露店の耳飾り
セレスの部屋には宝石箱がある。
王侯貴族から贈られた首飾り。
祭礼で身につける宝冠。
名のある職人が作った腕輪や髪飾り。
聖女という立場上、高価な贈り物を受け取る機会は少なくなかった。
けれど、そのほとんどは神殿の管理下に置かれている。
セレス自身はあまり身につけない。
宝石に興味がないわけではない。
ただ、自分には少し過ぎたものだと思っているだけだった。
だから宝石箱の中で一番大切にされているものは、誰も予想しないような品だった。
小さな青い耳飾り。
銀細工に淡い青色の石が嵌め込まれている。
宝石と呼ぶには慎ましい。
露店で売られている、ごく普通の耳飾りだった。
セレスは鏡台の前に座り、その耳飾りをそっと耳につける。
左右を確認する。
少しだけ角度を直す。
そして満足そうに微笑んだ。
「似合う?」
後ろに立っていたユリアへ問いかける。
「似合う」
「早い」
「聞く前から答えは決まってた」
「ひいきだ」
「恋人だからな」
セレスは吹き出した。
「そういうこと平気で言うようになったよね」
「事実だ」
「付き合い始めた頃はもっと恥ずかしそうだったのに」
「覚えてない」
「覚えてるよ」
セレスは鏡越しにユリアを見る。
少しだけ得意そうに。
「顔真っ赤だった」
「嘘だ」
「本当」
「盛るな」
「盛ってない」
そんなやり取りをしながら、セレスは耳飾りに触れた。
優しく。
壊れ物を扱うように。
「それにしても」
ユリアが鏡越しに耳飾りを見る。
「そんなに気に入ってるのか」
「うん」
「ただの露店の品だぞ」
「だからいいの」
セレスは笑った。
「私、初めてもらったものだから」
ユリアが目を細める。
もちろん覚えている。
二年前。
まだ付き合い始めて間もない頃だった。
祭礼の警備で街へ出た日。
変装したセレスと共に市場を歩いていた。
屋台から漂う香辛料の匂い。
呼び込みの声。
賑やかな人の流れ。
その中で、不意にセレスが足を止めた。
「綺麗……」
小さな露店だった。
並んでいたのは安価な装飾品ばかり。
その片隅に、その耳飾りはあった。
淡い青色の石。
水を閉じ込めたような透明感。
セレスはしばらく見つめていた。
「欲しいのか?」
そう聞くと、セレスは首を横に振った。
「ううん」
けれど視線は耳飾りに残っている。
「じゃあ何だ」
セレスは少し照れたように笑った。
そして耳飾りとユリアを見比べる。
「ユリアの瞳の色に似てるなって」
一瞬、意味が分からなかった。
「オレの?」
「うん」
セレスは嬉しそうに頷く。
「綺麗だなって思った」
その時の顔を、ユリアは今でも覚えている。
耳飾りを見ていたのか。
自分を見ていたのか。
よく分からない笑顔だった。
結局その日は買わなかった。
セレスが欲しいと言わなかったから。
だから翌日。
ユリアは一人で市場へ向かった。
同じ露店を探した。
そして耳飾りを買った。
理由は分からない。
ただ。
あの顔をもう一度見たいと思った。
その日の夜。
セレスの部屋を訪ねる。
机には書類の山。
聖女の仕事が終わっていなかったらしい。
「ユリア?」
顔を上げたセレスへ、小箱を差し出した。
「これ」
「何?」
「開けろ」
不思議そうに蓋を開く。
そして固まった。
「……え?」
中には青い耳飾り。
昨日見ていたものだった。
「好きだっただろ」
「でも」
「違ったか」
「違わない!」
思わず大きな声が出る。
セレスは慌てて耳飾りを手に取った。
壊れないように。
落とさないように。
大切そうに。
「本当に?」
「何がだ」
「私に?」
「ああ」
その瞬間。
セレスは笑った。
聖女の微笑みではない。
心の底から嬉しそうな笑顔だった。
「すごく嬉しい」
あの時の顔を。
ユリアは今でも忘れていない。
たぶんこれから先も忘れない。
だから今でもセレスはその耳飾りを大切にしているし、ユリアも捨てろとは言わない。
少し壊れかけていることも知っている。
金具が緩んでいることも知っている。
それでも修理に出さず、セレスは自分で磨き続けていた。
「そんなに好きか」
「好き」
「オレより?」
「同じくらい」
「減点だな」
「ふふっ」
セレスは笑う。
耳飾りに触れながら。
愛おしそうに。
その姿を見ているだけで、ユリアの気持ちは少しだけ満たされた。
だが。
次の瞬間。
「っ……」
セレスの顔色が変わった。
右手が胸元を押さえる。
呼吸が乱れる。
ほんの一瞬。
けれど明らかだった。
「セレス」
「……平気」
「平気じゃない」
ユリアはすぐに側へ寄る。
「大丈夫」
「最近多い」
「気のせい」
「オレが気付いてる時点で気のせいじゃない」
セレスは視線を逸らした。
誤魔化す時の癖だった。
「医師を呼ぶ」
「大丈夫」
「呼ぶ」
「ユリア」
「駄目だ」
即答だった。
セレスは小さくため息を吐く。
「怒ってる?」
「怒ってない」
「怒ってる顔してる」
「心配してる顔だ」
その言葉に、セレスは少しだけ申し訳なくなった。
最近、自分でも分かっている。
体調がおかしい。
胸が痛む。
息苦しい。
夜中に目が覚める。
咳も増えた。
けれど。
聖女が弱音を吐くわけにはいかなかった。
誰かが不安になる。
誰かを失望させる。
そう思ってしまう。
だから言えない。
ユリアにさえ。
「セレス」
名前を呼ばれる。
優しい声だった。
「苦しいなら言え」
セレスは黙る。
「オレは護衛だ」
ユリアが言う。
「でも、それだけじゃない」
セレスは目を伏せた。
知っている。
この人は護衛だから心配しているんじゃない。
「オレはお前の恋人だ」
胸が少し苦しくなった。
病気のせいではない。
きっと。
「だから守らせろ」
セレスはしばらく何も言えなかった。
やがて。
小さく笑う。
少しだけ泣きそうな顔で。
「……うん」
そう答えた。
その返事にユリアは安心したように息を吐いた。
窓から春風が吹き込む。
青い耳飾りが揺れる。
その色は、セレスが綺麗だと思った色。
ユリアの瞳の色だった。
だから好きだった。
耳飾りも。
その持ち主も。
ずっと前から。




