眠れない夜
その夜、セレスは目が覚めた。
窓の外は真っ暗だった。
時計を見る。
まだ深夜だった。
「……」
寝返りを打つ。
もう一度目を閉じる。
だが眠れない。
こういう日は時々あった。
理由は分からない。
疲れているはずなのに、頭だけが妙に冴えている。
明日の予定を考える。
祭礼の打ち合わせ。
面会。
祈り。
相談。
考え始めると余計に眠れなくなる。
「はぁ……」
小さく息を吐いた。
起き上がる。
水でも飲もうと思った。
寝台を降りる。
部屋の中は静かだった。
机の上には読みかけの本。
窓辺には花瓶。
昨日もらった花束が飾られている。
少しだけ気分が和らいだ。
水差しへ手を伸ばす。
その時だった。
こんこん。
小さな音がする。
窓ではない。
扉だった。
「……?」
こんな時間に?
首を傾げながら近づく。
「誰ですか?」
「オレ」
聞き慣れた声だった。
セレスは思わず吹き出した。
扉を開ける。
そこには当然のようにユリアがいた。
「どうしたの?」
「お前こそ」
「え?」
「灯りが見えた」
セレスは瞬きをする。
ユリアの部屋は廊下の向かい側だ。
確かに灯りがつけば見える。
「起きてたの?」
「起きた」
「私のせい?」
「たぶん」
少し申し訳なくなった。
「ごめん」
「別にいい」
ユリアは部屋の中を見た。
そして。
「眠れないのか」
と言った。
セレスは苦笑する。
「分かる?」
「顔」
「そんなに?」
「ああ」
誤魔化せていなかったらしい。
ユリアは部屋へ入る。
慣れた動きだった。
今さら遠慮する関係でもない。
「何かあったか」
「ううん」
「悩み事」
「ない」
「本当に」
「本当に」
セレスは椅子へ腰掛けた。
ユリアも向かいに座る。
しばらく沈黙が続く。
不思議と気まずくはない。
「ねえ」
「なんだ」
「眠れない時ってどうしてる?」
ユリアは考えた。
「剣を振る」
「参考にならない」
「そうか」
「そうだよ」
セレスは笑った。
ユリアらしい答えだった。
「セレスは?」
「本を読む」
「眠れそうか」
「余計に眠れなくなる」
「意味ないな」
「ないね」
二人で笑う。
深夜だからか。
昼間より声が少し小さい。
「じゃあどうする」
ユリアが聞く。
セレスは少し考えた。
そして。
「話す」
と言った。
「話す?」
「うん」
「何を」
「なんでも」
セレスは机に頬杖をつく。
「昔の話とか」
「昔か」
「ユリアの子供の頃」
「面白くないぞ」
「聞きたい」
ユリアは少し困った顔をした。
そういう話は得意ではない。
「平民だった」
「知ってる」
「剣を振ってた」
「知ってる」
「終わりだ」
「短い」
セレスが笑う。
「もっとあるでしょ」
「ない」
「あるよ」
「ない」
しばらく押し問答が続く。
結局負けたのはユリアだった。
「川で魚捕まえてた」
「へえ」
「木にも登った」
「へえ」
「落ちた」
「ふふっ」
セレスが肩を震わせる。
「怪我した?」
「した」
「痛そう」
「痛かった」
そう言いながら、ユリアも少しだけ笑った。
こんな話をするのは珍しい。
だがセレスは楽しそうだった。
「セレスは?」
「私?」
「ああ」
セレスは少し考える。
「本ばっかり読んでた」
「想像できる」
「失礼」
「当たってるだろ」
「当たってるけど」
認める。
それから少しだけ懐かしそうに目を細めた。
「よく怒られてた」
「なんで」
「食事忘れるから」
ユリアは黙った。
今も同じだった。
「その顔やめて」
「変わってないなと思った」
「変わったよ」
「どこが」
「大人になった」
「そうか」
「そう」
ユリアは微妙な顔をした。
説得力がなかった。
「ねえ」
「なんだ」
セレスがふと窓を見る。
夜空は見えない。
雲が厚いらしい。
「眠くなってきた」
「良かったな」
「うん」
話しているうちに力が抜けたのかもしれない。
頭も少しぼんやりしてきた。
「ユリア」
「ん」
「ありがとう」
「何がだ」
「付き合ってくれて」
ユリアは少しだけ肩をすくめた。
「恋人だからな」
セレスは笑う。
本当に最近、その言葉をよく使う。
「便利な言葉」
「便利だ」
「ずるい」
「そうかもな」
セレスは立ち上がった。
欠伸を一つ。
眠気が戻ってきている。
「じゃあ寝る」
「ああ」
「ユリアも寝て」
「分かった」
ユリアも立ち上がる。
扉へ向かう。
そして。
「セレス」
「なに?」
「眠れなかったら呼べ」
振り返らずに言った。
セレスは少し目を丸くする。
それから。
ふわりと笑った。
「うん」
素直に頷く。
ユリアはその返事を聞いて部屋を出た。
扉が閉まる。
静かになる。
セレスは寝台へ戻った。
毛布を被る。
目を閉じる。
さっきまで眠れなかったのが嘘みたいだった。
口元が少しだけ緩む。
「恋人だから、か」
小さく呟く。
そしてそのまま眠りへ落ちていった。




