約束
セレスは意外と負けず嫌いだ。
その事実を知っている人間は少ない。
神殿の者たちは皆、セレスを穏やかで優しい聖女だと思っている。
それは間違っていない。
けれど全部でもない。
「負けたくない」
そう思うことだってある。
そして今日がまさにそうだった。
「もう一回」
セレスが言う。
「駄目だ」
ユリアが答える。
「なんで」
「十回やった」
「あと一回」
「十一回になる」
「数えなくていい」
神殿の裏庭。
誰もいない空き地。
そこには木製の的が立てられていた。
セレスの手には小さな練習用の弓。
ユリアの手には何もない。
ただ見守っているだけだ。
「当たらない」
セレスが不満そうに言う。
「難しいからな」
「ユリアは当てた」
「オレは剣士だ」
「関係ある?」
「ある」
たぶんある。
きっとある。
でもセレスは納得しない。
「ずるい」
「何がだ」
「才能」
ユリアは少し考えた。
「努力もした」
「もっとずるい」
セレスは本気で言った。
ユリアは笑いそうになる。
耐えた。
少し失敗した。
「笑った」
「笑ってない」
「今笑った」
「少し」
認めた。
最近は割と認める。
セレスはますます不満そうだった。
再び弓を構える。
狙う。
放つ。
矢は的の端に当たった。
「当たった!」
セレスが目を輝かせる。
「当たった!」
「当たったな」
「見た?」
「見てた」
「当たった!」
三回言った。
よほど嬉しいらしい。
セレスはそのまま振り返る。
満面の笑みだった。
「すごい?」
「すごい」
「本当に?」
「本当に」
「やった」
まるで子供だった。
ユリアは思う。
たぶん今の顔を神官長が見たら驚くだろう。
聖女の姿しか知らない人間は皆そうだ。
セレスは時々こうなる。
特に褒められた時。
「もう一回」
「あと一回だけだ」
「本当?」
「ああ」
「やった」
セレスは素直だった。
だから扱いやすい。
弓を構える。
狙う。
真剣な顔になる。
こういう時だけは本当に集中力が高い。
そして放つ。
矢は真っ直ぐ飛んで。
的の中央から少し外れた場所へ刺さった。
「おお」
今度はユリアが感心する番だった。
「上手いな」
「本当に?」
「ああ」
セレスはしばらく矢を見ていた。
それから。
小さく笑った。
「嬉しい」
静かな声だった。
さっきみたいに大騒ぎするのではなく。
本当に嬉しい時の顔だった。
「ユリアに褒められると嬉しい」
不意打ちだった。
ユリアが固まる。
「なんで」
「なんでだろう」
セレスは首を傾げる。
「でも嬉しい」
そのまま笑う。
ユリアは視線を逸らした。
少しだけ。
「ねえ」
「なんだ」
「ユリア」
「ん」
セレスは弓を置いた。
そしてユリアの隣へ座る。
距離が近い。
いつものことだった。
「私たちって付き合って何年だっけ」
「二年ちょっと」
「そんなになるんだ」
「ああ」
「早いね」
セレスは空を見上げた。
青空だった。
雲がゆっくり流れている。
「不思議」
「何がだ」
「こんなに長く一緒にいるのに」
少し笑う。
「まだ好き」
ユリアは黙る。
突然そういうことを言う。
本当に困る。
「ユリア?」
「聞いてる」
「返事」
「オレもだ」
短い。
でも十分だった。
セレスは満足そうに笑う。
「よかった」
「何がだ」
「同じで」
風が吹く。
庭の木々が揺れる。
穏やかな午後だった。
セレスは少しだけ考えてから口を開いた。
「ねえ、ユリア」
「なんだ」
「約束して」
「内容による」
「ひどい」
「先に聞く」
当然だった。
セレスは少しだけ笑う。
「難しいことじゃないよ」
「なら言え」
「うん」
そして。
何でもないことのように言った。
「来年も一緒にお祭り行こう」
ユリアは瞬きをする。
市場の祭り。
去年も行った。
一昨年も行った。
きっと来年もある。
「それだけか」
「それだけ」
「ならいい」
即答だった。
セレスは嬉しそうに笑う。
「本当?」
「ああ」
「約束ね」
「約束だ」
小指を差し出される。
ユリアは少し困った。
「何だそれ」
「知らない?」
「知らん」
「約束のやつ」
平民出身同士なのに、なぜかセレスの方が詳しい。
ユリアは観念した。
小指を出す。
絡められる。
「約束」
「約束」
セレスは満足そうだった。
子供みたいに。
ユリアはそんな顔を見ながら小さく息を吐く。
たぶん。
来年も同じように笑うのだろう。
市場へ行って。
焼き菓子を食べて。
くだらない話をして。
こうして隣を歩くのだろう。
そんな未来を疑ったことは、一度もなかった。
セレスが小指を離す。
そして。
「絶対だからね」
と念を押した。
「分かった」
「忘れないで」
「忘れない」
「本当に?」
「本当に」
セレスはようやく安心したように笑った。
その顔を見ていると。
約束くらい何でもないと思えた。
だからユリアも笑った。
ほんの少しだけ。
セレスしか気付かないくらいに。




