四章 第3話 膳所雪村はいい性格をしている
「この子と結婚するのはどうかしら?」
月子さんは軽く夜空と膳所雪村の方を見やる。
夜空は目を見開いたまま微動だにせず、膳所の方は夜空に対し軽く会釈する。この反応を見るに、こいつは事前に話を受けてたな。
そこからこの場が凍りついたことは言うまでもない。誰も口を開かないし、そもそも驚きで口を開けない人もいる。
結婚。俺らの世代ならそれは酷い冗談だ。
彼女がどうとか、好きな人がいるとか、全然モテないとか、高校生といえば恋バナは定番だが、その先、結婚という終着点を見てる人はどれだけいるだろうか。
俺が思うにそれはゼロだ。もちろん俺も考えたことはない。それは夜空も例外ではない。
「意味わかんねぇ……」
ポツリと独り言のように呟いた。自分の心を整理するつもりで言ったのだが、思いの外、静かな店内にはよく響き、ぎろりと月子さんに睨まれる。
「彼の言うとおり、意味がわからない。何を言ってるんだ?」
流成さんは苛立ちを隠せないようで、とんとんと机を指で叩く。
「何って結婚の提案よ。保護者として娘の未来を案じるのは当然じゃなくて?」
「夜空の保護者は僕だ。だいたい結婚なんて早すぎる」
ふっと月子さんは笑う。口許をおさえているせいで見下したような印象を受ける。
「そんなことないでしょう。関係性を深めるなら、早めに婚約者ということを意識させておくべきよ」
思わず絶句する。なんかもう無茶苦茶な理論だ。そもそも親が婚約者を決めるのが既に時代遅れなのに、娘の意見も聞かず話を進めてるあたりに狂気すら感じる。
「こんな馬鹿な話があるか。さっさと帰ってくれ」
「そもそもあなたじゃなく、夜空に聞いているのだけど?」
珍しく言葉を吐き捨てる流成さんに、月子さんは冷ややかな視線を向ける。元夫婦の喧嘩は中々悲惨だな。
視線が夜空の方へと集まる。だが夜空は未だに微動だにしない。思考がフリーズしているのだろうか。
はあ、と流成さんがため息をつき、視線を膳所の方へ向ける。
「膳所くん、君は結婚のことをどう思っているんだい?」
「結婚ですか……」
顎に手をやり悩んだような素振りを見せる。この反応を見て、意外に流成さんは策士だと感じた。
もしここで膳所が結婚に少しでも懐疑的な反応を見せれば、流成さんはそこにつけこむ気だろう。その証拠に膳所を真っ直ぐ見つめる。
「うん、そうですね。夜空さんとバイトを共にした感じでは、てきぱきと行動していて真面目だし、要領もいい。それでいて努力家だ。文句はありません」
思わずちっ、と舌打ちをしそうになる。誰が夜空の魅力を語って口説けと言った。流成さんは結婚のことを訊いているんだぞ。ちゃんと話聞いてるのか、こいつ。
しかもそれを紳士的な感じで言い放つことが気にくわない。しっかりしてるのに天然気があるとか、いかにも女子が好きそうだ。
マジでぶん殴ってやりたくなる。まあ、そんな態度しなくてもぶん殴ってやりたいんですけどねぇ!
「結婚のことを訊いてるんだけどな……」
ぽりぽりと頬をかきながら呆れたような声を出す流成さん。膳所の返答に毒気を抜かれてしまったらしい。
「結婚ならしたいです、今すぐにでも」
ピクっと流成さんが反応する。意外にも強い語気だったので驚いたのかもしれない。だがすぐに気を取り直して、
「そっか……」
と呟く。流成さんにしてみれば当てが外れた結果だ。
「ふん。もうそんな茶番はいいでしょう。私は夜空に訊いているのよ」
月子さんは何度目かわからない台詞をつまらなそうに吐き出す。
その態度に密かに俺は違和感を覚える。茶番か。いずれは夜空の相手にしようとしている人の意思確認は茶番なのだろうか。
「うっ……」
夜空はやっとのことでそんな声、いや音を出す。注目が集まる。だがその瞬間、夜空はばっと控え室に繋がる扉を開き、奥へ引っ込んで行ってしまう。
皆が黙る。当事者が消えてしまい、戸惑っているのだろう。無論、俺もだ。
だが出ていった夜空の表情からそうした理由はなんとなく推察できる。夜空は明らかに戸惑いの表情を見せていたし、心なしかいつもより青白くなっていた。おおよそ気持ち悪くなったとかだろう。
「はあ……。扇町さん、もう帰ってくれますか?」
「誰よ、あなた」
「朝比奈尾道。ここの従業員です」
事も無げに月子さんに言い放つ。なるべく自然体を心掛ける。
「名前は覚えないわよ。部外者だから。ついでにここで退散する気もないわ」
「はあ……そっすか……」
俺の反応に目線を向ける。やっとこちらを意識したか。押してもあんまり効果が無かったことに業を煮やしたのかもしれない。
おそらく俺を子供だと思い、舐め腐っているのだろう。別にそれでも問題はない。実際子供だし。だが安い挑発には乗らない。名前覚えられないなんて日常茶飯事だしな。
「……でも流成さんも俺も部外者なんですよね。もう当事者はここにはいませんよ」
「夜空ならトイレとかじゃないの? とにかく戻ってくるでしょ」
この人の言葉はどこまで本気なのだろうか。そんな疑問が湧く。夜空の表情を見れば、月子さんへの嫌悪感からそうなったのは確かだ。
なのに月子さんは動揺を見せない。その態度がどうも煮え切らないのだ。
「……戻ってきませんよ」
「は?」
小さく呟いたが、聞こえなかったみたいだ。それでいい。
「ま、とにかく婚約の話なんて急でしょ。それに困ったのでは?」
「困ることはないじゃない。備えあれば憂いなしと言うし」
「じゃあ戸惑ったんじゃ?」
はっきりしない態度をあえて取る。それが少しは効果を発揮したか、月子さんは少し早口になっている。
「結局、あなたには関係ないことね」
「ですね。けどここでは貴重な"子供の意見"ですよ。年同じですし、そこそこ当たっているのでは?」
月子さんは口許に笑みを湛える。そこに感じた感情は「余裕」「嘲り」。まあ部外者、しかも子供から言われたらこんなもんだろう。
退去させるのは不可能か。そんなことを悟った時、思いもよらない援軍が入る。
「月子さん、彼の言うとおりですよ。今回は急すぎました」
「そんなこと……」
「いや、急でした。でも大丈夫ですよ。月子さん、言ったじゃないですか。親睦を深めるなら早い方がいいと。今日は意識させただけで十分です」
宥めすかすように膳所は語りかける。そこで一旦、月子さんはクールダウンする。膳所はどうやらおばさんキラーの資質もおありらしい。
「そう。なら今日はもういいわ。行きましょ、雪村」
「はい、お母さん」
その何気ない膳所の一言がまた店内を凍りつかせる。俺はどういう表情をしているか分からない。だが流成さんはあからさまに出し抜かれた表情をしていて痛々しかった。
そして同時に思う。この膳所雪村という男、中々に狡猾であるということを。普段は紳士的な所を見せておきながら、いざという時に牙を見せる。俺が嫌いなタイプだ。
月子さんは会計をするとさっさとこの店を出ていく。膳所もそれについていくが、出る直前に少し立ち止まり、笑顔を見せる。それがまたいやらしい。
「また来ます」
返事を待たずに彼も出ていく。
店内の凝り固まった空気が少し緩まるのがわかる。「はあ」とか「ふん」とか意味のない言葉が否応なしに漏れて、ふわふわと漂っている感覚を覚える。
だがそれは最後の膳所の言葉に絶句しているとも取れた。そんな中で口火を切ったのは流成さんの方だった。
「……悪いね。助かったよ」
「いえ、出過ぎた真似をしました。気分悪くしたならすんません」
どうやら月子さんと膳所の関係性について触れるつもりはないらしい。それでいい。話を振られても困るし。
しかし俺は蜂の巣をいぶすかのかように厄介払いをしたのだ。見ていて気分のいいものじゃないし、夜空と母親の関係悪化もありえる手段だった。
結果的に膳所がフォローしたのでどうにかなったが、あれがなかったと思うと……ぞっとする。
「いや、あれでいい。僕じゃ……駄目だ」
なんとなくそう感じる理由は分かるが、ここで訊くことの方が酷だと思い直し黙ったままでいる。
不協和音。そんな言葉が連想される。月子さんという一つのジャミングが夜空と流成さんのリズムを狂わせ、それが俺や春野などの周りの人間のリズムにも波及する。
必要なのは正常なリズムだ。そんなことは誰もが分かりきっている。だがそれを実現するのは単純な例えでは表せない難しさがある。
そんな解決が見えない解決しなければならない問題をいつまでも考えていた。
書いたかどうか分かりませんが膳所の読み方は「ぜぜ」です。滋賀にゆかりがあるらしいです。地名はかっこいい単語が多いので名前とかに多用しますが、その中でもトップクラスに好きな単語です。




