第4章 選んだあとの距離 第3話 終わらない判断 2/5
白いボードに、新たに文字が表示される。
『誰を選んだか』
『なぜ、その一人だったのか』
『その理由を、最後まで持ち続けられるか』
「重要なのは、選択そのものではありません。
選ばなかった二人を、あなたが“どう扱うか”です」
ざわ……と、小さく空気が動く。
椅子がきしみ、誰かの指先が机をなぞる音がかすかに響いた。
「彼らを“仕方なかった”で済ませるか。
それとも……。
自分が見捨てたと認めるか」
講師は候補生たちを一度見渡してから、古い記録を一冊取り出した。
擦り切れた背表紙。幾度も開かれた跡がある。
「ここに古い記録があります。
この聖女は、三人のうち一人を救いました。
残り二人は、死亡しています」
講師は淡々と、「彼女の評価は、高い」と告げた。
すると、候補生の一人が思わず口にする。
「……正しい判断だったから、ですか?」
講師は首を横に振り、「違います」とひとこと答えてから続けた。
「彼女は、選ばなかった二人の名前を、最後まで記録に残しました。
報告書には、毎回こう書かれています。
『私が救わなかった二人である』と」
教室が、静まり返る。
候補生たちの羽根ペンを持つ手が、止まっていた。
「聖女の仕事は、“救うこと”ではありません。
『選ぶこと』です。そして『選ばなかったものを、忘れないこと』です。
奇跡は、万能ではありません。選択は、常に欠けたまま行われる。
その欠けた部分を、聖女は一生、背負います」
講師はちらりと白いボードに視線を向け、指を鳴らした。
表示されていた文字が消え、新たな文字が浮かび上がる。
子ども
兵士
数式も、注釈もない。
単語だけが、静かに並ぶ。
講師は教卓に寄りかかり、少し低い声で言った。
「今度は、簡単です。
質問は、ひとつ。
どちらを優先しますか?」
“簡単です”──その言葉に、誰も安心しない。
講師は白いボードを示し、淡々と付け足す。
「条件を揃えましょう。
重傷度は同じ。
奇跡は一回。
放置すれば、両者とも死亡。
年齢差は……あります。子どもは八歳、兵士は二十五歳」
教室の空気が張りつめる中、間を置かず声が上がる。
迷いのない声だった。
「子どもです。
未来があります」
別の候補生も頷きながら続ける。
「兵士は覚悟して戦場に出ている。
子どもは、違います」
講師は黙って聞いている。
否定しない。だが、肯定もしない。
白いボードに、小さく文字が付け足された。
兵士:回復後、部隊復帰予定
交代要員なし
作戦継続中
「補足します。
この兵士が死ねば、部隊は後退します。後退すれば、この街は守れません。
街には、あなた方と同じ年頃の子どもが百人います」
候補生の顔色が変わる。
さきほどまで即答だった者たちが、沈黙する。
「もう一度聞きます。
どちらを優先しますか」
今度は、誰も答えない。
講師の手元の古い報告書が、パラリ……と捲られた。
その乾いた音が、やけに大きく響く。
「過去に、同じ判断をした聖女がいます。
彼女は、兵士を選びました」
「……冷たい判断ですね」
思わず口にした候補生に、講師は視線だけを向けた。
「彼女の報告書には、こう書かれていました。
『私は、あの子の未来より、この街の時間を選んだ』と。
──では、さらに条件を重ねます。
兵士は、志願兵ではありません。徴兵です。
子どもは……、この街の貴族の子です。
優先順位は、変わりますか?」
候補生たちに、ざわり……と動揺が走る。基準が、揺らぐ音だった。
講師は、初めてはっきりと言う。
「正しい答えはありません。ですが」
彼が指を鳴らすと、白いボードに文字が大きく表示された。
評価対象:
『選んだ基準』
『揺らいだ理由』
『それでも下した判断』
「感情で選んでもいい。
合理で選んでもいい。
信仰で選んでもいい。
問題は、“その基準を、他の場面でも使えるかどうか”です。
聖女は、命の重さを測る者ではありません。
命を並べて、それでも一つを取る役目です」
候補生たちは、昨日よりも重い沈黙の中で席に座っていた。
子どもを選んだ者も、兵士を選んだ者も、等しく理解する。
どちらを選んでも、“正義”とは呼ばれないということを。




