喧嘩
神官長室を出てから。
二人は一言も話さなかった。
いつもならセレスが何か話す。
くだらないことでも。
今日の天気とか。
昼食の話とか。
そんなことで笑う。
だが今日は違った。
何も言えない。
言葉にすれば壊れてしまいそうだった。
自室へ戻る。
扉が閉まる。
静寂。
そして。
「やめろ」
ユリアが言った。
低い声だった。
怒りを押し殺した声。
セレスは振り返る。
「ユリア」
「やめろ」
もう一度。
「接続するな」
セレスは目を伏せる。
予想していた。
だから驚かない。
「聞いてるのか」
「聞いてる」
「ならやめろ」
ユリアが近付いてくる。
「お前は死ぬんだぞ」
セレスは何も言えない。
その通りだから。
「あと一年かもしれない」
「半年かもしれない」
「明日かもしれない」
ユリアの声が震えていた。
怒りだけじゃない。
恐怖だ。
「それでもやるのか」
セレスは目を閉じる。
答えは決まっていた。
ずっと前から。
だから。
「ごめん」
そう言った。
次の瞬間。
机が大きな音を立てた。
ユリアが拳を叩き付けたのだ。
セレスは息を呑む。
こんなユリアを見たことがない。
「ごめんじゃない!」
声が響く。
初めてだった。
ユリアが怒鳴るのは。
「何でだ!」
苦しそうだった。
怒りより。
悲鳴に近い。
「生きたいんだろ!」
セレスの肩が震える。
「怖いんだろ!」
昨日。
自分で言った。
生きたい。
ユリアと一緒にいたい。
全部。
言ってしまった。
「だったら生きろ!」
ユリアの声が掠れる。
「何でお前が死ななきゃいけない!」
沈黙。
セレスは唇を噛む。
痛い。
胸も。
心も。
全部。
「だって」
小さな声だった。
「放っておけない」
ユリアが固まる。
セレスは続けた。
「見えるんだよ」
涙が滲む。
「苦しんでる人が」
「助けてって言ってる人が」
「見えるんだよ」
ユリアには見えない。
だから余計に苦しい。
「見なきゃいい」
ユリアが言う。
「無理だよ」
「目を逸らせ」
「できない」
「できる!」
「できない!」
気付けば叫んでいた。
二人とも。
初めてだった。
こんな喧嘩。
恋人になってから一度もなかった。
「私だって生きたい!」
涙が零れる。
「死にたくない!」
声が震える。
「怖い!」
全部本音だった。
隠していた。
ずっと。
「でも!」
そこで言葉が詰まる。
苦しい。
本当に苦しい。
「でも」
涙を拭う。
「私しかできない」
それが現実だった。
白い糸が見える。
浄化できる。
国心環を空にできる。
それができるのは。
今。
自分だけ。
ユリアは俯いた。
拳を握っている。
震えている。
「ずるいな」
小さく呟く。
セレスは顔を上げた。
「ユリア?」
「そんなこと言われたら」
ユリアは笑った。
泣きそうな顔で。
「止められないだろ」
その言葉に。
セレスは何も言えなかった。
ユリアは知っている。
セレスがどんな人間か。
誰よりも。
だから分かる。
この決意は変わらない。
変えられない。
しばらく沈黙が続く。
やがて。
ユリアはゆっくり近付いた。
そして。
セレスを抱き締める。
強く。
壊れそうなくらい強く。
「嫌だ」
耳元で呟く。
その一言が。
今までで一番苦しかった。
「お前を失いたくない」
セレスは目を閉じる。
抱き返す。
何も言えない。
言葉にしたら泣いてしまう。
だから。
ただ抱き締めた。
夕暮れの光が部屋へ差し込む。
静かな時間だった。
けれど。
二人とも知っていた。
残された時間は。
もう長くないのだと。




