境界
神官長はしばらく黙っていた。
言葉を選んでいるようだった。
やがて静かに口を開く。
「聖女様は国心環をどう教わりましたか」
セレスは少し考えた。
「国を支えるもの」
「はい」
「人々の祈りを循環させるもの」
「はい」
「聖女が管理するもの」
神官長は頷いた。
どれも間違いではない。
だが。
「それは役割の説明です」
神官長が言う。
「本質ではありません」
セレスは黙って続きを待った。
「国心環は人が作ったものではありません」
「え?」
思わず聞き返す。
「神殿が作ったのではないのですか」
「違います」
神官長は首を振った。
「神殿は管理しているだけです」
その答えは予想外だった。
神殿は全てを知っていると思っていた。
だが違うらしい。
「建国以前から存在していたと言われています」
セレスは目を瞬いた。
建国以前。
つまり、この国より古い。
「誰が作ったんですか」
「分かっていません」
「何のために?」
「それも分かっていません」
神官長は淡々と答える。
セレスは思わず苦笑した。
知らないことばかりだった。
「ですが」
神官長は続ける。
「一つだけ確かなことがあります」
部屋の空気が少し変わる。
「国心環は放置できません」
セレスは頷いた。
だから聖女がいる。
だから管理を続けている。
そう思った。
しかし神官長の話はそこで終わらなかった。
「聖女様は接続中に白い糸を見ますね」
セレスの表情が変わる。
白い糸。
聖女だけが見るもの。
聖女教育でも詳しく説明されなかったもの。
「はい」
「歴代聖女も見ていました」
神官長はそう言った。
セレスは少しだけ安堵する。
自分だけではなかった。
昔から存在していた現象らしい。
「糸が何を意味するかは分かっていますか」
神官長が聞く。
セレスは首を振った。
「いいえ」
本当は気になっていた。
だが誰も教えてくれなかった。
「負荷です」
短い答えだった。
「負荷……」
「国心環が抱えている歪み」
「人々の苦しみ」
「災害」
「飢饉」
「戦乱」
「様々なものが形になったものです」
セレスは息を呑んだ。
思わず自分の指を見下ろす。
接続中に見えていた無数の糸。
あれが。
そういうものだったのか。
「糸が濃くなることはありますか」
神官長が聞く。
「あります」
即答だった。
見たことがある。
大きな嵐の後。
疫病が流行した年。
明らかに増えていた。
「それが負荷です」
神官長は静かに言った。
セレスは黙り込む。
今まで何となく見ていたものの意味が変わった。
ただの現象ではなかった。
国の傷だった。
「そして」
神官長が続ける。
「接続が深くなるほど、その境界は曖昧になります」
「境界?」
「自分と国心環の境界です」
セレスは言葉を失った。
その感覚なら知っている。
祈祷の最中。
自分がどこにいるのか分からなくなることがある。
意識が遠くへ引っ張られるような感覚。
あれだ。
「歴代聖女は、それを記録に残しています」
神官長が言う。
「自分の感情なのか」
「国心環から流れてきたものなのか」
「分からなくなることがあると」
部屋が静かになった。
セレスは思い出していた。
祈祷中の違和感。
意識の空白。
記録に残されていた言葉。
『接続負荷増加を確認』
『経過観察』
『本人の希望により接続継続』
偶然ではない。
そう思い始めていた。
「神官長」
セレスが呼ぶ。
「私の接続記録は残っていますか」
神官長は頷いた。
「もちろんです」
「見せてください」
即答だった。
ユリアが横を見る。
止める気はないらしい。
神官長も断らなかった。
「分かりました」
静かに立ち上がる。
「ですが」
そこで少しだけ言葉を止めた。
「覚悟はしておいてください」
セレスは何も答えなかった。
もう覚悟が必要な段階まで来ていることだけは分かっていたからだ。




