祈りの途中で
休日が終わり、神殿の日常が戻ってきた。
巡礼中に溜まった書類。
各地からの報告。
面会の予定。
朝から慌ただしい。
「聖女様、こちらを」
「ありがとうございます」
セレスは書類を受け取る。
目を通す。
必要な指示を書き込む。
次の書類へ移る。
巡礼の後はいつもこうだった。
昼前。
大聖堂で定例の祈祷が行われる。
神官たち。
神女たち。
見習いたち。
多くの人が集まっていた。
最前列にはリシュリーの姿もある。
真剣な顔で祭壇を見つめていた。
セレスは祭壇の前へ立つ。
何百回。
いや何千回と繰り返してきた仕事だ。
深く息を吸う。
目を閉じる。
そして祈りを捧げ始めた。
静かな時間だった。
誰も声を出さない。
ただセレスの声だけが大聖堂へ響く。
その時だった。
不意に。
言葉が途切れた。
「――」
一瞬。
本当に一瞬だった。
何を言おうとしていたのか分からなくなる。
頭の中が真っ白になる。
目の前がぼやける。
音が遠くなる。
「聖女様?」
神官の声が聞こえた。
その瞬間。
意識が戻る。
「あ……」
数秒もなかっただろう。
本当に短い時間だった。
「失礼いたしました」
セレスは微笑む。
そして何事もなかったように祈りを続けた。
周囲も深くは気にしなかった。
少し言葉に詰まった。
それくらいにしか見えなかったからだ。
だが。
リシュリーは少し不思議そうな顔をしていた。
憧れの聖女が。
一瞬だけ立ち止まった。
そんな気がしたから。
◇
夕方。
自室。
セレスは椅子へ腰掛けていた。
手元の本は開いている。
だが内容は頭に入ってこない。
昼のことを思い出していた。
「セレス」
ユリアが呼ぶ。
「ん?」
「今日どうした」
セレスの動きが止まった。
「何が?」
「祈りの時」
見られていたらしい。
少しだけ視線を逸らす。
「ちょっとね」
素直に答えた。
「変だった」
「変?」
「一瞬だけ」
言葉を探す。
「何を言おうとしてたか分からなくなった」
ユリアの表情が僅かに険しくなる。
「どれくらいだ」
「数秒」
短い。
本当に短い。
だから自分でも説明しづらかった。
「それだけか」
「うん」
セレスは頷く。
「診てもらうか」
ユリアが言う。
だが。
セレスは首を横に振った。
「大丈夫だよ」
「何がだ」
「前も診てもらったでしょ」
祭りの後。
神官長に半ば強制されて受けた診察。
結果は異常なし。
疲労以外は何も見つからなかった。
「今回も疲れてるだけかもしれない」
巡礼は長かった。
移動も多かった。
帰ってきてからも忙しい。
理由ならいくらでもある。
「でもな」
ユリアは納得していない。
「お前が変だって言うのは珍しい」
セレスは黙る。
それは事実だった。
自分でも少し気になっている。
だから隠さずユリアにだけ話した。
「今日は早く寝る」
セレスが言う。
「それで明日も同じだったら?」
「その時考える」
「考えるじゃない」
即座に返された。
セレスは苦笑する。
「心配性」
「知ってる」
ユリアは否定しなかった。
最近は特に。
しばらく沈黙が続く。
窓の外では夕日が沈み始めていた。
いつもと変わらない景色。
いつもと変わらない部屋。
それなのに。
昼間の感覚だけが妙に引っ掛かっていた。
「……大丈夫だよ」
セレスはもう一度言う。
ユリアを安心させるためか。
自分に言い聞かせるためか。
それは自分でも分からなかった。




