代償
その夜。
セレスは胸の痛みで目を覚ました。
「っ……」
思わず胸を押さえる。
痛い。
鋭い痛みではない。
胸の奥を何かで締め付けられるような感覚だった。
呼吸はできる。
身体も動く。
だが痛い。
じわじわと。
確実に。
「……何これ」
小さく呟く。
時計を見る。
深夜だった。
しばらく座っていると少しずつ痛みは引いていく。
数分後には立ち上がれる程度になった。
だから。
セレスは誰も呼ばなかった。
疲れているだけかもしれない。
そう思った。
翌朝。
着替えようとして手袋を外す。
その時だった。
「え……」
右手首に細い赤い線があった。
傷ではない。
血も出ていない。
だが。
糸のように細い線だった。
まるで。
白い糸の跡みたいに。
セレスはしばらく見つめる。
痛みはない。
痒みもない。
だから余計に気味が悪かった。
「気のせいかな」
そう呟く。
そして手袋をはめた。
隠れてしまう。
誰にも見えない。
そのまま一日が過ぎた。
夕方。
執務室。
セレスは書類へ目を通していた。
ユリアはいつものように近くにいる。
「どうした」
不意に言われる。
セレスは顔を上げた。
「何が?」
「顔色」
ユリアが短く言う。
「悪いぞ」
セレスは苦笑した。
「最近ずっと言われてる」
「今日は違う」
ユリアの視線は鋭い。
誤魔化せない。
「大丈夫だよ」
「嘘だな」
即答だった。
セレスは思わず笑う。
本当に隠せない。
「少し寝不足なだけ」
「胸か」
セレスの笑顔が止まる。
ユリアが立ち上がった。
「図星か」
「……」
「いつからだ」
セレスは答えなかった。
答えたくなかった。
するとユリアはため息を吐く。
そして。
セレスの右手を掴んだ。
「ちょっ」
手袋を外される。
隠していた手首が露わになる。
赤い線。
細い糸のような痕。
ユリアの表情が変わった。
「これは何だ」
低い声だった。
怒っている。
それが分かる。
「分からない」
セレスは正直に答えた。
「昨日気付いた」
「神官長は」
「まだ言ってない」
沈黙。
嫌な沈黙だった。
ユリアは赤い線を見つめている。
まるで敵を見るみたいに。
「明日」
ユリアが言った。
「神官長に報告する」
「大げさだよ」
「大げさじゃない」
即答だった。
セレスは目を逸らす。
胸の痛み。
赤い線。
確かに気にはなる。
だが。
そこまで深刻だとは思えなかった。




