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伝説ではない



 神殿へ戻った後。


 神官長室には重い空気が流れていた。


 リシュリーは椅子に座り、不安そうに周囲を見回している。


 向かいには神官長。


 隣にはユリア。


 そしてセリア。


「……何があったんですか?」


 最初に口を開いたのはリシュリーだった。


 突然呼び止められたのだ。


 困惑するのも当然だった。


「あたし、何かしましたか?」


「違います」


 神官長が静かに答える。


「あなたは何もしていません」


 その言葉に少しだけ肩の力が抜ける。


 だが、神官長の表情は重いままだった。


「リシュリーさん」


 セリアが呼ぶ。


 リシュリーが顔を上げた。


「手を見せてください」


「手ですか?」


 素直に袖をまくる。


 細い手首。


 そこに浮かぶ赤い痕。


 リシュリー自身は初めて気付いたらしい。


「……え?」


 困惑した声が漏れる。


「何ですか、これ」


 神官長は答えない。


 ユリアも黙っている。


 だからセリアが口を開いた。


「私にもありました」


 リシュリーが瞬きをする。


「セリアさんにも?」


 セリアは小さく頷く。


「昔」


 一度言葉を切る。


 そして静かに続けた。


「セレスだった頃です」



 沈黙。


 

 リシュリーの思考が止まる。


「……え?」


 理解できなかった。


 何を言われたのか。


 目の前にいるのはセリアだ。


 どう見ても自分より若い少女。


 そのはずなのに。


「思い出したんです」


 セリアは静かに言う。


「全部」


 神官長は否定しない。


 ユリアも否定しない。


 それが何よりの答えだった。


 リシュリーは言葉を失う。


 尊敬していた先代聖女。


 幼い頃から憧れていた人。


 その本人が目の前にいる。


 しかも。


 自分より若い姿で。


「本当に……?」


 思わず漏れた。


「本当にセレス様なんですか」


 セリアは少し困ったように笑う。


「セリアでもあります」


 その答えが妙にセリアらしくて。


 逆に否定できなかった。


 リシュリーは俯く。


 頭が追い付かない。


 だが。


 話はそれだけではなかった。


「その痕は少しずつ広がります」


 セリアの声が聞こえる。


「そして身体を蝕みます」


 リシュリーは反射的に手首を見た。


 赤い痕。細い線。不吉な色。


「あたしはセレス様は過労で亡くなったと聞いています」


 思わず口をついて出た。


 神殿で教わったことだ。


 誰もがそう言っていた。


 セレスは働き過ぎた。


 人々のために尽くし過ぎたのだと。


実際そうだった。


 だが。


「違います」


 セリアは首を横に振った。


「私は国心環の負荷で死にました」


 部屋が静まり返る。


 

 リシュリーは息を呑んだ。



 何を言われたのか理解できなかった。


「そんな……」


 視線が神官長へ向く。


 神官長は静かに目を伏せた。


 否定しない。


 つまり本当なのだ。


「どうして……」


 声が震える。


「どうして教えてくれなかったんですか」


 神官長はしばらく黙っていた。


 やがて静かに答える。


「次の聖女が必要だったからです」


 リシュリーは言葉を失った。


 理解してしまった。


 真実を知れば。


 聖女になりたい者はいなくなる。


 だから伏せられた。


 何百年も。


 ずっと。


 セリアはそんなリシュリーを見つめる。


 昔の自分を見ているようだった。


 

「でも……」


 リシュリーが小さく呟く。


「聖女ですから」


 震える声だった。


「必要なことなら……」


「違います」


 即座に否定した。


 リシュリーが顔を上げる。


「当然じゃありません」


 セリアの声は強かった。


「誰かが死ぬことを前提にした仕組みなんて間違ってます」


 十五年前。


 自分はそう言えなかった。


 聖女だから仕方ない。


 そう思っていた。


 だから死んだ。


 けれど。


 今は違う。


「リシュリーさん」


 セリアは真っ直ぐ彼女を見る。


「私は怖かったです」


 リシュリーの瞳が揺れた。


「死にたくありませんでした」


 静かな声だった。


 伝説の聖女ではない。


 一人の少女の声だった。


「もっと生きたかった」


 ユリアの表情がわずかに曇る。


 あの日聞いた言葉だから。


「だから分かるんです」


 セリアは続ける。


「リシュリーさんは死ななくていい」


 部屋は静まり返っていた。


 リシュリーは何も言えない。


 憧れていた人が。


 理想だった人が。


 自分と同じように怖がっていた。


 死にたくなかったと言っている。


 それが何より衝撃だった。


 そして。


 気付けば。



「……死にたくありません」


 小さな声が零れていた。


 それは弱さではなかった。


 当たり前の願いだった。


 セリアは優しく頷く。


「はい。だから方法を探しましょう、一緒に」


 その言葉に。


 リシュリーの目から涙が零れた。




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