第58話 東嶺の影
朝もやが西山の峰々を覆い、冷たい空気が城塞の石壁に張りついていた。
レオンたちは、グスタフ男爵の提供した馬に跨り、東嶺へ向かう険しい山道を急いでいた。
男爵自身も、鎧をまとった十数名の精鋭兵を率いて同行する。
彼の顔には、廃鉱山で目撃した「試作機」の記憶が深く刻まれ、いつもの荒々しさに加え、緊迫した覚悟の色が浮かんでいた。
「東嶺への道は、この西山よりもさらに複雑だ」
グスタフが低い声で言った。
一行は細い峠道を進んでいた。
右側は切り立った崖、左側は深い谷が広がっている。
「フリーデリカの領地は、天然の要害に囲まれている。彼女が理知的なのは、その地形が育てた部分もあるだろう。だが、クラウス殿下が自ら動くとなれば…状況は一変する」
レオンは前方を見据えながら
「殿下が直接動くということは、我々の行動が彼の脅威となった証だ」
「あるいは、東嶺で何か重大なことが進行している」
アーサーが老いた手で杖を握りしめ、ゆっくりとうなずいた。
「ふむ……東嶺は古くから魔術と工芸が融合した地と言われる。もし殿下が『試作機』のような技術を追求しているなら、東嶺の知識や資源を狙うのも道理だ」
キースは馬を進めながら、常に周囲を警戒していた。彼の片目は、道端の草の倒れ方、岩の色の微妙な変化、風に乗ってくる匂いを絶えず捉えている。
突然、彼が手を挙げて一行を止めた。
「道に足跡がある。新しい。10人以上。重い荷物を運んでいる」
グスタフの兵士たちが即座に警戒態勢に入る。
男爵自身も馬から降り、キースの指し示す地面に蹲った。
「……確かに。だが、これは兵士の足跡ではない。歩き方が乱れている。荷物を担いでいるが、隊列が整っていない」
レオンも馬から降り、足跡を調べた。
「農民か? それとも……難民か?」
キースが谷底の方へ目を向けた。
「下から煙が上がっている。小さな集落がある」
一行は慎重に谷へ下りていく道を進んだ。
ほどなく、小さな村が見えてきた。
だが、そこは活気にあふれた農村というより、むしろ緊張に包まれた野営地のように見えた。
粗末な仮設小屋が並び、人々が疲れた顔で座り込んでいる。
その中には、傷を負った者や、子供を抱えて放心状態の女性の姿もあった。
村の入口で、彼らは数人の男に出会った。
男たちは簡素な槍を持ち、警戒した目で一行を見つめている。
「そこで止まれ!」
1人の髪の白い老人が叫んだ。
「お前たちは誰だ? 金歯車の連中か?」
グスタフが一歩前に出た。
「我は西山男爵グスタフだ。金歯車とは戦った。お前たちは何者だ?」
老人の目が驚きで見開かれた。
「グスタフ様……?まさか、西山の『鉄槌』のご本人が?」
彼は急いで頭を下げた。
「失礼いたしました。我々は東嶺の辺境の村の者です。1週間前、謎の武装集団に襲われ、村を追われました。どうやら…金歯車という者たちらしい」
レオンが近づいた。
「襲われた理由は?」
老人は悲しげに首を振った。
「分かりません。ただ、彼らは村の古老を連れ去り、工房の道具や古い書物を奪っていきました。
『殿下の計画に必要なものだ』と繰り返し叫んでいました」
アーサーとレオンが視線を交わした。
殿下の計画——廃鉱山で聞いた言葉が、ここでも響く。
「連れ去られた古老は?」レオンが尋ねた。
「村の記録を代々守ってきた者です。東嶺の古い伝承や、失われた技術について詳しい……」
老人の声が詰まった。
「あの者たちは、何かを探している。東嶺全体を探し回っているようです」
グスタフの顔が険しくなった。
「殿下の手先が、ついに東嶺にまで手を伸ばしたか……」
彼は振り返り、兵士たちに命じた。
「食料と医薬品を分け与えよ。我々にできる限りのことを」
レオンたちも馬から降り、疲弊した難民たちを助け始めた。
ガレスは重い水桶を運び、キースは傷の手当てが必要な者を選別し、アーサーは疲労と恐怖で衰弱した子供たちに安らぎの呪文をささやいた。




