夜の散歩
その日の夜。
珍しくセレスが言った。
「少し散歩したい」
ユリアは本から顔を上げる。
「今からか」
「うん」
窓の外はすっかり暗い。
神殿の敷地内なら問題はない。
門も閉まっている。
外部の人間もいない。
「いいのか」
「今日は少しだけ外の空気吸いたい」
そう言って笑う。
疲れているようにも見える。
元気そうにも見える。
微妙なところだった。
「分かった」
ユリアは立ち上がった。
「やった」
セレスの顔が少し明るくなる。
◇
夜の神殿は静かだった。
昼間とはまるで違う。
参拝者もいない。
神官たちもそれぞれの部屋へ戻っている。
聞こえるのは虫の声と風の音だけ。
「好きなんだ」
セレスが言う。
「何がだ」
「夜の神殿」
月明かりの下を歩く。
白い石畳が淡く照らされていた。
「昼も好きだけど」
セレスは空を見上げる。
「夜は静かだから」
「そうだな」
ユリアも頷いた。
確かに静かだ。
落ち着く。
「聖女様って呼ばれないし」
セレスが笑う。
ユリアも少し笑った。
「そこか」
「そこ」
即答だった。
「昼間はずっと聖女様だもん」
「当たり前だ」
「分かってる」
分かっている。
だから文句を言ったことはない。
けれど。
たまには。
「セレスでいたい」
ぽつりと言った。
小さな声だった。
ユリアだけに聞こえるくらいの。
「今はセレスだろ」
当たり前のように返される。
セレスは少し目を瞬く。
「そうだね」
そして笑った。
嬉しそうに。
二人は中庭のベンチに腰を下ろした。
夜風が心地良い。
「そういえば」
セレスが言う。
「祭りで買った鳥、部屋に飾ったよ」
「ああ」
木彫りの小さな鳥だ。
祭りで一目惚れして買っていた。
「可愛い」
「そうだな」
「見てると癒される」
「そうか」
ユリアは相変わらずだった。
だがセレスは知っている。
本当に興味がない時はもっと反応が薄い。
今はちゃんと聞いている。
「今度見せる」
「見た」
「ちゃんと」
「見た」
「感想」
「鳥だった」
セレスが吹き出した。
「あははっ」
「事実だろ」
「そうだけど」
間違ってはいない。
まったく間違ってはいない。
しばらく笑った後。
セレスは少しだけ肩の力を抜いた。
「ねえ」
「なんだ」
「最近さ」
「うん」
「ユリア、少し過保護」
ユリアが眉をひそめる。
「そうか?」
「そう」
即答だった。
「大丈夫って言ってるのに」
「言ってるな」
「診察も異常なかったのに」
「ああ」
「まだ心配してる」
図星だった。
ユリアは否定しない。
「気のせいかもしれない」
ぽつりと呟く。
「でも何となくだ」
上手く説明できない。
本当に何となく。
それだけだ。
「考えすぎだよ」
セレスが笑う。
優しく。
安心させるように。
「私は元気」
そう言いながら立ち上がる。
「ほら」
両腕を広げる。
その姿を見ていると、本当に元気そうだった。
「だから安心して」
ユリアはしばらく黙る。
そして。
「分かった」
と答えた。
半分だけ。
信じることにした。
◇
部屋へ戻る途中。
セレスがふと足を止めた。
「どうした」
「ん?」
「何か見つけたか」
セレスは空を見上げていた。
夜空。
満天の星。
「綺麗だなって」
そう言って微笑む。
ただそれだけだった。
ユリアも空を見る。
確かに綺麗だった。
だが。
たぶん。
今見ているものは違う。
セレスは星を見ている。
ユリアはセレスを見ている。
それだけの違いだった。
「行こう」
セレスが言う。
「ああ」
二人はまた歩き出す。
並んで。
同じ速さで。
静かな夜はまだ続いていた。




