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最期の日



 「この部屋は私の部屋です」


 その言葉を口にした瞬間から。


 記憶は止まらなかった。


 鏡台へ手をついたまま、セリアは荒い呼吸を繰り返す。


 知っている。


 この部屋を。


 この机を。


 この本棚を。


 ここで過ごした。


 ここで笑った。


 ここで生きていた。


 全部。


 私の記憶だ。


 


「セリア」


 ユリアの声が聞こえる。


 その声に胸の奥が強く痛んだ。


 違う。違わない。


 私はこの声を知っている。


 誰よりも。


 何よりも。


 大切だった声だ。


 視界が揺れる。


 次の瞬間。


 景色が変わった。


 



 国心環の間。

 神官長。

ユリア。

 そして私。

 重い沈黙が流れている。

 灰色に濁った国心環。

 もう時間はない。

 それは誰の目にも明らかだった。

 私は知っている。

 この日のことを。

 この日の結末を。

『ありがとうございました』

 神官長へ頭を下げる。

 感謝していた。

 本当に。

 十五歳の頃からずっと。

『ユリア』

 名前を呼ぶ。

 水色の髪。

 泣きそうな顔。

 見たことのない表情。

『まだ間に合う』

 掠れた声。

『まだ間に合う』

 同じ言葉を繰り返していた。

 知っている。

 無理だと分かっているのに。

 それでも諦められなかった。

 私も同じだった。

 本当は。

 死にたくなかった。


 



 セリアの身体が震える。


「っ……」


 苦しい。


 胸が痛い。


 だが記憶は止まらない。


 



 白い光。

 無数の糸。

 国中の願い。

 悲しみ。

 怒り。

 後悔。

 希望。

 全部が流れ込んでくる。

 苦しい。

 息ができない。

 それでも。

 手だけは離さなかった。

 国心環は浄化されていく。

 少しずつ。

 確実に。

 白を取り戻していく。

 そして。

『見える』

 ユリアの声。

『白い光が……』

 私は笑った。

 嬉しかった。

 最後に。

 同じ景色を見られたことが。

 本当に嬉しかった。




 さらに記憶が流れ込む。



 身体が限界へ近付いていく。

 赤い痕。

 痛み。

 恐怖。

そして。

 終わり。

 国心環が完全な白を取り戻す。

 何百年分もの穢れが消える。

 その代わり。

 私の身体から力が抜ける。

『セレス!』

 抱き止められる。

 温かい腕。

 大好きな人。



 セリアの頬を涙が伝う。


 知っている。


 この続きも。


 全部。


 知っている。


 



『終わったね』

『ああ』

 震える声。

 そして。

 張り詰めていたものが切れた。

『嫌だ……』

 涙が溢れる。

『死にたくない』

 声が震える。

『もっと生きたい』

 本当は怖かった。

 ずっと。

 ずっと怖かった。

『来年も』

『再来年も』

『もっとずっと……』

 言葉にならない。

『一緒にいたい』

 それが本音だった。

 聖女じゃない。

 ただのセレスの願い。


 



「……っ」


 セリアは膝をついた。


 涙が止まらない。


 胸が苦しい。


 息ができない。


 あまりにも悲しくて。


 あまりにも愛しくて。


 



『愛してる』

『オレもだ』

 唇が触れる。

 短く。

 優しく。

 別れを惜しむように。

 そして。

 離れる。



 


 それが最後だった。


「ごめん……」


 ぽつりと零れた。


 セリア自身も気付かないうちに。


「ごめん……」


 震える声。


 十五年間。


 残してしまった。


 一人にしてしまった。


 その後悔だけが胸に溢れる。


「ユリア」


 ゆっくり顔を上げる。


 涙で滲む視界の向こう。


 そこにいる人を見る。


 ずっと会いたかった人を。


「ごめん」


 もう一度言う。


 そして。


 震える声で続けた。



「思い出した」



 息を呑む音が聞こえた。


 

 ユリアだった。


 セリアは泣きながら笑う。


 十五年前と同じように。


 

「私……セレスだ」


 静かな部屋に。


 その言葉だけが落ちた。


 神官長は目を閉じる。


 長かった。


 本当に長かった。


 十五年。


 ようやくこの日が来た。


 神官長は静かに一礼する。


「……おかえりなさいませ」


 一度言葉が途切れる。


 そして。


「セレス様」


 セリアの目から再び涙が零れた。


「ただいま戻りました」


 神官長は微笑む。


 どこか安心したように。


 肩の荷が下りたように。


 そしてユリアへ視線を向けた。


 何も言わない。


 言う必要もなかった。


 十五年間待ち続けたのは自分ではないのだから。


「少し席を外します」


 そう言って扉へ向かう。


 部屋を出る直前。


「ごゆっくり」


 穏やかな声だけを残し。


 神官長は静かに部屋を後にした。


 扉が閉まる。


 部屋には。


 二人だけが残った。




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