011 トイレでの偉業
トイレから戻ると桜子はそのまま待ってくれていた。
異世界での出来事は100倍のスピードで過ぎてゆくから、この世界では5分も経っていないとはいえ、いきなりトイレへと走っていった男にすっかり呆れ果てているのではないかと思ったのに彼女はそのままの姿勢でちょこんと座ってくれていた。
「ごめん……そのさ……」
おれは椅子に座るやすぐに謝った。
とはいえ異世界に行って、とある乙女を神として救ったとは言えない。なんとももどかしく思って言いよどんでしまった。
その瞬間、おれの顔をまじまじと見つめた桜子がぷっとふきだして笑いはじめた。
なかなか笑いが止まらないようで最後のほうはしゃっくりみたいになってしまった。
「――えっ!?」
おれはわけがわからずきょとんとしてしまった。
なにかおかしなことを言ったのだろうかと思いを巡らせてみたが皆目見当がつかない。
おれは彼女の笑い転げる顔をただただ見つめていることしかできなかった。
「どうかした? もしかして顔に何かついてる?」
桜子の笑い声が収まってきた頃合いを見計らって質問してみた。
「だって凄くやりとげた顔をしているから……」
そう言うと、またおかしくなったと見えて、くすくすと思い出し笑いをする。
「やりとげた顔ね――」
たしかにトイレに籠もっていた5分たらずの間に九死に一生を得るほどのことをやりとげてきたのだから当たり前といえば当たり前だ。
しかし桜子はそんなことまったく知らないわけだから不思議に思うのも無理ない。しかしそのことを話したところで信じてもらえないだろう。
「よっぽどすごかったみたいですね、出たのが」
満面の笑みの桜子は臆面もなく言ってのけた。
「…………」
まさかのシモネタ。かわいい女の子の口からそんなシモネタが飛びでてくるとは思いもよらず、何と言っていいのか気まずいとは思いつつも気の利いた返しができなかった。
これでは暗におれは突如として催した凄いのを出してきたと認めるようなものではないか。おれは恥ずかしさのあまり、さらに何も言えなくなって耳まで真っ赤になってしまった。
その後、桜子とどんなことを話したのかさっぱり頭にはいらず記憶も曖昧だった。
桜子にとって、おれはどんなふうに見えたのかまるでわからない。
これを初デートだとするのなら大失敗だと断言できよう。
気がつくと下宿の四畳半に帰宅していたというくらいの体たらくだった。
少し落ち着いてくると猛烈に空腹が襲ってきた。
もう腹が減って腹が減ってしかたないといった状況で、食べ盛りのピークだった中学時代よりもさらに食欲がわいてきたのだ。
どうやら肉体を離れて異世界に行くとはいえ、降臨や千里眼という行為はエネルギーを著しく消費してしまうようだ。
おれは部屋にあったなけなしのパスタを全て茹でてソース不要のペペロンチーノにしあげてぺろりとたいらげた。
まだまだ食べられたが、もう部屋にも残金的にも食べられるものは残っていなかったのだ。
そうして、ようやく人心地つくと衣食足りて礼節を知るではないが、ようやく乙女のことが気がかりになってきた。
あの正邪審問会でよもや処刑されることはないとはわかっていても、その後のことが気になってくるといてもたってもいられなくなる。
たとえ一方的にこちらが言葉を伝えただけ、向こうは崇めているだけの関係で言葉を交えて思いを伝えあったわけではないのに、なぜか気持ちが通じているような気がしてならなかった。
おれは千里眼を使ってみることにした。
気力さえあれば無課金でも制限時間がない千里眼は有効な手段だった。
俯瞰で見る異世界をズームアップしてゆくようにして広がって見えた光景は、メリアのおだやかな寝顔だった。
粗末な小屋の屋根裏に麦藁を敷いて、その中に潜りこむようにして寝ていていた。
ベッドのようなものはない。それだけ貧しい庶民なのだろうか。
そういうことが気になって、おれはそれからメリアを見守りつつも、わかる範囲で異世界の情報を集めるのが日課となった。
しかしながら千里眼の特性として自分の信者がいない地域については靄がかかったようでぼやけてしまう。だからそう多くの情報を一度に入手できるものではなかった。
さいわいにもメリアの伝道は順調であり、おれの信者は日ごとに増えてゆく。すると信者の増えるに従って千里眼の効果範囲も広がってくれたので徐々に世界が見えてきた。
メリアが住んでいるのは小国ルミニアの外れにある寒村だということ。
どうやらこの異世界の文明レベルはヨーロッパの中世の終わりから近世のはじめにかけてくらいだということ。
特に日本でメジャーな『中世ヨーロッパ風異世界ファンタジー』といわれるものは、ふどちらかというと中世ではなく近世レベルなのだが、このミッドガルトという異世界はそれよりも古い、暗黒の中世そのままのどこか陰鬱な雰囲気のある重苦しい世界のようだった。
厳しい階級制度や疫病の大流行など実際のヨーロッパで起きていたものが重くのしかかっているということもあったが、それ以上に民衆が邪神と呼ばれるものへの畏れが関係しているように見えた。
少なくともルミニアの宗教というのはキリスト教のような唯一神教ではなく、ギリシア・ローマ的な多神教であった。多神教は本来なら異教に寛容なところがあるはずなのだが、この世界にはあまり当てはまっていないようだ。
上は王侯貴族から下は農夫や羊飼いまでことごとく邪神の存在に怯え、神々にすがる信仰の日々を送っていた。
おれのことを邪神と間違えてメリアを処刑しようとしたのも時勢だったのだ。
邪神【evil god】
人間にとって災いをなす神。
クトゥルフ神話などに登場する架空の邪神ナイアーラトテップがあげられる。
またクトゥルフ神話の神は大半が邪神の様な存在である。(wikipediaより)




