四章 第4話 星合流成の後悔
「お疲れさんです、流成さん」
「ああ、悪いね。急に来てもらって」
「いいですよ。家にいても暇なんで」
ついでに言うなら家にいても、集中できないということもある。気づいたら手が止まって、夜空のこととかを考えてしまっている。
「で、夜空大丈夫なんすか?」
今日は本当はオフの日だったのだが、夜空が風邪で寝込んでしまったらしく代打として俺が駆り出された次第だ。
「熱はちょっとあるけど、大丈夫そうだね。一応、母が看病してるし」
母というと夜空にとっては祖母に当たるということか。
「夜空って体って弱いんですか?」
「別に弱いってことはないと思うけど……、昔から精神的に辛いことがあると、体調が悪くなることは多かったかな」
「病は気からってことですか」
「間違いないね」
そう言って笑う流成さんも、少し疲れているように見える。自分のことだって大変なのに、夜空の看病もしなければならない。その辛さは一介のバイトに想像できるものではない。
「どうすればいいっすか?」
「いつも通りフロアに入って。……あとサイドメニューはやってくれると助かる」
「了解です」
サイドメニューに関しては一通り叩き込まれているが、基本的には流成さんか夜空が作っている。こういう頼みは珍しい。
店内をざっと見渡すと客は数人しかいない。今日は雨とはいかないものの空は曇っており、外に出るには少し心許ない天気であることが客の少なさの要因かもしれない。
「それってなんすか?」
なんとなく手持ち無沙汰で、カウンターに置いてあるノートパソコンを指差しながら話かける。
「え? パソコン」
「知ってます。何の作業をしてるか訊いてるんです」
「ああ、そっか」
流成さんははにかみ笑いを浮かべる。おいおい、煽りじゃなくて本当に俺がパソコンのこと知らないと思ってるのかよ……。
「少し予算を見直してたんだよ」
「へぇ」
経理については当然ながら、流成さんに丸投げしているので予算と言われてもピンと来ない。
「意外と余剰分が多くてどうしようか迷ってるんだよ」
「つまり利益はプラスってことですか?」
「そうなるね。あと今年は経費がかかってないっていうこともある」
「出店とか旅行行ったりしてもですか?」
ついでに言うなら今年は俺も従業員として加わっているため、人件費は増えたはずだ。
「出店効果で単純に利益が増えてるから、それで十分カバーできてるよ」
店の雰囲気とは裏腹に景気は上々らしい。不安が一つ少ないのはいいことだ。
「普通に貯金するんじゃダメなんすか?」
「それが一番いいのは確かだけど、どうせならこれを元手に利益増やすことも考えちゃうんだよなあ」
「経営者の悲しい性ですね」
ポリポリと頭を掻く流成さんに思わず笑いが出てくる。
確かに安定志向で貯蓄するよりは、それを元に一攫千金を狙おうとする意気込みは分かるような気がする。
「……そうだ。パソコンで思い出した。これを見てくれ」
流成さんはカウンターに置いたパソコンを操作に画面を俺に見せてくる。そこにあったのは一つのインタビュー記事だった。
『新気鋭のIT企業CEO・扇町月子に迫る』
と銘打たれていた。なるほど。月子さんは世間では有名な経営者として通っている。こういうインタビューも多いのだろう。
「で、何ですか、これ」
「ん? インタビュー記事」
「このくだり、さっきもやりましたよね……」
成長してくださいよ……。思わず頭を抱える。
「ああ。ちょっと最近、漁ってて出てきたんだ」
「……漁っててってどうしてですか」
月子さんとの関係は酷い終わり方をしているはずだ。本当なら自発的に思い出したくないだろう。なのに漁っているとなると、それは心配せざるを得なかった。
「大した理由じゃないよ。ただ再婚してるのか、気になっただけだよ」
「再婚」
一応流成さんは理由を語ってくれたが、それでも真意が分からず言葉を繰り返す。
「膳所くんとはどんな関係なのかなって。ほら、実子か養子かで結構、変わるでしょ?」
そう言われてもあんまりピンと来なかったが、よくよく考えるとそれが重大なものであることに気づく。
もし膳所が月子さんの実子の場合、流成さんと付き合う以前に子供を産んでいたことになる。そうなると……酷い裏切りだ。
「ま、杞憂だったけどね」
「それなら良かったです」
「再婚はしてたけど」
さらっと流成さんは言う。どうやって反応すればいいんだよ、これ……。キラーパスだわ。
「僕も焦りすぎたね。本当ならこんなことありえないのに……」
流成さんは俯く。そこには恥ずかしさもあるかもしれない。まあ時期的にはきついものがあるし、早計だったと言われれば早計だっただろう。
「それで他になんか分かったこと、ありますか?」
「あるにはある。例えば月子さんの現在のお相手とか。写真もあるよ、見る?」
「いや、いいです……」
ホントに反応に困ることばっかり言うな。
だがこの気丈さも、もしかしたらただの強がりだとしたら心配だ。吹っ切れるはずもないのは明らかなので、そんな考えがよぎってしまう。
「膳所っていうのは父方の名字ですか?」
「そうみたいだね」
「じゃあ旧姓は扇町ってことになりますけど……」
「こういうメディアに出る時はずっと扇町だよ。結婚してた時もそうだったし」
なんとなくそれは不幸なことのように思えた。結婚しているのに自分の名字を使ってもらえないのは。
「そのくらいですか、書いてあるのは」
「そうだね。元々、会社のマーケティング戦略が中心に書かれてるから、プライベートの情報はさほど多くなかったよ」
そこで流成は語りを止める。単純に話題が尽きただけだろう。
今耳に入れた情報を整理する。扇町月子は流成さんとの離婚後、膳所という男と付き合い結婚。そして膳所という男の連れ子であるのが、膳所雪村にあたる訳か。
これなら膳所の最後の言葉に説明がつく。お母さんというのは何も間違っていなかったということになる。
「……これは独り言だと思ってくれ」
流成はいつもより静かな声を出す。その雰囲気はとても夜空に似ていた。
「膳所くんが前にバイトに来てた時、僕はちょっといいなって思ったんだ。礼儀もちゃんとしてるし、真面目で落ち着きがあって。夜空と合うかもしれないって、思ったんだ」
嘘偽りない本音を吐き出す。流成は穏やかな表情をしているが、ご臨終した死人のようで見ていて気分は良くない。とても痛々しかった。
俺はそれに返す言葉はない。あくまでも独り言なのだ。それにここで詮索しないくらいの分別はあるつもりだ。
流成さんの膳所に寄せた期待は分からないでもない。
夜空という人間は大勢の人とは相容れないタイプだ。スペックが完璧というだけで、周囲の人間を弾く要因になってしまうから。
それに釣り合うとなると、同等のスペックを持つしかないだろう。
もちろん彼女と関係性を築くだけなら、そうじゃなくてもいいかもしれない。だがいずれはその差に辛くなる。
なら同等のスペックを持つ方と付き合うのは当然の帰着だ。それは流成さんも分かりきっている。
と考えると膳所は流成さんのお眼鏡に叶う相手かもしれない。見た感じでは、なんかこう……夜空と似ている。どこがと言われれば自信はないが。
強いて一つの有能だという証拠を上げるなら、あの扇町月子に従者のように侍っていることだ。あんな癖の強そうな人と上手くやれてるだけでそこそこ能力は高そうな印象を受ける。
もしかしたらあの時、夜空と結婚したいと言い放った膳所に強く出れなかった理由はこんな所にあるのかもしれない。望みは消えなかったのだ。
いや、一度望んだことをいとも簡単に裏切れなかっただけかもしれない。まあどっちでも大した違いはない。
「ほら、尾道くん、手止まってるよ。仕事仕事」
「あ、はい」
何気ないいつもの一言が出てくる。そこからの仕事は何も起こらない通常運転。
その何もないことに安心感、そして流成の後悔を聞いてしまったことに対する胸騒ぎを覚える。
何も解決していないのにただ問題が増えてしまった徒労感が体の中で駆け巡る。長い長いトンネルは未だ先の光が見えない。手探りで確かに進むしかなさそうだ。
四章、暗い話が続きますね……。こうなると明るい話に逃げたくなってきてしまいます。外伝でも書こうかな……。




