第4章 選んだあとの距離 第5話 使わない奇跡 1/6
夜明け前の空気は、冷え切っていた。
白くかすむ吐息が、静かな中庭にゆっくりと溶けていく。
訓練校の中庭には十四名の候補生が整列していた。
誰も声を上げない。衣擦れの音すら控えめで、ただ靴底が石畳に触れる感触だけが、現実を伝えている。
昨日の座学が、彼女たちの身体の奥にまだ沈んでいた。
『戦場は“場所”ではなく“状態”』
『判断は終わらない』
『奇跡は戦争を終わらせない』
黒板に書かれた言葉はすでに拭われている。それでも、候補生たちの胸の内には、はっきりと残っていた。
誰もが、昨日までとは少しだけ違う。
マントの留め具を直す指先がわずかに硬く、荷袋の紐を引く動作が必要以上に丁寧になる。
無意識のうちに、自分を整えようとしていた。
疫病都市を離れるとき、見送る人はいなかった。
窓の奥で視線を逸らした者。
無言で扉を閉めた者。
祈るでもなく、罵るでもなく、ただ距離を取った者。
期待を与えきれなかった者に、別れの言葉は残らない。
差し出した手が、わずかに遅れた感覚。
届かなかった視線。
救えた人。
救わなかった人。
曖昧で、しかし確かに重い感触が、胸の奥に残っている。その重みを抱えたまま、次へ向かう。
今回は、拒否地区。
奇跡を拒む者たちの住む場所。
『東境界、レムノス自治領』
集合した候補生たちの前にラファエルが立つ。
乾いた音で指を鳴らすと、空中に地図が浮かび上がった。
端に追いやられたような位置に、小さく地名が記されている。
「これから向かう場所だ。
宗教自治が認められている地域はここだけだ。
しかしこの地区では、奇跡の使用は、原則として禁止。
必要な場合も、住民と評議会の同意が前提になる」
同意──。
その言葉は、疫病都市を経験した候補生たちには奇妙に響いた。
前回は奇跡を求められすぎていた。
今度は、逆に拒まれている。
門の外から蹄が地面を掻く音とともに三台の馬車が姿を現し、そのうちの一台に候補生たちは順番に乗り込んでいく。
今日も最後に乗り込んだのは、テリカだった。
チラリと向けた視線の先は、あとに続く馬車に乗り込む講師たちだった。
昨日よりも補助講師の数が多い──?
彼女の微かな違和感を打ち消すように扉が閉まる。
車輪は石畳を軋ませてゆっくりと進んで行った。




