四章 第6話 膳所雪村は狡猾である
「……どうして来たの」
漏れ出たのはそんな力ない一言。だが夜空の目はまっすぐ彼、膳所雪村を見つめている。
どうしてこうなった。そんな疑問を誰もが抱いていることだろう。俺も夜空も春野も。
夕暮れ時の店内。外の雨も相まって夜のように暗い。夏に片足突っ込んだくらいの時期なので、時間的にも閉店前の六時三十分。それなりに遅い時間に奴はやって来た。
「大した用はないよ。ただ『また来る』とは言ったけどね」
飄々と言い返す傍ら、夜空は固い表情を崩さない。一片の隙も見せないほどだ。
「アイスコーヒーを一つ」
「……ラストオーダーは六時半まででーす」
存在がイラつくので、そんな嫌みを一発かましておく。実際にラストオーダーは六時半だし。
「『邪魔』っていう感情が丸見えだね。ええっと……朝比奈くん」
「邪魔なんだからしゃあない。ラストオーダー越えて頼まれると定時で帰れねぇんだよ」
「その考え方は社会人としてどうなのかな?」
「お前も普通に嫌み言うじゃねぇか。おあいこだろ」
ククッと鼻を鳴らしながら膳所は笑う。表情も柔らかいところを見ると、気分を害した感じはなさそうだ。
……失敗だな。そんな感情が沸き上がる。ホントなら厄介払いしたかったのだが、そうも上手くいかなった。
「……ねぇ、その制服って白蓮学園高校の?」
「うん、そうだけど。ええっと、名前は?」
「あ、環春野です……」
おずおずと春野は話す。これが春野なりの警戒心の見せ方なのかもしれない。
「……なあ、白蓮学園高校ってどこだ?」
聞き覚えのない高校名だったので春野に小声で囁く。春野は居住まいを正し、少し距離を取ってから教えてくれる。
「その……ここらへんの有名私立。偏差値も高いし」
「はあ〜なるほどね」
ちらと膳所のブレザーを見る。えんじ色の生地に金色の紀章が眩しく光り輝いている。いいとこの出だというのはその制服だけで分かってしまう。
「別にそんないいもんでもないよ。金に任せてどうにかしてるだけさ」
さらりと膳所は言い放つ。ていうかこいつ聞いてたのかよ……。しかもいちいち鼻につく言葉だ。
春野も軽く笑いかけてはいるが、いつもと少し表情が違う。そんなことは聞いてないという感じだろう。
「あっそ」
夜空の冷酷な一言が止めだった。本当につまらなそうに吐き捨てるな、こいつ……。
夜空は権威とかいかにも嫌いそうだ。そこには全て自分で切り開いたという自負があるのだろう。長いものに巻かれることを良しとはしない雰囲気がある。
「うーん。冷たいなあ……」
ポリポリと頬を掻きながら困ったような顔をする膳所。それを見て俺は何か言わずにいられなくなった。
「自分は嫌われてるっていう自覚を持ったらどうだ?」
「ストレートだね。でも日常の積み重ねが信頼を生むんじゃなくて?」
鋭く俺を見ながらさらっと膳所が言う。
やっぱりだ。こいつは阿呆じゃない。空気を読まずに思ったことをバンバン言っていくスタイルも、全て計算の上ということだ。
自由に言いたいことを言えて、分からないことはすっとぼけることが出来る。ある意味に対人では無敵なスタイルの一つかもしれない。
エセ天然が多いのもこういう理由だ。失敗しても許される。ただそれだけで人は自分じゃない自分を演じるのだ。
「よく分からないけどさ……その日常を崩してるのは君じゃないの?」
春野がゆっくり一つ一つの言葉を紡ぐ。それはとても拙いように思えた。けど確かな敵意は感じられた。
よくよく考えれば、彼女はこいつが夜空の婚約者になろうとしていることを知らない。それなのにこう言うのはすごい勇気だろう。
「手痛い言葉だ。だけど僕と月子さんは別に考えてほしいね」
「つまり?」
「僕個人として夜空さんと結婚したいということだよ」
聞いていた春野が目を見開く。そして夜空の方に視線を動かす。
「え? 結婚? ど、どういうこと?」
「……」
夜空というとロボットかと思うくらい無表情だ。むしろロボットの方が愛らしいくらいに、冷え冷えとした雰囲気を醸し出していた。
代わりに俺が答えることとする。
「こいつの戯言だ。気にすんな」
「戯言じゃないよ。月子さんの意思でもあるからね」
膳所は口元に笑みを湛えたままだ。それがとても不気味に見える。
「余計わからなくなってきた……」
「だろうな。それについては後で詳しく教える」
「う、うん」
一応返事はしてくれたが、明らかに困惑している。
平静に努めていた俺も実のところ夜空ではないが、反吐が出そうになるくらいに不快に感じていた。そのせいでついこんな言葉が口を衝く。
「お前、嫌われてるぞ」
「急ぐことなんてない。これからだよ」
そう言って笑顔を崩さない膳所。
これからも何も今が最低評価。ここからどう上げていくか見物だ。そんな高みの見物だと決めつけていると
「それに君だってそうだっただろう?」
膳所の目にははっきりとした侮蔑があった。急に向けられた悪意に俺は固まる。緩急が激しいやつだと回らない頭で感じさせる一言だった。
無論、これは俺に向けられた侮蔑だが、夜空も春野もそれに閉口する。心当たりがあるのだろう。
手持ち無沙汰で仕事をサボり勘に障った俺とクラスで孤立していた俺。確かにいうほど変わらないかもしれない。だが。
「それがどうした。今は違う」
「しかしそれすらも結果論に過ぎないだろう?」
膳所が食い下がってくる。そしてその態度はあることを雄弁に伝えてくる。君にだって可能性はあるのだから僕にもあるはずだと。
「ま、君と喋っていてもどうしようもないね」
「その通りだな」
俺と膳所には意見の差違以上に明確な断絶がある。多分そもそも送ってきた人生が違いすぎるのだろう。
世間的に有能と認められた彼と無能と認められた俺。優越感の塊と劣等感の塊みたいなやつが分かり合うことなどありえない。きっと意見を交わし合うこと自体レアだ。
「夜空さんはどんな趣味持ってるの?」
唐突に膳所が切り出す。世間話のつもりなのだろう。
だが夜空は明らかに嫌そうな顔をする。俺や春野が援護に入ろうとするが、どちらもさっきの言葉が意外と効いているらしく黙ったままだ。
「はあ……。勉強よ」
「そうかあ、勉強か。どこらへんやってるの?」
そこから夜空と膳所は二言三言交わし合う。いかにも夜空はやる気がなさそうに、膳所は円滑に進めようと心掛けて。
ていうか膳所のコミュニケーション能力たけぇな……。勉強なんていう広げにくい話題をチョイスされたのにも関わらず、なんとか食らい付いている。
しかしそんな姿を見ているとなぜかちくりと心が痛む。膳所への嫌悪感以外の何かが体に渦巻いている。
その正体は何かと考えているうちに膳所は立ち上がる。
「じゃあもうそろそろ」
それに応える言葉はない。その冷え固まった空間こそが今の膳所の印象を如実に表している。だがそれは今だ。未来はどうか分からない。
背中に何かヒヤリとしたものが貫入された感覚を覚える。同時に初めて膳所を本当の意味で意識したかもしれない。
そうだ。彼はこの場を奪いに来たのだ。上手く周りを籠絡して、星合父子の居場所に入り込もうとしている。そしてその時、俺はどこにいるだろうか。
そんな底知れぬ恐怖に襲われる。漠然とこの関係の終わりは考えていた。けどそこに外敵による侵入は全く考えていなかった。
俺個人としてのエゴを通すなら、膳所をこの場から排除したい。カフェ「三ツ星」は俺にとっての安寧の地だ。それを阻害する者は許せない。
けど流成さんは膳所を元々、夜空の相手として気に入っていたと告白したし、夜空も膳所のスペックに対する評価は悪くなかったはずだ。
もしかしたら二人は膳所を嫌っていないのではないか。今までの発言から憎んでいるのは月子さんだけともとれる。
そうなったら本当に詰みだな。そんな最悪の想定を膳所の背中を見送りながら思う。
膳所雪村というキャラクターは自分の作品には珍しく絶対悪として書いています(今のところは)。やることなすことが色々鼻につくようなキャラ造形を心がけてます。物語の進行上仕方ないとはいえ、とても書いていて気分悪いです。




