【おまけ】タイミング
神官長は休日だった。
珍しく予定のない一日。
書類もない。
会議もない。
呼び出しもない。
だから街を歩いた。
市場を眺め。
広場を通り。
人々の暮らしを見る。
平和だった。
それは喜ばしいことのはずなのに。
少しだけ落ち着かない。
結局。
気付けば神殿へ戻ってきていた。
「職業病ですね」
小さく苦笑する。
何十年も神殿にいたのだ。
簡単には抜けないらしい。
◇
国心環の間へ入る。
静かな空間だった。
中央では国心環が穏やかに輝いている。
神官長はゆっくり近付いた。
そして。
そっと手を触れる。
少しの沈黙。
やがて。
『神官長』
聞き慣れた声が響いた。
セリアだった。
だが、どこか不満そうだった。
「どうされました」
神官長が尋ねる。
すると。
『休んでください』
「休んでおります」
『休んでません』
「今日は休日です」
『休日に神殿へ来てる時点で休んでません』
反論できなかった。
『別に』
セリアは続ける。
『ここへ来るなとは言いません』
「そうですか」
『でも』
一拍置く。
『タイミングが悪いです』
神官長は嫌な予感がした。
「タイミング?」
『はい』
妙に素直な返事だった。
『せっかくイチャイチャしていたのに』
神官長は無言になった。
しばらく沈黙。
本当に沈黙。
「……そうですか」
ようやくそれだけ返した。
『おい』
今度はユリアの声が聞こえる。
『何普通に言ってるんだ』
『事実じゃん』
セリアが返す。
『事実でも言わなくていい。向こうからこっちの様子なんてわからないんだ』
神官長は額を押さえた。
頭が痛い。
色々な意味で。
ふと思う。
昔のセレスなら。
こんな話はしなかった。
少なくとも自分の前では。
最後まで聖女であろうとしていた。
弱音も。
本音も。
多くを胸の奥へ隠したまま。
だが今は違う。
『だってタイミング悪いんだもん』
そんな不満を口にする。
『せっかく二人きりだったのに』
などと平然と言う。
姿は見えない。
どんな表情をしているのかも分からない。
だが。
声だけで十分だった。
今のセリアが幸せなのだと。
それだけはよく分かった。
「本当に変わりましたね」
神官長が呟く。
『そうかな?』
セリアが首を傾げるような声を出した。
「ええ」
神官長は頷く。
「昔はもっと隠しておられました。口調も」
少しの沈黙。
そして。
『今は隠す必要ないから』
穏やかな声が返ってくる。
『ずっと一緒にいられるし、誰も引き離さないし』
一拍置く。
『だからかな』
神官長は目を閉じる。
その言葉だけで十分だった。
十五年前。
叶わなかった願い。
それが今。
確かに叶っている。
『神官長』
セリアが呼ぶ。
「はい」
『今日はちゃんと休んでくださいね』
「善処します」
『休む気ないな』
ユリアが即座に言った。
神官長は小さく笑う。
昔ならあり得なかった。
だが。
今はそれでいいと思えた。
国心環は静かに輝いている。
その向こう側では。
今日も二人が寄り添っている。
十五年前に叶わなかった願いを。
今度こそ叶えながら。




