好きです
巡礼が始まって五日。
セリアは今日も神殿へ来ていた。
中庭を歩いていると、ふと白い糸が目に入る。
木の枝から垂れるように。
空中に溶けるように。
細い糸が揺れていた。
「……あ」
周囲を見回す。
誰もいない。
セリアはそっと手を伸ばした。
指先が触れる。
すると。
白い糸は静かに消えた。
いつものことだった。
何なのかは分からない。
けれど昔から見えていたし、触れば消える。
それだけは知っている。
「セリアさん」
声を掛けられる。
振り返ると神官長だった。
「こんにちは」
「こんにちは」
神官長は穏やかに微笑む。
そしてセリアの近くまで歩いてきた。
「少しお時間よろしいですか?」
「はい」
神官長に案内されるまま神官長室へ向かう。
扉が閉まる。
他に人はいない。
神官長は机の前へ座った。
「実はお願いがありまして」
「お願いですか?」
珍しい。
セリアは首を傾げる。
神官長は少し言葉を選んだ。
「神殿内で白い糸を見掛けたら」
セリアが目を丸くする。
「神官長様も知ってたんですか?」
「ええ」
神官長は頷いた。
「見えてはいませんが」
そこは正直に答える。
「触ると消えるんです」
「そのようですね」
「何なんでしょうね、あれ」
セリアは不思議そうだった。
本当に分かっていない。
神官長は苦笑した。
自分も分かっていない部分は多い。
「もし見つけたら」
神官長は続ける。
「今まで通り触れていただけますか」
「別にいいですけど」
セリアはあっさり頷く。
「ただ」
神官長は少し真面目な顔になった。
「できれば人目につかない場所でお願いします」
「……?」
「他の神官達に見られると説明が難しいので」
それは確かにそうだった。
空中へ向かって手を伸ばしているようにしか見えない。
セリアも納得する。
「分かりました」
話はそれで終わりのはずだった。
けれど。
神官長はふと笑った。
「もう一つ聞いてもよろしいですか?」
「何ですか?」
「ユリア殿のことが好きなんですね」
「えっ」
今度こそ固まった。
「な、何でですか!?」
「分かりやすいですよ」
穏やかな即答だった。
セリアは思わず顔を覆いたくなる。
「そんなにですか……」
「そんなにです」
神官長は頷いた。
少しだけ沈黙。
そして。
セリアは観念したように息を吐く。
「好きです」
はっきり言った。
隠すつもりはなかった。
「そうですか」
神官長は静かに微笑む。
驚いた様子はない。
最初から分かっていたのだろう。
「でも」
セリアは視線を落とした。
「ユリアさんには大切な人がいるみたいなんです」
胸元の青い耳飾り。
あの時の表情。
忘れていないと言った声。
全部思い出す。
神官長は少しだけ目を細めた。
知っている。
誰のことか。
どれほど大切だったのかも。
けれど言わない。
今はまだ。
「そうかもしれませんね」
静かに答える。
それだけだった。
「やっぱり」
セリアは少し寂しそうに笑った。
神官長は窓の外へ視線を向ける。
「セリアさん」
「はい」
「大切な人がいたことと」
一度言葉を切る。
「これから誰かを大切にすることは別ですよ」
穏やかな声だった。
説教ではない。
ただ長い時間を見てきた人の言葉。
「そういうものですか?」
「そういうものです」
神官長は頷く。
「人の心は思っているより複雑ですから」
セリアは少し考える。
難しい。
でも。
少しだけ胸が軽くなった気がした。
◇◇◇
一方。
巡礼五日目。
地方都市の神殿。
今日の巡礼も無事に終わっていた。
ユリアは回廊の柱へ背を預ける。
近くで少女達の話し声が聞こえた。
「二週間も会えないなんて無理」
「分かる」
楽しそうな声だった。
聞き流そうとする。
その時。
『長いです』
『二週間は長いです』
真面目な顔。
少し拗ねた顔。
騒がしい声。
自然と思い出してしまう。
「……」
ユリアは眉をひそめた。
最近こういうことが増えた。
巡礼へ出てから気付いた。
神殿へ行けばいた。
中庭へ行けばいた。
それが当たり前になっていた。
だから。
いないことに慣れない。
ただそれだけだ。
そう自分へ言い聞かせる。
巡礼が終わるまで。
あと九日だった。




