14話 保健室の主
14話 保健室の主
「ミコ、すまん。時間食っちまった」
「遅いですよ、アキ。何をして…… ! どうしたんですか! 唇から血が出てます! 一体何があったのですか!?」
保健室に戻ったアキトは、ベッドからはね起きて早速取り乱したミコに問いただされ、動揺していた。アキトは口を拭って出血を確認すると、
「あ、ああ、そう、そうなんだよ! さっき廊下で人とぶつかっちまって! そいつ、すげぇ痛がるから謝り倒してきたんだよ。そんで遅くなった。悪い……血が出てるのは気が付かなかったよ」
適当な嘘でやり過ごそうとするのだが、そう簡単にはいかないようだ。
「……本当ですか? アキ、何かを隠している時の顔をしていますよ?」
いつもながらミコは妙に鋭い。アキトはなるべく顔に出ないように注意しようと頑張るのだが、逆に意識してしまっているらしい。
「え? そ、そんな顔してたか?」
「私に隠し事は出来ませんよ?」
「……実は、女の子に……」
観念したアキトは言おうとして口を噤む。そうだ、ここで真実を言ってはいけない。ミコに被害が及ぶ事だけは避けねばならない。相手はとんでもない手練の暴力女と胡散臭い詐欺師だ。何をされるか分かったものじゃない。危なかった。ミコに隠し事が出来ないアキトの悪い? 癖だ。さて、どうしたものかと考え込んでしまった。
「……アキの事ですからまたラッキースケベな展開に巻き込まれたんですね?」
「なっ! バカ! そんなんじゃ……」
上手い言い訳も考えつかずにアキトはまた黙ってしまう。
「……肯定と受け取ります。全くアキは! 脇が甘すぎです! もっと慎重に行動して下さい! アキはもっと……自覚して下さい! ……私というものがありながら……」
「……何をボソボソ言ってんだよ。そう言えば、アヤコ先生は帰ってきたか? 姿が見えないが……」
「またそうやって話題を変えようとしてますね?」
ミコの頬が徐々に膨らんできている。
「違うって! その、遅くなった事は謝る。すまん。いや、ごめん。……ごめんなさい」
ミコの顔色を見ながら口調を変え、謝り倒す。怒りが徐々に呆れに変わっていくのをアキトは見逃さなかった。
「そうだ! お茶を買ってきた。スポドリにしようと思ったんだけど売り切れてた。そんで迷っちゃって……全く、運動部ってのは容赦ねぇよな!」
右手で差し出されたお茶と、アキトの顔を交互にジト目で見ていたミコだったが、アキトが左手に抱えているお茶二本と飲みかけの水に目をやると、
「……水がいいです」
ミコは膨れながら、赤い顔で恥ずかしそうにそう言う。
「え? 水でいいのか? じゃあ、俺の飲みかけだけど、これ飲め」
アキトはそう言って飲みかけのミネラルウォーターをミコに渡すと、ベッドの横に置かれた椅子に腰掛けた。一応お茶も一本枕元に置いておいた。
ミコは手渡された飲みかけのミネラルウォーターに恥じらいながら嬉しそうに口をつけるのだった。
――ガラガラ
「ン? 何だ? お前らこんな所で何やってンだ?」
養護教諭、いわゆる保健室の先生であるアヤコが入ってくるなりそう言った。
「あのなぁ、センセ、保健室ってのは具合が悪いヤツが来る所だぜ?」
「そうか? お前は元気そうじゃないか。何かいい事でもあったのか? それとも、丸井とイイ事でもしてたのか? ン?」
アヤコはベッドの横で椅子に腰掛けたアキトの顔をニヤニヤと覗き込む。アキトの眼前にシャツの第二ボタンまで外されて谷間が露わになってしまっている胸が迫ってきた。
「ば! バカじゃねーの! 仮にも先生がなんて事言ってんだよ!」
アキトは顔を真っ赤にして反論する。
「……やっぱりアキは歩くセクシャルハラスメントです……」
ミコが何だか誤解を受けそうなトンデモ発言をしている。
「丸井の顔が真っ赤じゃないか。大方誰も居ない事をいい事にキスでもしてたンだろ? お前の唇の出血から察するに、相当に熱いキスだった様じゃないか? ン? どうなンだ?」
「な! な、な、何言ってんだ! ミコの顔が赤いのは熱があるからだよ! そして俺の出血はただのケガだよ!」
「ムキになる所がまた……うーン、青春だねぇ」
アヤコは一人納得した様子で腕組みしながらウンウンと頷いている。
「ダメだこりゃ……ミコ、体温計を見せろ」
言われたミコは、何も言わずモジモジしながらアキトに体温計を渡した。
アキトは体温計に表示された38.4℃の表示に驚きながらアヤコに渡す。アヤコは渡された体温計を逆さにしたり裏返したりしながら納得いかないような顔をしていたが、
「うン、微熱だな。寝てれば治る!」
「治るか!」
思わず突っ込むアキト。
「女の体温は男に比べて高いンだよ。基礎体温を測れ! まあ、低い時もあるが。そう言う事だ。」
「どういう事だよ。意味が分かんねぇよ!」
「……きっと高体温期なンだろ。平熱が37℃なら、38℃は微熱だろ。寝てりゃ治る。例え違ったとしても、39℃を超えてから騒げ!」
「……もうめちゃくちゃじゃねーか」
「アキ、私は大丈夫です。アヤコ先生の言う通り寝てれば治りますよ」
ミコはそんな強がりを言う。アキトはミコの辛そうな顔を見て、だんだんアヤコに苛立ってきている。アヤコに文句の一つでも言ってやろうとアヤコの顔を見やると、満面のしたり顔をしたアヤコと目が合った。
「ふはははは! 丸井がそう言ってンだ。大東、お前の出る幕では無い!」
「……ミコ、暖かくして寝るんだぞ。水分補給を忘れるな。アヤコ先生はクソの役にも立たない。何かあったら俺に電話しろ」
「大東にしてはいい判断だ! 成長したンじゃないか? 何にせよ、私の手を煩わせるな!」
「うるせぇ! アホな事言ってないでとっとと薬を寄越せ! いつもの解熱鎮痛剤を寄越せよ! ミコと、俺の分もだ! 頭が痛くなってきた!」
偏頭痛持ちのアキトは、しょっちゅう保健室で薬を貰っていた。その度にアヤコと顔を合わせていたわけで、既にアヤコのダメっぷりを痛い程理解しているつもりだ。
アヤコは二十代もそろそろ後半に差し掛かろうとしている年齢だと思われる。実際の所は誰にもわからないが、少なくともアキトはそう考えていた。
最初は見た目に騙されて学園の男子生徒の多くがアヤコに憧れを抱くのだが、如何せん彼女の女性とは思えない程の雑な行動と性格に例外なく幻滅する。男子生徒達のこんな嫁はイヤだグランプリにおいて無類の強さを誇り、毎度圧倒的差をつけて女王の名を欲しいままにしている。
アキトはそんなアヤコに対して最初は驚いたのだが、自分の欲にどこまでも忠実で非常に分かりやすい所や、他人に必要以上に干渉しないサバサバした性格に好感さえ抱いていた。ミコやハナエとのギャップのせいだと思われる。アヤコからしてみれば、ただ単に面倒なだけなのだろうが。
アキトは流石に今日は絡むと意外と面倒な事を再確認して怒りさえ覚えたが、既にその怒りも通り越して呆れてしまっている。
「アスピリンならその戸棚にある。いつも通り勝手に持っていけ」
「いつもの事だが、いいのかよ……」
「私は仕事はしないが無能では無い。ダメならダメとそう言うさ」
「本当かよ……」
「用法用量は以前言った通りだ。万が一何か体に異変があっても、絶対に私の名前を出すなよ。以上だ。私は寝る! 起こすなよ!」
そう言うとアヤコは白衣のポケットから可愛らしい目の装飾が施されたアイマスクを取り出して慣れた手つきで着けると、隣のベッドにダイブした。
「なんだよ。結局は自己責任じゃねーか……」
アキトの不満も既にアヤコの耳には届かないらしい。
「アキ、お弁当は食べたのですか? もうお昼休みも終わっちゃいますよ?」
ミコが心配そうにアキトを見ていた。
「やべぇ……忘れてた……」
「今ならまだ間に合いますよ。教室へ戻って下さい。私は少し、眠ります」
「分かった。じゃあ、帰るときに迎えに来るからゆっくり寝てろよ」
そう言って保健室を出ようとすると、
「おおひがしー、お茶を一本置いてけよー。薬代の代わりだー。あたしが飲むー」
寝惚けているのか、ダルいのか分からないが、アヤコが甘えた声でそんな事を言ってくる。
「はぁ? 薬代って……あんたの金で買ったワケじゃねーだろ!」
「お前がいつも飲んでるアスピリンは私の金で買ってる。嫌ならもうやらん!」
ミコと顔を見合わせて渋い顔をするアキト。ミコは笑顔で頷いた。
「しゃーない。じゃあ、やるよ!」
そう言ってお茶をアヤコに向かって投げる。
――ゴン
「痛っ」
怒られるかと思ったが、アヤコはそれきり何も言ってこなかった。
アキトはミコに手を振って保健室を後にする。昼休みも残り少なくなってしまっていた。
「丸井……いつもの薬を飲んで寝てろ」
アキトが保健室を出た後で、アヤコは静かにそう言った。
「はい……いつもご迷惑をお掛けしてすみません……」
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「さて、どうしたもんかね。教室に戻って弁当を食べるか、学食に行ってタケルに合流するか……参ったな……」
体育の授業中にタケルと交わした約束を思い出す。アキトは、珍しく約束を交わした時に限って色々と事件が起きてしまう自分の不運を呪っていた。
「……弁当は次の授業の合間に食べるか……持ってくれよ! 俺の腹!」
アキトは何となく格好よく独り言を叫んで学食へと走った。
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