三章 第6話 星合流成はちょっといいものを準備する
いつも通りのカフェ「三ツ星」である。連日、新メニューの味見をしていて、もはや家とどちらが主戦場か分からなくなってきた。
「割といいんじゃない?」
「そうね。様になってきたわ」
閉店後の店内で仲の良さそうな声が響き渡る。
「尾道く~ん、味見~」
「はいはい……」
俺は渡された皿をもはや抵抗なく受け取る。ここで反抗してももう無駄だ。ただの五十歩百歩である。
それでも目の前の物を見ると、ため息が出る。「カヌレ」それがこの皿にのせられた物の名だ。ちなみに俺が今、嫌いな言葉No.1がそれだ。
「どう?」
春野が爛々とした目でこちらを見てくるが、言えることは一つだ。
「うん。大丈夫だ」
「……何が?」
「何がって……味に決まってるだろ」
味はもうおいしいとは思えなくなっている。味は大丈夫のはずなのだが、味覚が大丈夫ではなくなってきてるから、味がわからないデッドロック状態に入っている。
「え~、具体的な感想ちょうだい!」
「うん、外はカリカリしてて中がしっとりしているな」
「……味は? それ食感だよね? しかもそれが売りだし……」
「大丈夫だ、何も問題はない」
春野はポカンとしている。この煮え切らない反応に戸惑っているのだろう。だが真実だ。
そもそも味を訊くことが愚問だ。そもそも俺はソムリエでもないし、ついでに言うなら食いすぎで舌が馬鹿になってるため、一般人にも味覚が劣るレベルである。
「その男に何を言っても、もはや無駄よ」
夜空は非常に失礼なことを言い、皿からカヌレを一つ、つまみ上げる。
「うん。これならいけるわ。これを新メニューとして紹介しましょう」
「やった~、終わったよ~」
春野は両手で万歳して、完成したことをいかにも喜んでいる。夜空は口元には笑みを湛えている。
とても良い空気感だ。今まで観ているだけだった流成さんも微笑んでいる。がその中で陰気臭い顔をしているやつがいる。無論、俺である。
最後は夜空がいいかどうか判定しちゃったし、それで合格しちゃうし。正直、俺の存在価値ってなんだろうと思えてくる。
まあこれで暇にはなった。やったーおかえり、自堕落な日々。
これでやることは全て終わった。この輪の中にいても空気感を悪くするだけだと思い、帰る準備を始める。
そこで流成さんのいつもより快活な声が聞こえる。
「皆、おつかれ! これならいい出店が出来そうだよ。そこでなんだけど……」
流成さんはポケットをゴソゴソとやり、三枚の紙切れを取り出す。
「なんですか、それ?」
春野が首を傾げる。俺も遠くからでそれがなんなのかわからない。代わりに一番近くにいた夜空が教えてくれる。
「チケットね。新幹線?」
「そう、折角だからと思って」
「折角?」
意味が分からず尋ねる。流成さんは割と言葉足らずなところがある。自己完結型ということだろう。俺と同じだ。
「いつか慰安旅行はしようと思っていたんだよ。だから新メニューもできたところで休息も兼ねて行こうかなと。ちなみに行き先は温泉街」
「いいですね~それ」
春野が相づちを打つ。なるほど温泉か。そのチョイスが流成さんらしく渋くていいと思った。
「あら、けれどチケットは三枚しか……。なるほど朝比奈くんは不参加?」
「どこのお金持ち君だよ……。まあ、いいけどよ。旅行なんて疲れるだけだし」
これが割と本心なのだ。旅行というのは朝比奈家の文化にはない。母は仕事で忙しいし、俺は家が生息地だし。強いて言うなら父が常時、旅行状態だが家族と言われると怪しい。
「冷めてるなー、でも普通に考えたら私の分はないよね? ここの人間じゃないし」
最近は春野がここに居座ってるせいで従業員と見分けがつかないが、正式には雇っている訳ではないので順当にいけばそうなる。
しかし流成さんはそういう会話をしていても、ニコニコしたままだ。数ヶ月の付き合いでもわかる。きっと何か裏がある。
「いや? 自分はカフェの営業もしないといけないし、三人で行ってきな」
そう言って俺たちにチケットを渡してくる。
「営業って……休業日にすればいいじゃない」
ファザコンさんはどうやらそれでも父親と旅行に行きたいらしい。裏を返せば俺とは行きたくないということか。
「そうもいかないよ。チケット代でそれなりのお金払ってしまったし、うちのコーヒーを待ってくれるお客さんもいる。簡単には休めないね」
「お金なら朝比奈くんの分を……」
どんだけだよ、と思いながら聞いていたが、それを流成さんが笑い飛ばす。
「まあまあ、同年代で同じ従業員なんだから親睦を深めようよ」
流成さんがそう言うと夜空はそれきり黙ってしまう。顔には納得してない感じが漂っている。多分、金銭面が不安なのだろう。それでも結局、黙るのだから流成さんは流石だ。
しかし不安を抱える者がまた一人。春野がおずおずとチケットを見ている。
「あの……いいんですか? 私、バイトでもなんでも……」
「全然いいよ。お手伝いしてもらってるのに給料も払えなかったし。礼ってことで」
春野はそれを聞いて、「は~」とか「ほえ~」とか言っている。まあそうなる気持ちもわかる。今の応答はイケメンすぎた。若い時は割とモテたことが容易に予想できる。
これで野党は完全に黙ることとなる。俺も不安というか、不満はあるのだがここで断るのは、流成さんの優しさを無下にする行為なのでやめておこう。
「あの、これの説明ほとんどないんですけど……」
代わりにこのチケットの説明を求める。今のところ、行き先が温泉であるのと慰安旅行が目的としかわからない。
「とりあえず旅館と電車だけはとっておいたから、後は自由って感じかな」
「自由……」
そうやってこちらの負担を少なくする気回しはとても嬉しいのだが、自由と言われて何をしていいかがわからないのが俺だ。夜空もきっとそうに違いない。
ちなみに俺は暇は好きなのだが、自由は嫌なのだ。暇なら何もしない選択肢もあるが、自由にはそれがないからだ。自由とは常に不自由なのだ。
となるとここで意見を出せるのは一人だけ。これまた春野である。
「はー。どこの温泉街の予約とったんですか?」
「箱根だね。ここなら観光にも困らないだろうし」
箱根か。一度も行ったことのない地だ。ここからは遠いし、そもそも旅行自体そんなにしないし。
「箱根といったら硫黄温泉が有名ね」
「あと芦ノ湖も」
親子揃って箱根の名所がすらすら出てくる。博識すぎません、この親子。春野がポカンとしてますよー。
「温泉かー。ちょっといいよね、そういうの。旅行なのにリフレッシュできる感じが」
確かに。旅行というと楽しい思い出を作るために疲れを取引するイメージがあり、どうも俺の肌には合わないが、温泉なら休息がとれるしいいかもしれない。
「朝比奈くんにリフレッシュなんて必要ある? いつも休息とってる癖に」
「あー、俺はこのパワハラがあるからリフレッシュは必要なんすよ」
正直公私を今は分けているので、パワハラにも耐えられるが旅行だと完全プライベート。心ない言葉の暴力に耐えられるかわからない。
ふふふと夜空が不敵に笑う。なにこれ、めっちゃ怖い。
「安心しなさい。箱根だからといって硫化水素が充満するポイントに誘導したりしないわ」
「おい、笑うな。その反応だとやりかねないから。だいたい俺は押すな押すな言う芸人でもないし、それは真面目に洒落にならねぇ」
それでも夜空は笑ったままだ。死なないようにボディーガードでも雇っておこうかな……。
「はいはい! そういう危ない話なし! 折角だし楽しもう? ね?」
「あ、ああ、そうだな……」
「ええ、そうね……」
春野がなんか泣きそうな顔で言ってくるので戸惑ってしまう。別にじゃれてただけなんだけどな……。
しかしこんな軽快なジョークが出るのも既に楽しみだからなのかもしれない。自覚はそんなにないけどね。
まあこのメンバーと旅行なんてきっと人生でこれきりだろう。なら少しくらいはいいかもしれない。俺は一度きりが好きなのだ。後腐れがないから。
ならちょっとくらいは……。
そう思えるのはこのメンバーだからこそだ。いい関係を築けてるのかな? 密かな高揚感を胸に旅行の予定を立て始める。
ついに連載五十回まで到達しました! 連載開始はちょうど半年前でやっとここまでこれたなと思っています。これからもテンポよく! やっていきますのでよろしくお願いします!




