四章 第23話 環春野の友情
「はいはい。営業の邪魔だから。そろそろ退いて」
膳所と戦略について長話をしていたら、そんなことを言われてしまった。後ろには列ができ始めており、このままだと相当邪魔だ。
俺としてはこのまま膳所と話して、営業妨害したいところだが、それがどうマイナスになるか分からないので、そろそろ退散するとしよう。
飲み終わったカフェラテのカップを返却し、流成さんに挨拶をしてから離れようとしたが、隣の春野は動かない。
「どうした?」
「いや、ちょっと……」
気になって聞いてみたが、そんな返事をされてしまった。どうやら春野の視線は固定されているようだ。その視線の先は膳所にあった。
「膳所に何か用でもあるのか?」
「ま、まあ……」
先ほどから妙に口ごもるな。その反応を見ると、何かやましいことでもあるのか気になって、質問を重ねてしまう。
「告白か?」
「尾道くんって時々、意地悪だよね……。そうじゃないことくらい分かってるくせに」
「俺は意地悪じゃない。意地汚いだけだ。だから今のもからかってるだけだ」
「余計、ダメだよ……」
その視線がやっと俺に向く。だがそれは厳しかった。しまった。怒らせちまったな……。
だが少し観察していると、春野がせんとしていることが分かった気がする。つまり客がいなくなるのを待って、膳所に話しかけようとしているらしい。
少し待っていると、列が捌け始めてきて、やがて並んでいる人はいなくなる。そのタイミングを見て、春野は膳所に近寄る。
「ねぇ、少しいい?」
「ん? あー、まあいいよ。手短なら」
膳所は話してる間、一瞬苦虫を噛み潰した表情になる。すぐに元に戻ったが。本当なら膳所は忙しいのを理由に回避したかったのだろう。
「勝利報酬って、尾道くんの夜空への接近禁止と夜空と膳所くんを正式に許嫁同士と認めること。それで間違いない?」
「それで間違いないよ」
「本当に?」
「ああ、それで間違いないさ。何か不服でも?」
膳所は何が言いたい、という感じだ。俺も春野が何を言い出すのか予想がつかない。春野の次の言葉に注目が集まる中、口を開く。
「うん。不服ならあるよ」
「勝利報酬の変更は今からじゃ……」
膳所は俺の方をちら、と見る。勝負の約束は両者の同意の下、行われている。今更、約束を反故にするのは許さないという牽制だろう。
だが軽く見すぎだな。春野は約束を破ったりしないし、そういう駆け引きの中では生きてない。だから予想外でも慌てたりはしなかった。
「不服なのは……なんで私は接近禁止じゃないの?」
「……」
膳所はそれを聞いて、黙り込む。クリティカルな所を突かれたらしい。
俺はなるほど、と感心した気持ちになった。確かに勝利報酬には俺の接近禁止を約束しただけで、春野の接近禁止は含まれていない。
春野も勝負を受けた以上、春野も接近禁止になることは論じなくてもいいと言えばそれまでだが、用意周到な膳所が春野を洩らすことは可能性としては低いと思えた。つまり意図的だということだ。
「なにも言わないんだね。じゃあ私が言うよ。君は尾道くんが夜空に近づかなくなったら、私も近づかなくなると思ってない? 私が尾道くんだけが好きだと思い込んで」
春野は膳所を睨み付ける。そんな表情は初めて見たかもしれない。膳所はそれでも尚、黙ったまま。それが何よりの答えだ。
そんな膳所に春野は一歩前に出て、言い放つ。
「なめんなっ!」
それだけ言い残して、春野は俺の方に向かってくる。表情は意外にも笑顔だ。言いたいことが言えて、すっきりしたという感じだろうか。
対する膳所は苦笑を浮かべて、口を動かす。背を向ける春野は分からないだろうが、俺は分かった。「参ったな」確かにそう、口が動いていた。
「さ、いこ」
「あ、ああ……」
春野が先行して、その場を離れる。その足取りは軽く、人混みが落ち着いた所へすぐに辿り着いてしまう。そのタイミングを見計らって訊く。
「今のは……」
「ちょっと腹立ったから、言ってやった!」
その表情はせいせいとしている。相当、腹立ってたんだな……。まあ、自らで解消するなら別にいいけど。
「怒りを掘り返すようで悪いが、その理由を訊いてる」
「だって何か私だけ蚊帳の外って感じだし、膳所くんが友情を軽く見てるのが嫌だったの」
あっけからんとして言い放つ。その感じを見ていると、一度でも春野と夜空の不仲を疑ったことが馬鹿馬鹿しくなってくる。
「だから安心して。もし尾道くんが負けても、私は絶対に夜空を見捨てない。いつまでも戦い続けるよ」
春野は曇りない笑顔を見せる。俺はそれを見てどう思ったか。詳しくは言わないが、言うことすらも恥ずかしい感情が沸き上がってきたとだけ言っておこう。
「……今回の勝負、負ける前提で話すなよ」
「あ。い、いや、別に負けようなんて思ってないよ! がんばろー、おー!」
取り繕うようにして春野が声を上げる。俺の返答は完全に照れ隠しだったので、悪いなと思う。
「お、おう。それで例のやつは出来上がったか?」
「うん! 夜空にも手伝ってもらってるし、バッチリだよ〜。そっちは?」
「だいたい終わったって感じかな。まあ、俺の場合は直前でも間に合うし、心配はいらん」
祭りの会場を離れつつ、俺たちの戦略について話し合う。前々から準備したおかげか、順調に計画が進んでいる。
備えあれば憂いなし。確かに準備は計画的に進めたので、戦略が失敗する不安はない。
だが今日の膳所を見ると、勝敗に関しては少し不安を覚えた。膳所の戦略は前の出店の反省点を踏まえた上で、より質の高いサービスを提供している。まるで自分の方が有能であると証明するように。
流成さんがその温故知新をどう見るか、ここが判定の焦点になってくるだろうな。
「……くん、尾道くん!」
「ん? ああ、わり。聞いてなかった」
少し考え込んでしまったらしい。まあ、俺らが頑張る以外、方法はないのだと思い直して、春野の話を聞く。
「もう、しっかりしてよね」
「それでなんて言ったんだ?」
「私の家、ここらへんだから、そろそろ……」
「ああ、そうだったな。それじゃあ」
軽く手を振って、別れの挨拶とする。だが春野はそんな俺をじっと見つめたままだ。それは先ほど膳所を見た目と同じだった。
春野に思わず訊いてしまう。
「どうした?」
「ん……。別に今じゃなくてもいいけど……」
「は?」
春野のボソボソと小さい声。一体何を言い出すのか。その言葉の続きを待つ。
「ちゃんと答え出してね。……それじゃ!」
春野は別れの言葉だけ強い口調で言うと、俺に背を向けて、家の方へ走り去っていく。その早さに別れの言葉を返すこともできす、「あ……」と戸惑った声だけが漏れる。
ちゃんと答え出してね。言わんとしてることは理解できる。否、理解させられてしまった。その別れ際の悲しそうな顔を見ていたから。
春野の告白を受け、今は駄目だと返答してから、もう三ヶ月も経つ。
あの時の引き延ばしは我ながら、最低だと思ったし、たとえ夜空のことがあっても、今でもそれを続けている自分自身に虫酸が走る。
本当なら春野は怒ったっていい。見捨てたっていい。なのにそうしないのは、春野の恋心からではない。春野が優しく、そして強いからだ。春野はその寛大な心で俺の決断を尊重し、時間を与えてくれている。
先ほどの言葉も自分を選べ、とは言っていない。あくまで答えを出して、ということだ。
もちろんそこには自分を選んでほしいという気持ちがあるに違いない。それでもそれは決して口に出さない。
だから迷うんだ。春野は優しくて、本当にいい子だ。俺はああなれないことはとっくに分かっているから、そんな子に告白を受けるなんて、願ってもない幸運。
今すぐにでも、いい返事がしたい。けど夜空のことが頭の片隅にあり、後ろ髪引かれる思いなのもまた事実。
ああ、本当に難儀だ。だが俺の中で答えは出つつある。今は言葉にするのは難しいけれど。
だから少しずつ言葉にしていこう。霞に巻かれた感情を探るように。
闇に沈む夕陽を眺めながら、そんなことを思った。
分かる人には分かると思いますが、21話のサブタイトルと対称になっています。
前にも書いたかもしれませんが、自分は統一的なサブタイトルが好きなので、こういうのには燃えます。
今後もそういうのを使っていく予定……。