雨の日
朝から雨だった。
神殿の窓を叩く雨音は静かで、どこか心を落ち着かせる。
セレスは嫌いではなかった。
むしろ好きな方だった。
雨の日は面会が少し減る。
人々の足も遠のく。
神殿全体が少しだけ静かになる。
「今日は雨だね」
窓辺に立ちながらセレスが言う。
「見れば分かる」
ユリアが答える。
「風情がない」
「現実的なんだ」
「つまらない」
「そうか」
セレスはくすりと笑った。
最近気付いたことがある。
ユリアは本当に会話が下手だ。
でも付き合っていると、それが妙に心地良い。
無理をしない。
飾らない。
そのまま話してくれる。
だから安心する。
「市場行きたいな」
「駄目だ」
「まだ言ってない」
「言った」
「言ったけど」
「駄目だ」
即答だった。
セレスは頬を膨らませる。
「雨の日の市場、好きなんだけど」
「滑る」
「転ばない」
「転ぶ」
「転ばない」
「この前転んだ」
セレスは黙った。
それは事実だった。
二か月前。
雨上がりの石畳で盛大に滑った。
もちろんユリアに見られた。
そして三日くらい笑われた。
思い出しただけで悔しい。
「……あれは事故」
「そうだな」
「うん」
「事故を起こした」
「言い方」
ユリアは少しだけ笑った。
セレスはますます不満そうになる。
そんな時だった。
扉が叩かれる。
「聖女様」
侍女の声だった。
「失礼いたします」
部屋へ入ってくる。
少し慌てている様子だった。
「どうしました?」
セレスが尋ねる。
「神殿前にお子様が」
「子供?」
「はい。どうしても聖女様に会いたいと」
セレスとユリアは顔を見合わせた。
◇
神殿の玄関ホール。
そこにいたのは十歳くらいの少女だった。
びしょ濡れだった。
雨に打たれたのだろう。
服も髪も濡れている。
それでも必死に立っていた。
「聖女様!」
セレスの姿を見た瞬間、少女の顔が明るくなる。
「会えた!」
「こんにちは」
セレスは膝を折り、目線を合わせた。
「どうしました?」
少女は両手を差し出す。
そこには小さな花束があった。
野花ばかりを集めた簡素なもの。
「ありがとうを言いたくて!」
元気な声だった。
「ありがとう?」
「お母さんが元気になったの!」
セレスは少し目を見開く。
少女は続けた。
「前に祈ってくれたでしょ?」
「あ……」
思い出した。
病気の母親を連れてきた子だ。
半年ほど前だっただろうか。
「だからお礼!」
花束を差し出す。
セレスはそっと受け取った。
「ありがとうございます」
「えへへ」
少女は満足そうだった。
その笑顔を見ていると、セレスも自然と笑顔になる。
「お母さんは元気ですか?」
「うん!」
「それは良かった」
本当に良かったと思った。
聖女だからではない。
一人の人間として。
目の前の子供が嬉しそうだから。
「ねえねえ」
少女が身を乗り出す。
「聖女様って本当に優しいね!」
その言葉にセレスは少し困ったように笑った。
「そんなことありませんよ」
「ある!」
「ありません」
「ある!」
言い切られた。
セレスは降参する。
「そういうことにしておきましょうか」
「うん!」
少女は満面の笑みだった。
やがて迎えに来た父親と共に帰っていく。
去り際も何度も手を振っていた。
セレスも振り返す。
姿が見えなくなるまで。
◇
「嬉しそうだったな」
部屋へ戻る途中、ユリアが言った。
「うん」
セレスは花束を見下ろす。
少し照れくさそうに。
「こういうの好き」
「知ってる」
「分かる?」
「分かる」
ユリアは即答した。
セレスは人に感謝されたいわけではない。
褒められたいわけでもない。
ただ。
誰かが笑ってくれるのが好きなのだ。
それをユリアは知っている。
「ねえ」
「なんだ」
「部屋に飾ろうかな」
「いいんじゃないか」
「枯れるまで」
「ああ」
セレスは嬉しそうに花束を抱きしめた。
高価な贈り物よりも。
豪華な宝石よりも。
こういうものの方が好きだった。
ユリアはそんな恋人を横目で見る。
そして少しだけ思う。
この人は本当に変わっている。
聖女なのに。
偉い人なのに。
花束一つでこんなに嬉しそうなのだから。
「ユリア」
「ん」
「今、変なこと考えた?」
「考えてない」
「考えた顔してる」
「気のせいだ」
「絶対考えた」
セレスは笑った。
ユリアも少しだけ口元を緩める。
雨音はまだ続いている。
神殿の窓を静かに叩きながら。
二人は並んで廊下を歩いた。
花束を大事そうに抱えたセレスと。
その隣を歩くユリア。
ただそれだけの、穏やかな午後だった。




