四章 第26話 星合流成の結果発表
八月もついに最後の一週間となり、もう終盤。暑さもここ数日は鳴りを潜め、快適な日々が続いている。特に今日は30℃を下回ると朝のニュースでやっていた。
長い長い夏が暦の面でも、気候の面でも、終わりを告げそうな日だった。
そして俺の熱い勝負も、ついに終わりを告げる。今日は流成さんに呼ばれてカフェ『三ツ星』を訪れていた。勝負の審査結果が発表されるからだ。
今日は水曜日定休日で客はいない。店内にいるのは、俺と流成さん、夜空に春野だ。膳所はまだ到着していない。
誰も口を開かない。色々な感情を渦巻き、簡単に話しかけられる状況じゃないのだろう。俺もそうだ。
その静寂を破るように、カフェの扉が開き、同時に扉の上にうちた鈴がカラカラと鳴る。
「やあ、久しぶり」
「おう」
膳所の快活な声。そこには緊張は感じられない。勝利を確信してるのか、元々そういうやつなのかは分からない。
膳所は学校の制服を着ている。そのことを疑問に思ったのか、春野が訊く。
「今日は学校だったの?」
「そうだよ。始業式だった」
「はえ〜、早いね」
まあ、膳所が行ってる学校は名門私立らしいし、早く学校が始まってもおかしくない。確か普通の公立は九月一日が始業式のはずだ。
「じゃあ、全員集まったようだし、結果発表といこうか」
流成さんがいつになく、厳かな声で告げる。店内の空気が一気に張りつめる。
俺も手に嫌な汗が出る。勝てるとは思っていても、この瞬間は嫌なものだ。膳所をチラと見ると、顔がいつもより引き締まっている。どうやらこの感情はお互い様らしい。
「まず講評から」
流成は束になった紙を取り出す。おそらく売上やらなんやらが書かれているのだろう。この勝負をどれだけ本気で審査したかが窺い知れる。
「売上は膳所くんの方がいいね。訪れた客も多くて、特にシークレット。これに惹かれたがたくさんいるようだ。
尾道くんの方は……売上は悪くない。けどコーヒー一杯無料だからね。純利益はそんなにかな」
流成さんは苦笑いをする。
まあ、想定内だ。当たり前と言ってもいい。俺はそんな勝負をしていないのだから。膳所もそれを分かっているのか、だんまりだ。
「勤務態度。これは甲乙つけれないね。春野さんも含めて、全員が誠心誠意、接客をしている。目立ったミスもないし、これは素晴らしいね」
流成さんは再び紙を見て、満足そうな笑みを浮かべる。おそらく本心だろう。春野の頬が弛んだのが分かった。
「そして客の反応。これは尾道くんかな。売上は期待できなくても、やっぱりコーヒー一杯無料というのは魅力的だったと思う。いい企画だと言っていたお客さんもいたよ」
それは何より。俺の狙い通りだ。
「でも膳所くんもお客さんの反応は悪くなかった。満足して帰ってる人もいたし、祭りの楽しさをより一層、増させられたんじゃないかな?」
ここまで聞いて、皆が微妙な表情を浮かべる。勝敗をつけているように見えて、どちらもフォローしている。つまりどちらが優位というのがないのだ。あるのは延長のみ。
まさか引き分けとかないだろうな……。そんなことが頭をよぎる。
だがその時、流成が息を吐いたのが分かった。おそらくため息。
「尾道くん、悪いけど君が用意した審査基準じゃ勝敗は決められない」
「……それはつまり?」
予感した通り、引き分けということだろうか。思わず睨み付けるような視線になる。
だが流成さんは表情を変えず、言葉を続ける。
「君は僕に言ったよね。審査するに当たって君は僕の主観で選んでもいい、そう言ったよね」
「それは……」
「分かってる。君が僕はきっと公平な判断をすると言ったことも」
忘れてはいない。流成さんは夜空に誰がふさわしいか決めるために、公平な判断をすると思ったのだ。
しかしこの語り口を聞くと、どうもその考えから外れてしまいそうだ。
「でもこれ以上は無理だ。勝敗を決めたいなら、どうしても独断と偏見が入り込む。それでもいいなら僕は勝敗を言うけど?」
ちらと俺たちを見てくる。判断を委ねているのだ。そこには今なら、まだ引き分けで有耶無耶にできるという意図も含まれてそうだ。
しかし俺と春野は言わずもがな、首を縦に振る。むしろ売上で決まらなくて、良かったと感じるくらいだし。
膳所もまた了承の意を見せる。売上では決めきれなかったのは痛手かもしれないが、それでもなお負ける気がしないのだろう。
となると未だ、返事をしていない夜空に注目が集まる。
今回の勝負でもっとも重要となる星合夜空。勝負という体を取っているものの、言い方は悪いが、実質的な夜空の取り合いにすぎない。
だから視線が集まるのも当然。しかし当の本人は瞑目し、腕を組んだままだ。
その目がゆっくりと開く。黒い瞳には光が宿っている。
「ええ、お願い」
「……そうか。じゃあ、言うよ。勝者は……」
流成は苦虫を噛み潰すような表情になる。勝者を讃える気持ちより、敗者を惜しく思う気持ちが強いのだろう。
一方を選ぶということは一方を選ばないこと。それは辛いことだ。そして流成さんはそう思える人間なのだ。
俺はというと不思議と心は落ち着いていた。勝てるとか勝てないじゃない。ただ達観した見通しだけがあった。もう怖くも悔いもない。
「個人的に尾道くんと環さんだと思う」
流成さんはそれだけはきっぱりと言い放つ。
時が止まった気がした。俺も流成さんの言葉を一瞬、理解できなかった。聞こえてはいるのに。
だがそんな中、一番始めに反応できたのは春野だった。
「……や、やったー! 勝ったよ! 夜空! 尾道くん!」
「あ、ああ。勝った。勝ったな」
春野は手を挙げてきたきたので、ハイタッチで返す。そうしたことでやっと勝ったという自覚が出てきた。
勝つためにここまでやってきたが、いざ目論見が上手くいって勝ったとなると、なんだがふわふわとした不思議な気分になる。嬉しいということなのだろうか。春野を見ていると、きっとそうだと思う。
「夜空も! はい!」
「え、ええ」
春野に促され、夜空もハイタッチした後、歓喜の抱擁をしている。だが夜空の目線は春野には向いてない。心ここにあらず、という感じすらする。
「夜空、どうし……」
そう言いかけて言葉を止める。春野は未だ、勝利の余韻に浸って気づいていないが、俺は気づいてしまった。
夜空の視線の先には膳所がいた。魂を抜かれたかのように立ち尽くし、顔が真っ青になった膳所が。
「理由は聞くかい?」
流成さんはそう話しかける。視線は膳所に向けられている。まあ、俺たちに今となっては、理由なんて要らないからな。
「……ええ、是非」
膳所の声は自信家だった欠片も感じられないほど、小さく掠れていた。
「これといった理由はこの店への愛、かな。確かにコーヒー一杯無料は売上の面では、あんまりいい策じゃない。それは君も分かるだろう?」
「…………」
膳所は黙ったままだ。言葉を返さないのではなく、言葉を返せないという風だ。
「でも、僕は本当はあんまりそういうのは気にしない。売上も大事だけどね、僕はこの店を守ることの方が重要なんだ。
そのためにはお客さんから愛されなきゃいけない。だから僕はお客さんを大事にしてきて、そして約10年が経った。でもそれを形にするのは難しくてね。そんな時に尾道くんと環さんはこういった形で、僕に代わって感謝を伝えてくれた。
それが勝因だ。分かるかな?」
こくりと一つ膳所が頷く。おそらく膳所が悪い訳じゃないということを流成さんがフォローしようとしたことを含め、分かっているのだろう。
膳所が劣っていたんじゃない。俺たちが少し、ほんの少し優れていて、流成さんの気持ちにコミットした。それだけのことだ。
俺はもう一度、膳所を見る。それを聞いて、どんな心中だったことだろう。俺には察することも出来なかった。
膳所は立ち尽くす。その時にはもう春野も膳所のことを思って、口を真一文字に結ぶ。静寂が流れる。
「ぐっ……うっ……くそ。なんで……」
そんなうめき声が漏れ聞こえる。
その声が聞こえる方を向く。そこには大粒の涙を流す膳所がいた。
結果発表回です! この話はかなり前から決まっていたというか、これを物語の最終章の中でも核を担う部分にするつもりだったので、やっとここまで来たかーって感じです。




