初代聖女の記録
その夜。
神官長は再び記録室にいた。
誰もいない。
古い紙の匂いだけが漂う静かな空間だった。
机の上には資料が積まれている。
歴代聖女の記録。
巡礼記録。
接続記録。
そして。
最も古い時代の資料。
神殿創設期の記録だった。
神官長は一枚ずつ目を通していく。
何度も読んだ資料だ。
それでも見落としはある。
人は答えを知らなければ気付けない。
今なら違う。
今なら見えるものがある。
深夜を過ぎた頃だった。
神官長の手が止まる。
「……これは」
古びた紙。
端が欠けている。
文章も途切れている。
だが。
確かに残っていた。
『願いを浄める』
神官長の目が細くなる。
続きを読む。
『人の苦しみを受け取り』
『人の願いを浄める』
『故に民から愛された』
そこで文章が途切れる。
さらに次の紙を探す。
数分後。
別の資料が見つかった。
同じ人物について書かれた記録だった。
『晩年、体調を崩す』
『胸痛あり』
『腕に痣あり』
神官長の呼吸が止まる。
胸痛。
腕。
セレスと同じだった。
震える手で次を読む。
『接続の度に症状悪化』
『本人は隠した』
『止められず』
神官長は椅子へ深く腰を下ろした。
嫌な予感が当たっていた。
いや。
当たってほしくなかった。
記録はまだ続く。
『国の災厄を引き受ける』
『聖女崩御』
その下に。
小さな文字で一文だけ残されていた。
『人を救うほど命を削る』
神官長は目を閉じる。
長い沈黙。
やがて。
小さく呟いた。
「馬鹿な……」
記録はあった。
最初から。
ただ。
あまりにも古すぎた。
初代聖女は神格化されていた。
奇跡だけが語り継がれ。
代償は忘れられていた。
神官長は立ち上がる。
資料を抱える。
急がなければならない。
そう思った。
その頃。
セレスは自室にいた。
窓際に座っている。
眠れなかった。
胸が痛む。
昨日より強い。
「……」
小さく息を吐く。
右手首を見る。
赤い線は消えていない。
むしろ濃くなっている気がした。
手袋で隠せる。
だから誰にも見られない。
ユリア以外には。
不意に扉が開く。
ノックもなかった。
「起きてたか」
ユリアだった。
予想通りだった。
「うん」
セレスは微笑む。
「眠れない?」
「少しだけ」
嘘だった。
かなり痛い。
だが言わない。
言えば心配する。
だから。
「嘘だな」
ユリアが言った。
即座に見抜かれる。
セレスは苦笑した。
本当に隠せない。
ユリアは近付いてくる。
そして。
セレスの前にしゃがんだ。
「胸か」
静かな声だった。
セレスは少し迷う。
それから頷いた。
「少し」
「少しじゃない」
「かも」
ユリアは何も言わない。
ただ。
セレスの手を握った。
温かかった。
「なあ」
ユリアが呟く。
「やめられないか」
その言葉に。
セレスは答えられなかった。
答えを知っているから。
もし明日。
苦しんでいる人を見たら。
また手を伸ばしてしまう。
きっと。
何度でも。
「ごめん」
小さく言う。
ユリアは俯いた。
怒らなかった。
責めもしなかった。
ただ。
握る手に少しだけ力が入る。
それが余計に苦しかった。
セレスは思う。
もし自分が普通の女の子だったら。
こんな悩みはなかったのだろうか。
聖女ではなく。
ただのセレスだったら。
そんなことを考えてしまう夜だった。




