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四章 第27話 膳所雪村の弱さ

  「ぐっ……うっ……くそ。なんで」


  膳所はそんなうめき声を上げながら、大粒の涙を流す。それを手で拭き取っている。

  それを見て、俺はまったく予期していないことが起こった。直感的にそう感じていた。

  膳所が勝負に負けた時、何らかのアクションを取ってくることは予想していた。例えば不服申し立てをしたり、その場で暴れることさえ考えた。その対策も考えたつもりだ。

  だがまさか泣くとは。それも年端もいかない少年のように幼く。


  「あ、えーっと……」


  春野がおたおたし始める。性格が性格なので、泣いてる人がいたらほっておけないのだろう。 だが結局は掛ける言葉は出てこなかったようで、口を閉じてしまう。

  この混沌した状況をどうやって収束させりゃあいいんだ……。はっきり言って、こういうの苦手なんだよな……。

  流成さんをちらと見る。そうしたら夜空と春野もそちらを見ている。子供をあやすのは大人の仕事ということらしい。ここは任せてしまおう。


  「はあ……。夜空、彼に何か言うことは?」


  「まさかの丸投げかよ……」


  思わずそんなことを口走る。少し頼もしいなとか思ったのに……。

  夜空はというとびくっと肩を震わせる。まさか自分に来るとは、という感じだろう。

  夜空は一瞬、嫌そうな表情になるが、すぐにいつもの興味がなさそうな冷めた表情に戻る、


  「じゃあ膳所くん、最後に一つ訊いていい?」


  「それは……今、訊くこと?」


  嗚咽混じりに膳所が答える。ここまでの醜態を晒されると、一周回って勝ったこちらが悪いと思ってしまう。

  だがそれでも夜空は質問するようだ。


  「ええ。もちろん答えたくなかったら、答えなくてもいいけれど……」


  「いいよ……。何?」

 

  泣いてる自分を見られるのが、恥ずかしいのか、ふてくされたような表情になっている。声もそれに引っ張られていた。


  「あなたのもう一人の協力者は誰なの? もしかして一人でやったの?」


  夜空が膳所を睨み付ける。まさか手を抜いてやってたんじゃないだろうか、そんな疑問と怒りが孕んでそうな眼差しだ。

  俺もそこまで思わないものの、そのことは考えた。ルールの条文でいう『一チーム二人で営業する』というやつで、こっちの場合なら俺と春野で挑んだ訳だ。

  だが膳所の営業を見に行ったが、そういう人物はいなかったように見えた。


  「それは……それは」


  「何?」


  膳所は言いづらそうに、言葉を繰り返しているのに、夜空はそれを許さない。

  膳所が再び泣き出しそうだ。だが疲れた口調で言う。


  「協力者は母親だよ……」


  「ああ、やっぱり。あなたならそうすると思ったわ」


  さも当然という風に夜空は頷く。口元には極上の笑み。これには膳所もポカンとしてしまっている。

  この夜空の反応は中々辛いな……。分かりきったことを訊くとか鬼かよ。


  「なんで……」


  「私、あの人のこと嫌いなのよ。でもあなたはそうじゃない。そんなこと、とっくに分かっているのよ」


  それだけ言い残すと、膳所に興味がなくなったようで、背中を向けて従業員控え室へ行ってしまう。

  残されてしまった……。膳所なんて憔悴しきって、もうがっくり肩を下げてるぞ。責任取ってくれよ、夜空ァ……。

  今の言葉がヒントになって、分かったことがある。しかしその意図が分かると


  「はあ……」


  ため息が重なる。誰と、とかではなく、この場にいる全員がそんな感じのため息を出したのだ。

  そんな中、春野が俺にこそっと耳打ちしてくる。かかる吐息がくすぐったくて、変な笑いが出そうだ。


  「ねぇ、夜空の最後の言葉、どういう意味かな?」


  「ああ、それはだな……」


  俺が言いかけるも、春野が耳を出している。えっ……、俺もすんの……? まあ、そっちの方が膳所には聞こえなくていいか。


  「要するに母親の愛のためにやってたってことだ」


  そう断言する。

  いつか俺は膳所の無意味な夜空への求愛を、母親の信頼のためにやっているのだと考えたことがある。

  だがそれは間違いだった。夜空が気づいたことに俺は気づけなかった。少し俺の方が打算的だったな。つまりその求愛は母親の愛を手に入れるための行為だったのだ。

 

  「要するにって全然、分かんないんだけど……」


  「そうか。じゃあ詳しく言うと……」


  「全部、聞こえてるよ」


  膳所が会話に割ってはいる。まあ、こんな目の前で自分の話をされていたら、気になってるってもんか。


  「もうこの際だから言うよ。俺は夜空さんを利用した。君の言うとおり、母親からの愛を得るためにね」


  一人称が『俺』になっている。負けた今、全てがどうでもいいことなのだろう。


  「愛って……」


  「そんなもの? って言いたそうだね、環さん」


  「悪いけど」


  「でも俺には重要なんだよ、そんなものが」


  膳所はふっ、と乾いた笑いを浮かべる。


  「俺の母親は自分を産んだ後にすぐ亡くなってしまってね、だから『母親』ってものがどんなのか知らないんだ。だから知りたかった。『母親』の愛って何なのか」


  『母親』というのもがえらく無機質に感じる。それはまるで、子供が覚えたばかりの言葉を口ずさむようだった。

  だがその膳所の気持ちは分からんでもない。長らく片親の俺も、心理的に片親だった夜空もきっと分かる寂寥感。

  春野がそれを分からないのは満たされている証拠だ。本当はそっちの方がいいに決まっている。


  「だからお前は夜空を籠絡しようとしたのか。母親が取り入れあぐねている夜空をこちらに引き入れることで」


  「そうだ」


  「それは……馬鹿、だな」

 

  言いたくはなかった。気持ちは分かるから。けど言わずにはいられなかった。


  「手厳しいね。まあ、本当にその通りだよ。夜空さんを上手く取り入れたら、俺はもう用済み。夜空さんに集中して、興味すら失うだろうね。

  けど取り入れられなかったら、それも俺に利用価値がないのさ」


  「なんでそんなに分かってるのに……」


  春野はそんなことを口走る。

  分かってるなら、縁を切ればいい。続く言葉はそんな所だろう。分かるよ、春野。けどそれは禁句だ。

  膳所はスイッチが入ったかのように、春野を見て叫ぶ。


  「じゃあ、どうしたらいいんだよ! 本当の母親はいない。新しい母親は俺を駒だと思ってる! それでも! 偽りでも俺は愛が欲しいんだよ!」


  膳所は荒い息を立てながら、力強く叫ぶ。それに思わずこの場の面々が圧倒される。

  化けの皮が剥がれたな。でも俺はそれを見苦しいとは思わなかった。それが嘘偽り本心で、腹に一物がありそうな膳所が吐いた真実なのだと思うと、美しいとさえ思った。

  偽りでもというのが肝だな。月子さんは膳所がどれだけ頑張っても、気にしないだろう。なぜなら夜空以外の人間は駒だからだ。

  けどもしかしたら、そんな夢想だけで膳所はペルソナを演じることを決意したのだ。

 

  再び膳所は泣き出す。それを見て、俺たちはもうどうすることもできなかった。

  ここで慰めることは不誠実だ。月子さんが情で靡くはずもない。そんなことは分かりきっているのに、俺たちがまだ大丈夫だと言えるなら、それは欺瞞だ。

  そして何より。膳所を肯定することは夜空を否定することに他ならない。

  膳所は愛されなかったからこその問題。対して夜空は愛されすぎた故の問題。一方を肯定することは、これまた一方を否定することなのだ。

  だから俺はただ惨めな敗北者を眺めることしかできない。同情ももここでは無力で無意味だ。


  それでも、俺と同じ家族関係に悩む人間を簡単には見捨てられなかった。こんなことしても、何も満たされない。そんなことを分かっている。

  俺は膳所に近づき、肩を手を置く。お前は間違っていない、と。それは絶対に言葉にするつもりはなかった。

  膳所は泣き腫らした顔をこちらに向け、目を見開く。だが再び下を向いてしまう。


  これで救われたかは知らない。救われたとしても俺の知ったことじゃない。

  これは俺のエゴだ。同胞を見捨てられない俺の。きっと自己満の救済なんて、あっても嬉しくないだろう。

  でもそんなもので救われるなら、俺の偽善にも意味があるのではないだろうか、今はそう思う。

膳所に僕自身が持っているイメージから大分、崩した回だなーと感じています。ギャップ萌えというのが流行ってるらしいので、それを狙ったのですが……何か違いますね……。

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