議はしない。
馬も、人も、声を潜めたまま止まった。
風が乾いた土を撫で、旗が小さく鳴る。
門上の見張りが
こちらを値踏みするように
見下ろしているのが分かる。
しばらくして、
拒否地区の門が軋む音を立てて開いた。
重い鉄の音は、
祝福の鐘とは似ても似つかない。
内側から差す光も、温度を持たない。
それは歓迎ではない。
ただの許可だった。
到着した町は、驚くほど整っていた。
石造りの街路は清潔に掃き清められ、井戸の水も澄んでいる。
人々の顔色も良く、悪い病の影は見えない。
荒廃もない。
だが、入口の門には木札が下げられていた。
『奇跡持込禁止区域
─めばえ評議会─』
木札は新しく、墨の文字は濃い。
風に揺れるたび、かすかに軋む音が鳴る。
その音が、目に見えない線を強調しているかのようだった。
三人の案内役の役人が、候補生たちを見渡して声を潜める。
隠しているつもりなのだろうが、一線引いたよそよそしさは一目瞭然だった。
「ずいぶんとまた大勢で……」
「また面倒な……」
「ここでは、“神の介入”そのものが争いの種になる」
言葉の端に滲むのは敵意というより、疲労と警戒だった。
関わりたくない、だが無視もできない──そんな距離。
イザベラが役人の一人と言葉を交わし、神殿へと向かう。
石畳を踏む靴音がやけに大きく響く。誰も話さない。
神殿の内部は静まり返っていた。
すでに長机の向こうには評議会の面々が座っている。その中央に、純白の法衣を纏った神官と、一人の正式聖女がいた。
「聖女候補生の派遣に感謝はする。
だが──。」
神官の声は丁寧だった。だが、迷いはない。
「奇跡は不要だ」
はっきりとした言葉に、候補生の何人かが息を呑んだ。
空気が一段階、冷える。
候補生たちの様子に表情を変えることなく、神官は淡々と話し続ける。
「ここでの人々は、祈りによって生きている。
彼らに伝わっているのは次の三つ。
“奇跡は、人の信仰を堕落させる”
“癒やされれば、人は努力をやめる”
“救われれば、神を忘れる”」
過去に聖女が来訪し、宗派が分裂したこと。
癒やされた者と拒んだ者が争い、町が割れたこと。
神官は感情を交えず、それを語った。
それは告白ではなく、確認事項の提示だった。
「よって。
貴女方には、“何もしない”ことを求める」
命令だった。
その言葉は、候補生たちの胸に沈む。
何もするな、と──。
「承知しています。
問題は起こしません」
そう言って、正式聖女は一歩前に出た。
「私たちは使いません」
言葉は短く、選び抜かれていた。
説得でも、命令でもない。
その言葉は町へ向けた宣言であり、同時に候補生たちへの境界線でもあった。
奇跡を持ちながら、使わない。
それが、この地で課された最初の判断だった。
その声には、かつて同じ場所に立ち、同じ衝動を飲み込み、同じ迷いを越えてきた者だけが持つ、迷いのなさがあった。




