零れた名前
昼下がりの中庭。
穏やかな風が吹いていた。
セリアはベンチから立ち上がる。
「あ」
少し離れた場所へ視線を向けた。
ユリアには見えない。
だが何を見つけたのかは分かる。
白い糸だ。
「行ってきます」
「無理するなよ」
「大丈夫です」
そう言って歩き出す。
最近は慣れたものだった。
人目がないことを確認して。
そっと手を伸ばす。
触れる。
いつも通り。
そのはずだった。
「っ……!」
突然。
頭の奥に鋭い痛みが走った。
視界が揺れる。
足元がぐらつく。
「セリア!」
倒れそうになった身体を支えられる。
気付けばユリアが駆け寄っていた。
「おい」
肩を抱かれる。
聞き慣れた声。
けれど。
頭の痛みは消えない。
何かが浮かぶ。
知らない景色。
石畳。
祭りの灯り。
笑い声。
次々と流れていく。
「大丈夫か」
ユリアの声が聞こえる。
懐かしい。
どうしてだろう。
胸が締め付けられる。
セリアは苦しそうに目を閉じた。
その時だった。
視界の端に青い光が映る。
ユリアの胸元。
服の隙間から銀色の鎖が覗いていた。
先に下がっているのは。
青い耳飾り。
「……」
知っている。
見たことがある。
何度も。
でも。
違う。
そうじゃない。
ただ知っているだけじゃない。
市場。
露店。
並ぶ装飾品。
青い石。
水を閉じ込めたみたいな色。
『ユリアの瞳に似てる』
声が聞こえた。
誰かの声。
違う。
自分の声だ。
胸が大きく脈打つ。
『綺麗だね』
笑う声。
嬉しそうな声。
温かい時間。
「……」
涙が滲む。
どうしてこんなに懐かしいのだろう。
どうしてこんなに苦しいのだろう。
「セリア」
名前を呼ばれる。
その声に。
心の奥が震えた。
気付けば。
自然に口が動いていた。
「ユリア……」
ユリアが固まる。
セリア自身も固まった。
今。
何と言った。
いつもなら違う。
いつもは。
ユリアさん。
そう呼んでいる。
なのに。
「……あれ?」
どうして今。
当たり前みたいに呼べたのだろう。
ユリアは何も言わなかった。
ただ。
少しだけ目を見開いている。
セリアの胸はざわついていた。
懐かしい。
苦しい。
会いたかった。
そんな感情だけが溢れてくる。
理由はまだ分からない。
けれど。
頭の奥で。
止まっていた何かが。
少しだけ動き始めていた。




