風邪
朝。
セレスはくしゃみをした。
「はくしゅん」
小さな音だった。
だがユリアは聞き逃さなかった。
「風邪か」
「違う」
即答だった。
「今くしゃみした」
「した」
「風邪だな」
「違う」
セレスは真顔で否定する。
だが説得力はない。
昨日の夜は少し冷えた。
窓を開けたまま本を読んでいたらしい。
ユリアは知っている。
侍女から聞いた。
「窓」
ユリアが言う。
セレスが視線を逸らした。
「開けてたな」
「少しだけ」
「どれくらいだ」
「二時間くらい」
「少しじゃない」
セレスは黙った。
反論できない。
自覚はあった。
少しだけ。
「熱は」
「ないよ」
「測ったか」
「測ってない」
「測れ」
「大丈夫」
「測れ」
「ユリア」
「測れ」
逃げ道がなかった。
セレスは観念する。
「はい」
◇
「平熱だな」
「ほら」
勝った。
そんな顔だった。
ユリアは少しだけ悔しい。
確かに熱はなかった。
咳もない。
顔色も悪くない。
ただのくしゃみだったらしい。
「だから大丈夫」
セレスが得意げに言う。
「まだ分からん」
「心配しすぎ」
「そうかもな」
否定しない。
最近は本当に否定しなくなった。
セレスは少し笑う。
「でも嬉しい」
「何がだ」
「心配してくれるの」
ユリアは答えない。
代わりに茶を差し出した。
「飲め」
「はいはい」
「返事が軽い」
「だって元気だもん」
そう言って茶を飲む。
その時だった。
「はくしゅん」
二回目。
今度は少し大きい。
沈黙。
ユリアが見る。
セレスが見る。
お互いを見る。
「……」
「……」
「風邪だな」
「違う」
即答だった。
◇
昼。
「はくしゅん」
三回目。
「風邪だ」
「違う」
◇
午後。
「はくしゅん」
四回目。
「風邪だ」
「違う」
◇
夕方。
「はくしゅん」
五回目。
「風邪だな」
「認めない」
セレスは机に突っ伏した。
ユリアは腕を組む。
完全に同じ結論へ辿り着いている。
ただ本人だけが認めていない。
「どうしてそこまで否定する」
「風邪じゃないから」
「理由になってない」
「だって」
セレスは顔を上げた。
少しだけ不満そうに。
「風邪引くと休まされる」
「ああ」
「嫌」
なるほど。
そういうことか。
ユリアは納得した。
確かに神官長は過保護だ。
聖女が体調を崩せば大騒ぎになる。
休養。
睡眠。
栄養。
その辺りを徹底されるだろう。
「だから認めない」
セレスは真剣だった。
本気で言っている。
ユリアは少し考えた。
そして。
「なら条件を出す」
「条件?」
「ああ」
セレスは首を傾げる。
「今日は早く寝ろ」
「うん」
「窓を開けるな」
「うん」
「暖かくしろ」
「うん」
「ちゃんと食べろ」
「うん」
珍しく素直だった。
たぶん休みたくないのだろう。
「守れるか」
「守れる」
「本当か」
「本当」
ユリアはしばらく見つめた。
そして頷く。
「ならいい」
「やった」
セレスは嬉しそうだった。
子供みたいに。
「でも」
ユリアが続ける。
「明日もくしゃみしたら休め」
「ええ」
「約束だ」
「厳しい」
「当然だ」
セレスはむぅ、と頬を膨らませる。
だが完全には反論しなかった。
少しは自覚があるらしい。
「ねえ」
「なんだ」
「もし本当に風邪だったら」
「ん」
「看病してくれる?」
ユリアは即答した。
「する」
「早い」
「当たり前だ」
「神官長より?」
「神官長より」
「侍女より?」
「侍女より」
セレスは笑った。
満足そうに。
「じゃあ少しくらい風邪でもいいかも」
「よくない」
即座に返される。
セレスは吹き出した。
「あははっ」
楽しそうだった。
結局。
その日の夜もくしゃみは何度か続いた。
だが熱は出なかった。
翌朝には落ち着いていた。
どうやら本当に風邪ではなかったらしい。
それを知った時。
セレスは得意げな顔でユリアに言った。
「ほら」
「そうだな」
「私が正しかった」
「ああ」
「謝ってもいいよ?」
「嫌だ」
「なんで」
「悔しいから」
珍しい返事にセレスはまた笑った。
その笑顔を見ながら、ユリアは小さくため息を吐く。
風邪ではなくて良かった。
それだけは本心だった。




