行ってらっしゃい
それから九日が過ぎた。
神殿は巡礼の準備で慌ただしくなっている。
護衛騎士達は装備を整え。
神官達は各地への連絡に追われ。
リシュリーも巡礼前の仕事を片付けていた。
そして今日。
出発の日だった。
まだ朝早い。
神殿前には馬車が用意されていた。
荷物の積み込みも終わっている。
ユリアは馬の様子を確認していた。
問題はない。
後は出発するだけ。
「間に合った!」
聞き慣れた声が響く。
ユリアは振り返った。
予想通りだった。
セリアが駆けてくる。
「走るな」
第一声がそれだった。
「急いだんです」
「転ぶぞ」
「転んでません」
確かに転んではいない。
だが息は切れている。
ユリアは呆れたようにため息を吐いた。
「見送りに来ました」
「ああ」
「来ないと思いました?」
「少しはな」
嘘だった。
たぶん来ると思っていた。
この九日間。
セリアは一日も欠かさず神殿へ来ていたのだから。
「来ますよ」
当然みたいに言う。
ユリアは少しだけ口元を緩めた。
「二週間ですよね」
「ああ」
「長いです」
「またそれか」
ユリアが呆れる。
この話を何回聞いただろう。
「長いものは長いです」
セリアは真面目だった。
本当にそう思っているらしい。
ユリアは少し笑う。
「すぐ終わる」
「終わりません」
「終わる」
「終わりません」
子供みたいな言い合いだった。
出発の準備が整う。
リシュリーが馬車へ乗り込む。
護衛達も配置につく。
時間だった。
「ユリアさん」
セリアが呼ぶ。
ユリアは振り返った。
「何だ」
「気を付けてください」
少しだけ真面目な顔。
冗談ではない。
本気で心配している顔だった。
ユリアは短く頷く。
「ああ」
そして自然に言葉が出る。
「お前も無茶するな」
セリアの顔がぱっと明るくなった。
「はい!」
返事だけは立派だった。
守る気があるかは怪しい。
「あ」
何かを思い出したように声を上げる。
「お土産」
ユリアは眉をひそめる。
「まだ言うのか」
「言います」
即答。
「忘れないでくださいね」
「覚えていたのか」
「当然です」
胸を張る。
ユリアは小さく息を吐いた。
「考えておく」
「約束ですよ」
約束はしていない。
だが。
それ以上は言わなかった。
出発の合図が鳴る。
馬車がゆっくりと動き始めた。
護衛達も続く。
神殿の門を抜けていく。
セリアはその場に立ったまま見送っていた。
手を振る。
リシュリーが馬車の窓から振り返してくれる。
神官達も。
そして。
最後に。
ユリアが振り返った。
本当に一瞬だけ。
目が合う。
それだけだった。
それだけなのに。
胸が熱くなった。
馬車が遠ざかる。
見えなくなる。
静かになる。
「……行っちゃった」
分かっていた。
見送ったのだから。
それでも。
実際にいなくなると違う。
二週間。
長い。
本当に長い。
セリアは空を見上げた。
青い空だった。
少しだけ寂しい。
◇◇◇
一方。
巡礼の一行は街道を進んでいた。
ユリアは馬を歩かせながら周囲を警戒する。
いつも通りだ。
何も変わらない。
そのはずだった。
「ユリアさん」
馬車の窓が開く。
リシュリーだった。
「何だ」
「振り返っていましたね」
ユリアは無言になる。
「気のせいだ」
「そうでしょうか」
リシュリーは小さく笑った。
全く信じていない顔だった。
ユリアは視線を前へ戻す。
もう神殿は見えない。
当然だ。
出発したのだから。
なのに。
ふと思う。
今頃何をしているだろう。
考えた瞬間。
眉をひそめた。
仕事中だ。
余計なことを考えるな。
そう自分へ言い聞かせる。
だが。
頭の片隅から消えてくれない。
毎日のように現れていた少女の姿が。
◇◇◇
神殿へ戻る途中。
セリアはゆっくり歩いていた。
ふと。
青空を見上げる。
綺麗な青だった。
その瞬間。
『ユリアの瞳の色に似てる』
断片が過る。
頭痛はない。
ただ。
懐かしい気持ちだけが残った。
巡礼が終わるまで。
あと十四日。




