第4章 選んだあとの距離 第4話 戦場という状態 7/7
若い軍人の声が止まった瞬間、教室の空気がわずかに重さを変えた。
候補生たちは、呼吸の仕方を忘れたように固まっている。
誰一人、視線を逸らさない。逸らせない。
義手の金属部分が、窓から差す淡い光を鈍く反射していた。
本来そこにあったはずの腕の重みが、逆に強く存在を主張している。
彼は一度、視線を床に落とした。
思い出しているのか、数えているのか、それともただ言葉を選んでいるのか──判別はつかない。
老人は口を挟まない。
ただ一歩だけ後ろに下がり、証言の場を完全に譲っていた。
若い軍人は、わずかに息を吸う。
その音が、妙に大きく響いた。
そして、顔を上げる。
「仲間も同じだ。
死なないから、補充されない。
代わりが来ないから、休めない」
教室は、深い静寂に包まれている。
若い軍人は感情を抑えたまま、続けた。
「最後は、足を失った。
それで、ようやく下げられた。
癒やしは、救いだ。でも……」
彼は視線をまっすぐ前に向けた。
「戦争を、長引かせる」
言葉は静かだが、重い。
老人が頷きながら前へ出る。
「これが、現実だ」
そう言って、黒板に大きく文字を書いた。
『奇跡は、被害を減らす
しかし、決断を遅らせる』
白い文字が、くっきりと浮かび上がる。
「だから、聖女は戦争の一部だ」
その言葉が、候補生たちの胸に落ちる。
善意や理想を、静かに押し沈める重さ。
「善意では、使えない。
同情では、動かせない」
ノートを取っていた候補生の手が止まる。
紙の上に、未完の線が残る。
癒やしは正しい。
救うことは良いことだ。
そう信じてきた。
だが──。
癒やすことで、戦争が終わらないなら?
それでも、癒やすべきなのか。
誰も声に出さない問いが、教室を満たす。
講義の最後に、老人は言った。
「覚えておけ。
癒やしは、命を救う。
だが、平和は救わない」
その言葉は、淡々としているのに、胸に刺さる。
講義が終わる。
老人も若い軍人も、余計な言葉は残さなかった。
老人と若い軍人の入れ違いにイザベラが前に立った。
「明日は別地区の現地実技です。
夜明け前に出発になります。各自、装備を整えて中庭に整列して待機するように。
本日の訓練は、これまで。解散」
候補生たちは講義室を後にしながら、自然と振り返っていた。
以前学んだのは、癒やさない判断だった。
そして今回、突きつけられたのは、癒やす判断の代償。
どちらも、正しい。
どちらも、間違いではない。
だからこそ。
聖女は、戦争から降りられない。
その事実を、誰もが理解してしまった。




